本と僕と彼女(4)
久し振り過ぎて、なんだか僕はテンションが上がっていた。彼女もそれは同じだったようで、6時以降なら仕事が終わるから食事でもどうか?と切り出してきたのは彼女の方だった。
6時までまだ時間がある。僕は彼女が指定した近くの喫茶店で暇を潰した。窓際の席に座り、ぼんやりと外を行き交う人並みを目で追いながら、図書館で借りた本を読んでいた。それは僕が彼女に興味を持つきっかけになったあの本、『人生論』だ。今、改めて読むと、当時の認識とは大部違う印象を受ける。やや宗教的な内容・・・・・・例えば輪廻のような記述がある部分が、今の僕にはどうしても受け入れられなかった。当時、僕がこの部分をどう思い、読んでいたのかはもう分からない。
過去を振り返って一様に、よかった、わるかったなんて言えるわけない。僕たちは、日々、この瞬間も数え切れないほどの感情、想いを抱いて生きている。それが表出するかしないかは別として。そんな日々を繰り返しているのに、安易に過去は楽しかったとか、大変だったとか一言二言で片付けるのは過去の自分に対して失礼だと思う。唯一確かなのは、昔と今では、同じ本を読んでも受ける印象が異なっているということ。けれど、そういった印象を差し引いても、この本は少しも色あせることなく、僕の心に何か言葉に出来ないものをもたらしてくれる。ただ、漠然とした、言葉に出来ない、けれど素敵な感覚を。
「ゴメンなさい。待ちましたよね?」
顔を上げると、彼女が少し息を切らしながら立っていた。腕時計を見ると、6時を10分ほど経過していた。
「そんなことないです。急がなくても、ゆっくり来てくれて良かったのに」
僕はやや緊張しつつも微笑んで言った。丁寧語でお互い話しているのが妙に可笑しかった。彼女も少しして、それに気付いたようだった。
「なんか、変だよね・・・・・・普通にタメで話そっか」と笑いながら言い、僕の向かいの席に座る。彼女の顔を正面から見るのが恥ずかしく、僕は視線を脇へ逸らし「そうだね」と言った。
「それにしても本当に、偶然の再会ってあるんだね。まさか、図書館の司書になっているなんて思わなかったよ」テーブルの隣にある観葉植物を眺めながら僕が言う。
「ホントだよね。高校以来・・・・・・だよね?懐かし過ぎるなぁ・・・・・・さっき、智希に会ってから色々思い出しちゃった。ねぇ、智希は今何してるの?」
ふと彼女に視線を移すと、興味深そうな瞳が僕をじっと見つめていた。僕は少しドギマギしながら、
「普通に会社員だよ、IT関係の」と何気なさを装って言った。
「そっかぁ、でもお互い既に社会人だなんて笑っちゃうよね。あの図書館でくだらないこと話したり、読書量を競い合ったりしてたのが、ついこの前って気がしちゃうよ」
「ホントだよな・・・・・・」
その時ウェイトレスが、彼女の分のオーダーを取りに来た。彼女はそれを申し訳なさそうに丁寧に断った。
「ねぇ、お腹空かない?」と彼女が僕に尋ねた。
「うん、正直、空いてる」
「だったら美味しい中華のお店が近くにあるから行かない?」
「お、いいね」
僕の返事を聞くと彼女はさっと立ち上がり、僕の方に回り込むと背後から僕の肩をとんとんと叩いた。突然のことに僕は戸惑った。
「なんだか肩たたきしてほしそうな顔してたから」と笑いながら彼女は言った。
「さあ行くよ〜私お腹ペコペコだから急いで」
正直に言うと、やさしく肩を叩かれた瞬間、胸の鼓動が急速に速まった。そのことを彼女に悟られまいと、懸命に笑顔を向けた。
それから僕たちの仲が深くなるのにそれほど時間は掛からなかった。高校生の時には、彼女と恋愛に発展することはないと思っていたのだから、不思議ではあった。けれど、一度恋人同士になってしまえばそれは至って自然に思えた。
お互い、一人暮らしをしていたけれど、週末はたいてい僕のマンションに彼女が来ることが多かった。あえて時間が掛かる料理を二人で協力して一日がかりで作ったり、今日はホラーの日と名付けて、ホラーのDVDばかり借りて部屋を真っ暗にして、二人肩寄せ合って見たりした。
彼女の存在は、僕に穏やかな安らぎをもたらした。これまで僕は、常に漠然とした虚しさをどこかでずっと抱えていた。仕事をしている時も、友人と話している時も、どこか心に空虚なものがひんやりと佇んでいた。しかし、その感覚は、彼女といる時だけ自然と消え失せていた。
彼女の行動一つひとつが、全て愛しく思えた。どんなに愚かなことをしていても彼女なら許せたし、月並みだけれど、彼女のためならどんなことでも恥ずかしげもなくすることが出来た。
彼女と離れている間は、常に彼女のことが心のどこかを占有していた。彼女も今、仕事を頑張っているのだと思うと、自然と自分も仕事を頑張ろうと思えた。彼女は僕の中でかけがえのない大きな存在となっていた。
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