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クライミングで自然の岩を登る意味

今回のテーマは恐らく、一般の方にはあまりピンと来ない話題かもしれませんが、クライマーと呼ばれる人たちの中では現在進行形での大議論の対象になっている問題です。それも、けっこう深刻な感じで…。でも、これは案外とクライマー以外の普通の人にも参考になれる可能性があるのでは?と考えたので、ちょっと無い時間をかいくぐって書いてみることにしました。何より、既に完結してしまいましたが、以前にはずばりクライミングをテーマにした少年漫画を連載していた人間としても心穏やかじゃない話ですし。

皆さんの中で「チッピング」という用語をご存じの方はいますか?いたとしても、多くはプラモデルとかの別業界の使われ方じゃないかなと。いわゆるクライミングの世界で「チッピング」と言えば、「外岩(そといわ)」即ち「自然界に存在する岩に設定されたクライミングのルートを、後から人為的に改変を加えて以前とは別のものにしてしまうこと」という否定的な意味を持っています。法的には犯罪じゃないけど、忌むべきとされてる行為です。(※クライミング専門サイトの「チッピング」関連記事

クライミングには明文化されているようなルールはありません。それは元々が登山の中の岩登りの歴史の中から派生していること。そしてその「山にはルールはない」いわば「紳士のスポーツ」のようなもので、山はどんな手段で登ってもいい(設置されたロープや梯子を使うとか)からこそ、自分で自分の「登るスタイル」を選び取り、己を律する意義がある。クライミングにも「行為者の誠実さを信頼する」といった性善説に基づいた部分が大きい。

最近テレビなどで観る機会も増えてきた、競技としてのクライミングやボルダリングにあるルールは、あくまで競技として勝敗をつけるために作られた決まり事であり、外岩クライミングには別の不文律が共有されていました。その暗黙のルールのうちの一つが、開拓者…つまり「そのルートを作った人=最初に登った人のルートを後から勝手に改変しない」というものでした。何故、人が開いたルートを勝手に改変するべきではないのか?理由は、それが実はクライミングという行為の最も「本質」に関わっていることだから。

山登りで例えてみましょう。昔から最も価値があるとされてきた「未踏峰に登頂する」という冒険的行為に近いと思います。未踏の山が何故難しいのかと言えば、過去に誰も登れていないということは「どうやったら登れるかと言う情報が無い」という意味ですね。道のりは何日掛かるのか?滞在期間の食料を何日分持てばいいのか?必要な道具は何か?装備は?技術レベルは?これらの情報を何も持たずに未知のルートに突っ込むということは、普通に考えれば限りなく遭難の危険性が高いと言えます。最悪死んでしまうかも。

死にたい人はそんな多くないので、みんな最初から情報があって登山ガイドが助けてくれて、楽に登れるような山に登りたいと考えるものです。その中でも、何かの拍子に運命的なものに突き動かされて「いいや、オレは絶対にあの山を最初に登り切って見せる!」というタフな登山者が現れて、彼らの何人かは死んだり手足を失ったりしつつ、それでも最終的には誰かが困難を突破して世界初の登頂を果たす―。そうやって、地球上の未踏峰は一つずつ攻略されて現在に至るのです。人類の挑戦の歩みそのもの、と言ってよい。

登山の未踏の山と、クライミング(ボルダリング)の未踏のルート。どちらも最初に登った人間がいて、初めてそれ以外の人々にも共有されるのです。クライミング行為における最も創造的な部分は「ルートファインディング」と呼ばれる、岩や壁を「どうやって登るか?」というプラン作り、みたいな過程だと思います。これは長い経験と実力、センス、ひらめき、それを実行に移せるだけの技量が全て結びついて、初めて可能になる事業であり、だからこそ尊いとされています。(ビジネスに例えると、アイデアだけなら他の人も出せるかもしれないけど、実行に移して成功できるかは別みたいな?)

ある困難な未踏の壁を前にした人が「自分ならこう登る」と思うアイデアを実行し、成功させるまでには、それこそ無数の分岐点が存在し得るし、そのどれを選ぶかによって結果は全く別のものになる。成功に至った一つ一つが独立した新しいルートと呼ばれるべきもので、それは尊重されるべきだと。その「初登者の挑戦に対する敬意を欠いている」のが、ルートを後から人為的に改変する「チッピング」の批判される点であり、同時にそれは長い間、該当のルートを大切に登り、守り、目標やかけがえのない思い出にしてきた人たち全ての心を踏みにじるものだと考えられているからタブーなのです。

何より、地球の気の遠くなるような営みの結果である山が、世界人類共通の財産であるのと等しく、ボルダリングで登られる岩やクライミングの岩壁も世界人類共通の財産のはずです。何十億という歳月の奇跡の結果としてそこにある巨岩を、あるがままに自分の力で登ろうとすること。それこそがクライミングの中でも「フリー(道具を使わず手足だけで登る行為)」の神髄であり、その理念に共感し、自分も参加したいと考えたからこそのクライマーたる所以なのじゃないですか?違うなら別のジャンルに行くべきでは?と。(登山には人工登攀という道具をガンガン使って登る方法もあります。そのへんのクライミング・スタイルの変遷の歴史とかにも触れている、以下少し以前の映画に関連する記事ですが、一個目は一般の方にもわかり易いかと)

うんと単純な話で言えば「いかさま」っぽくない?と。割と雑な例えで恐縮ですが、自ら南極大陸を徒歩で横断する計画を立てた人が、距離が遠いからと途中でヘリを使うようなもの。あるいはゴルフコースでプレイしてる大会参加者が、自分が勝ちたいからとポケットからこっそり別のボールをいくつも出すような。サッカーやラグビーで、自チームだけ人数を相手の倍にしてもらって勝とうとするような。なんかもう、ただひたすらダサいですね…。

こういうのを「ダサいぞ」って初心者の時からちゃんと教えて来れてないというのが、現在のチッピングが続発する惨状に繋がっているのかと思うと、題材にして漫画を描いてた人間としても啓蒙の力になれず大変残念です。。柔道で目つぶしや金的をしてでも勝とうとする人間が出ないのは、そんな事したら即刻「破門」になって業界を永久に追放されるからだと思いますし。「卑劣な手段で得た勝利に価値はない」「正しい力の使い方を学ばない者にはフィールドに上がる資格もない」みたいな道義の伝え方を、格闘技あたりから学んだ方がいいのかもしれません。これ以上の環境破壊を防ぐために。

どうも少し近くにいた部外者として自分の見てきたところ、クライミングの界隈の方というのは大抵がシャイと言いますか…良くも悪くも個人主義者が多くて、自由と自主自立を尊ぶあまり、他人の行いには口を出さずに放っておく、みたいな対応が大多数な気がします。変な話ですが、野球やサッカーの経験者が初心者相手に「お前らが来るとオレ達のグラウンドが狭くなる」とかって、余り言わないと思うんですけど、クライマーの中には「ビギナーが増えるとジムとか岩場が混むから迷惑」「岩場を荒らされるから、いっそ情報は共有しないほうがいい」とか真顔で仰ってる人わりといるので(汗)

気持ちはわかるんですけど、ジャンルの将来の発展とかよりも、自分達だけの半径何メートルさえ守れればそれでいいのかな?って思っちゃいました。そうやってみんな自分だけの楽しさを守って、後から来る新参者を遠ざけた結果、ジャンルの中で共有されるべき「倫理」のようなものさえも、うまく伝えられてこなかった一面も多少はあるんじゃないでしょうか…?などと。

よくクライミングを「自己表現としてのアート」に例える人がいるんですが、自分としては「哲学」のほうが感覚的に近いんじゃないかな?と思っていました。どっちも「世界をどのように見たか?」という問いに対する答えであることは同じかもしれないんですが。「自分はこう見た、その上でこう生きる」みたいな感じ?というか…いまだに中々上手くは言えませんが。。

メディアへの露出も増えてきて、ようやく日本でもクライミングはジャンルとしての成熟を迎えつつある時期なのだと思いますが、ここで相当頑張っておかないと、凄く表層的にオシャレな見た目をもてはやされるだけの流行りのスポーツとして消費されてしまい、本質的な面白さや奥深さが共有されないまま何か別のものに成っていってしまう恐れもあります。関係者には踏ん張って欲しいところです。関係者って、そのジャンルに関わる一人一人全員のことですけどね。。(私は残念ながら既に部外者オブ部外者なので…汗)

そんなことを考えながら書いてたら中々まとまりがつかない長文になってしまったのですが。本当に私がカッコイイと思って、漫画で描きたいと考えたクライマー像がこれ以上、歪められることが無いように心底祈っています。自分の実力の足りなさを何も言わない岩や壁にやつ当たりして壊すような、んなダサいことなんか、して欲しくないんですよ…。どこまでも自分自身の「魂」に恥じることなく、「生き様」としてカッコよくあって欲しいと…。

最後に、そういう自分のクライマーという人種に対する憧れをこれでもかと盛り込んで描いた漫画(完結)から一部をご紹介しときますね。ちょうどと言うのもアレですが、直近のチッピング騒動の舞台になってしまった国内で屈指の有名な岩をモデルにした回がありましたので。ここに載せるのは抜粋ですが、リンク先で有料会員に登録すると、全話いつでも読めるようになりますので。興味が出たら作品のほうもご覧下さい。→オーバーハング!

以下、今回の話題になっている「外岩(そといわ)」のボルダリングを扱った前後編二話からの抜粋になります。(もっと高い壁でロープを使う外岩のクライミングの話もちょうどこの前の章で扱ってましたね、そういえば…)※作者の告知用ブログ等での画像掲載の許諾は編集部から頂いています

(※このお話では特定のルートとは明示していませんが、通常はトポという既存のルート集に掲載されているルート概念図を参考にして登ります)

2020東京で五輪種目に決まってから俄然、周囲が騒がしくなって、不愉快に感じてらっしゃる方もいるのかも知れないな~とは思いつつ。なるべくならクライミング関連では明るい前向きなニュースだけ聞きたいものですね。。特に、人と自然とのつながりが深いスポーツなので、これからの時代にこそますます求められるはずだ、と強く信じている筆者なのです。

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