もとは〜す。思い出の名馬〜メイショウオウドウ〜
こんにちは。もとは〜す。です。
今回は魁!馬券塾ではなく、twiterrでフォローさせてもらってます
メイショウマリコさん
https://twitter.com/meisyomariko
のツイートを拝見し、書かせてもらいました。
「思い出に残っている出来事があります」
✓2006年5月28日第73回日本ダービー
現在では疎遠になってしまったが、知り合いに競馬関連の報道の仕事をしていた方がおり、たまたまダービーのレース前に記者達が座る記者席に入らせていただきました。
東京競馬場の記者席は6階指定席の上の7階エリアにあり、隣は馬主席となっていました。
A指定席のように外にでで観戦できるようなスタイルで、隣の馬主席も見渡せるようなところでした。
レースがはじまると、興奮してしまい覚えていないのですが、メイショウサムソンが1着でゴール版を駆けぬけた時、馬主席の方をみると大勢の方が抱き合って喜んでいました。「やったー!」とゆう声の先には、あの松本オーナーがいらっしゃいました。
長年、馬主をやられてる方でもダービーは、特別なんだと感じました。
1990年代はメイショウホムラ、メイショウテゾロ。
2000年代前半はメイショウドトウ、メイショウボーラー。
2000年代後半はメイショウサムソン、メイショウカイドウ。
2010年以降から現在までもメイショウマンボなど
記憶に残る名馬達をターフへ送り出している松本オーナー。
私の思い出のメイショウの冠馬は
✓メイショウオウドウ
オールドファンにはメイショウドトウの方が馴染み深いでしょうが
この時代はテイエムオペラオー、ナリタトップロード、メイショウドトウの三強時代でした。
メイショウとゆうとメイショウドトウの方を連想してしまいますが
私にとっては"メイショウ"ときたら、メイショウオウドウが思い入れ深いです。
血統は父サンデーサイレンスと良血ながら、遅咲きの馬で、3歳時には惨敗するレースもありました。
レーススタイルも後方待機で展開に恵まれた時は好走するが、惨敗も多かった馬です。
✓飯田祐史
現在は調教師で騎手時代のメイショウオウドウの主戦騎手でした。
現代はすぐに乗り代わりになる時代で、想像つきませんが、この馬は2000年の有馬記念以外は、デビューから引退まで飯田騎手が手綱をとっていました。
ベストレースにあげるとすれば
✓2001年鳴尾記念
この年のクラシックを沸かせた3歳馬アグネスゴールドと名手河内騎手。
マイルCS1人気から巻き返しを狙う、ダイタクリーヴァには天才武豊騎手が騎乗。
この2頭を差し置いてまんまと会心の逃げ切りを したのがメイショウオウドウと飯田騎手のコンビでした。
普段は後方からレースを進めるオウドウでしたがこの日は積極的にハナをきるレース展開。
一歩間違えれば折り合いをかいてしまい度胸がいると思いますが、2頭の追撃を鼻差しのいで1着。
しかもメイショウオウドウはお父さんの飯田明弘調教師の管理馬でした。
引用: Rustom Mahal さんのYou Tubeより
同じ騎手を乗せ続け、預ける厩舎もお父さんの厩舎、さらに息子が調教師になっても厩舎に預ける、義理硬さはとてもファンとしても嬉しく、応援したくなります。
✓人との繋がりを大事にする松本オーナー
関係者の方々からの信頼関係を築きあげ制覇するのも格別な喜びではないでしょうか。
この後、調教師となり、武幸四郎騎手(現調教師)鞍上でメイショウマンボでオークス制覇を成し遂げるのはまだ先のこと。
これからもたくさんの記憶に残る馬が、メイショウの冠であるようにと、一ファンとして応援し続けています。
もとは〜す。
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