コロナ脳を激怒させてまでコロナの嘘を説明する意味

帰省中に、兄と口論になった。

兄はコロナ脳である。外出時にマスクは外せないしアルコール消毒も徹底している。何回やったか知らないが、ワクチンも打った。

兄の子ら(甥と姪)と私の子を連れて、計5人でカラオケに行くことにした。そのときに私がマスクをしないことで、兄が爆怒りした。

私は努めて冷静に言った。コロナなんて怖くない。テレビが煽っているだけで、実際にはインフルエンザよりよほど死者数が少ない。なのにさも怖いウイルスであるかのように煽り、ワクチン接種を促している。そんな馬鹿げたことに付き合うつもりはない。PCRなんか受けるからそんなくだらないことに巻き込まれてしまうのだ。私は自分で行動して厚労省にも確認したし、コロナが危険だとはまったく認識していない。だからマスクはしないし消毒もしない、ワクチンも打たない、と。

すると兄はこう言った。お前は医者じゃない。お前が何を言っても信じられない、と。

私はこう返した。そう?私の行く眼科医はマスクなんかしてないよ。コロナなんかデマだと言っているけど、なぜ?と。

すると兄は、知らねえよ!!とキレた。昔からキレやすい兄だ。自分の行いに自信がないからキレやすいんだろうなと察した。

じゃあ、マスクするよ。しないとカラオケできないなら、と私は譲歩して、マスクをつけた。

兄はそれ以上何も言わなかった。カラオケボックスの中でも、店員の前やドリンクバーを取りに行く時以外は、兄家族はマスクを外していた。多分、彼らだって私たち家族と遊びたいのだ。だけど、怖いんだろう。こんな異端者である、妹家族のことが。私も子もマスクをしないで楽しんでいることが、彼らの神経を逆撫でしてしまうんだろうことは、見てて分かりすぎるほど分かった。だけど私は、こここそ踏ん張りどきだと思った。兄にだけ、今まで全くコロナの嘘について説明してこなかった。それは私の怠慢だったと思うし、反省している。兄がキレようが何だろうが真正面から向かっていく姿勢を見せないのはフェアでないとすら思った。どんな罵詈雑言も受け止めようと腹を括った。両親や姉にはすでに、コロナの嘘については何度も説明してあるから尚更だ。それが兄に対する最大限の愛だと思った。

兄は兄なりに、自分と子どもを護るのに必死だ。でも、心のどこかで世の中のおかしさには氣づいているし、私に面と向かって言われたことで幾つもの疑問符が頭の中に降り注いだことだろう。そしてこんなことを言った。

「確かにワクチンは、意味ねえよ」

あ。それ、知ってたんだ。そうだよね。ワクチン打ったのに、あなたがたは感染したことにさせられちゃったもんね(ただの陽性判定食らっただけ。症状は聞いてるとインフルぽかった)

私は、それを兄自身の口から出させただけで満足だった。この2年間、兄とまともに話すこともなく、ここまで惰性でやりすごしてしまったからだ。

それどころか兄は、譲歩した私に対して少し思うところがあったのだろう。姪と甥を、私が外へ連れ出すことをOKした。私も子もマスクをしないのは分かってるだろうに。

甥と姪がときどきあそぶという近隣の親水広場へ、私が車を出して連れて行った。駐車場から出る時に、最年長の甥が「マスクしなきゃ!」と言ったので、「しなくて大丈夫だよ。何か言われたら、おばちゃんに任せろ」と言ってあげた。すると、「じゃあ、しない!」と即答した。姪に限っては何も言わずに素顔で車を降りた。

私と子、甥、姪の計4人で水遊びをした。ほかにも沢山の親子連れがいて、ちらほらノーマスクの大人が目に入った。

「ほら、あの大人もつけてないよ。コロナより熱中症の方がよほど怖いんだよ」

私は不安そうに怯えた顔をしている甥に、周りの大人たちにもよく聴こえるような大きな声ではっきり言った。そして念を押して「おばちゃんがついてるから大丈夫だよ」と力をこめて行った。

次第に、甥は本来の快活さを取り戻していった。最初は足だけ濡らすつもりが、一番幼い我が子が真っ先に尻を水につけて遊び出した。すると、つられて姪も尻をついた。甥も最終的にはパンツが濡れるぎりぎりのラインまでズボンを濡らして、キャーキャー水の掛けっこをしてはしゃぎながら、沢山遊んだ。ずぶ濡れの我が子の手を引いて、湧水の噴き出すところに座らせてやったり、流れの速いところを一緒に歩いたりしてくれた。

帰りには姪と子は素っ裸になり、タオルをぐるぐる巻きにして車に乗り込んだ。甥もパンツいっちょうになって、すっきりした笑顔をしていた。

よかった。甥と姪の明るい素顔を見られて、2人の真っ白に輝く歯をたくさん見られて、本当によかった。

コロナ脳には、思い切り噛みつかれても、しんどい思いをしても、少しずつ、少しずつ、じっくり種まきをすればいい。種はやがて芽を出す。するする伸びて、やがて花を咲かせる。日本人は世界一忍耐力のある民族だ。だから、出来ないことはない。不可能は、ない。