本と僕と彼女(5)
「そういえば、なんであの時、『人生論』読んでたの?」
ある曇り空が広がる日曜日。僕と彼女は、家の近くのカフェでのんびりと本を読んでいた。その時、唐突に僕は『人生論』のことを思い出したのだ。 彼女は最初、首を傾げていたが、僕が当時のことを説明するとすぐに思い出したようだった。
「ああ、あのよく分かんないやつね」と、彼女は苦笑いした。そして、一口、自分のカップに口をつけてから言った。
「なんでだろう・・・・・・自分でもよくわかんないんだよね。たまたま、書棚を眺めてたら『人生論』なんて難しそうな本があったから、手に取ってみたのかも。でも、どうして今更そんなこと聞くの?」
「いや、ただちょっと気になっただけだよ」
僕は彼女の返答に、多少の失望を感じながらも、自分自身が過度の期待をしていたことに気づいた。彼女にとって『人生論』は特別なものではなく、これまで読んできた本の1冊に過ぎなかったのだ。人それぞれ感じ方は違って、それはきっと僕と彼女との間でもそうだろう。違って当然なのだ。例え、どんなにお互いを求めていても結局は他人なのだから。その違いによって、もしかしたら喧嘩をしたり、一時的に彼女を憎んだりするかもしれない。けれど、そういうことさえも、彼女とならきっと乗り越えていけると思った。
「どうしたの?また考え事?」
「ん・・・・・・まぁそんなとこかな」そう答えて外を見ると、いつの間にか曇天から一筋の太陽光が降り注いでいた。
「わぁ、きれいだね。よし、今から動物園行こうよ!」
「え、今から?」
「そうだよ!早く早く!」
彼女は既に立ち上がって僕の腕を引っ張っている。
「分かったから、ちょっと待って」
僕は笑いながら、カップに残ったコーヒーを飲み干した。
カフェを出て、手をつないで歩く。彼女の小さな手を少し強く握り締めると、彼女も同じように握り返してきた。かと思うと突然その手を振り払い、僕の数歩前に歩み出た。そして呆気に取られている僕の方を振り返り、
「トルストイ、最高だよね」と笑顔で言って先に走り出した。
ということは、彼女はさっき・・・・・・そんなことを思いながら、僕は彼女の背中を走って追いかけた。見る見るうちに距離が縮まっていく。すっかり騙されたようで悔しいけれど、振り返る彼女の得意そうな顔を見て何故か怒る気持ちが失せてしまった。でも追いついたら、彼女にとっての『人生論』をたっぷり聞かせてもらおう。彼女にとって、あの本がどれだけ特別だったのかを。
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