本と僕と彼女(3)

親の仕事の都合で、高校二年の終わりに僕は引越しをした。引越し先は県内ではあったけれど、直線距離にしても百キロほど離れていたので、気軽に会うことはもう出来なくなる。そう思うと、僕は彼女に何か言うべきだと思った。けれど、最後まで上手く言葉にならなかった。別れの日も、「元気でね」という彼女に、ただ笑いながら頷いて手を振ることしか出来なかった。

本当に言いたいことはいつだって分からなくて、ただ伝えたいという思いだけが先行する。だから、当人を前にしても出てくる言葉は必要最低限の言葉だけだった。

その後、僕は都内の私立大学に進学した。風の噂で、彼女は地元の公立大学に進学したと聞いた。

単純な接触の効果。大学の社会心理学の授業で習った。言葉通り、人は何度も同じ他者と会うとその他者について好感を持つようになる。ただし、その相手に対し、元から嫌悪を持っていない場合に限るけれど。僕と彼女の場合も例外ではなかった。距離が離れてしまえば、彼女と会う機会もなく、連絡を取ることもしなくなり、やがて、まったくコミュニケーションが無くなった。当時、僕がまだ携帯電話を持っていなかったことも、多少は影響していたかもしれない。それでも、連絡を取ろうと思えばいくらでもその手段はあった。けれど、それをしなかったのは、単に僕が大学生活の方に興味をシフトさせたからに他ならない。

大学生になって、僕は卓球部に入った。それまで卓球をやったことは無かったけれど、運動不足の解消のために始めてみることにしたのだ。やってみると、サーブの際のスピンの掛け方や、スマッシュやドライブの打ち方など、思っていた以上に難しかった。けれど、それらを習得するために部員仲間と練習することは意外なほど楽しかった。努力すれば少しずつ身についていくということが実感できたからでもあった。中学、高校生の時には感じることがなかった本当の楽しさというものを僕は感じていた。

高校生活は僕にとって既に過去の思い出と化していた。それでも時折、彼女のことを思い出した。しかし、それもまた毎日を生きていく中で、やがてその回数も減っていった。

大学生活はあっという間に過ぎた。当然、都内の会社に就職するものと思っていたが、その年は就職率が過去最低を更新するなどしていて、就職先がなかなか決まらなかった。親にそのことを相談すると、

「一度こっちへ戻ってきたら?」

と、妙に優しい声で話すものだから、僕は地元に戻って就職活動をした。幸運にも、地元では有名なIT関連の会社に就職することが出来た。締め切りギリギリで卒業論文を仕上げて大学を卒業し、会社の近くにアパートを借りて、社会人としての生活を始めた。

学生時代に無尽蔵にあった自由な時間は失われ、ただ毎日を消化する日々が続いた。かと言って、それがストレスになるわけでもなく、思いのほか、仕事に対してやる気を持てていた。

そんな社会人二年目の夏。久し振りに、地元の市立図書館へ本を借りに行った。社会人になってから、めっきり小説を読んでいなかった。その反動からか突然、昔読んだあの本を読みたくなったのだった。そこで、彼女と偶然再会したのだ。

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