本と僕と彼女(1)

自分のために生きるべきだろうか?だが、自分の個人的な生命は悪であり、無意味ではないか? 家族のために生きるべきだろうか?共同体のためにか?いっそ祖国か、人類のためにか?しかし、自分個人の生命が不幸で無意味だとすれば、あらゆる他の人間個人の生命も同じように無意味なわけだから、そんな無意味で不合理な個人を数限りなく寄せ集めてみたところで、一つの幸福な理性的な生命をも作ることになるまい。――『人生論』トルストイ 原卓也訳、新潮文庫 1

「返却は、二週間後の八日になりますので・・・・・・」 

その声を聞いた時、僕はしばし茫然として、彼女のその長く真っ直ぐに伸びた髪に隠れた白い顔を見つめた。ほっそりとした顔に黒のセルフレームの眼鏡がよく似合っていた。 

「もしかして、由比さん?」そう僕が呟くと、彼女は改めて僕の顔をまじまじと見て、あぁ、と驚き目を丸くした。

僕が住んでいる町には、一応、町営の図書館があるのだけれど、お世辞にも本の種類が多いとはいえない。だからよく隣の市の市立図書館に通っていた。とはいえ、借りる本は専ら小説ばかりだった。幼い頃から、小説ばかり読んでは暇を潰していた。日本の有名な作家の本は、夏目漱石の『こころ』を読んで以来、毛嫌いしている。僕が読むのは、現代小説ばかりだった。ジャンルは特に限定しないが、なるべく明るい内容のものを選んで読んだ。暗過ぎる現実世界から、目を背けたくて仕方なかったのかもしれない。中学の三年間は毎日虐められていた。身体も小さく少し太っていたので、よくからかいの対象とされた。けれど、上履きを隠された時も、教科書に落書きされた時も、特に何もしなかった。誰にも打ち明けなかった。幸いに、上履きは探したら、すぐ近くの花壇に無造作に放置されていたし、教科書の落書きも、鉛筆で書かれていたのですぐに消すことが出来た。つまり、それほど深刻ではなかったのだ。だからと言って、それが何でもないという振りをするのには随分と苦心した。

僕には圭太という弟が一人いた。彼は、昔から身体の線が細く目が大きかった。どちらかと言えば、顔も整っていた。幼い頃、母親はよく弟に「圭太はモデルになれるね」なんて、話していた。その言葉は僕にはついに一度も放たれることはなかった。かと言って、彼女が僕に対してひどい仕打ちをしてきたとかそういうことではない。ただ、この世界には、人を見た目の美醜で判断することが良しとされていて、醜い人たちは常に美しい人たちに対して優位に立つことは出来ないのだと僕はその時、悟った。どんなに努力しても変えられないものがある。努力しないでそれが手に入っている人たちは、きっとその幸福に気付かない。この世界は不平等で、ある一定の人たちだけが甘い蜜を吸うことが出来る。一つ確かなのは、僕がその蜜を味わうことは一生ないということだ。

元々、一人が好きだったが、いじめをきっかけにますます一人でいるようになった。一日中誰とも話さず、何も問題は無いという顔をして、授業を受け、帰宅して、小説を読んで、家族とも特に会話せず一日を終える。そんな毎日が三年間続いた。

高校生活は、過去の自分との決別をすることを誓った。また三年間、孤独でいるということをしていたら、僕はいつか自ら命を絶ってしまうかもしれないという危機感にも似た思いがあったからだ。これまでの経験から、最初が肝心だということは分かっていた。僕は始業式の時から、積極的に周りの人間に話し掛けた。普段は真面目な顔をして、時々自分の身体を卑下したユーモアのあることを適当に言っておけば、日々は驚くほど軽やかに過ぎていった。だからといって、毎日が充実していたわけじゃない。いつも周りに適当に合わせていたから自分を見失いそうだった。けれど、昔に逆戻りするのは嫌だったから、僕は自分自身を封印したのだ。今でも高校時代を思い出すと、楽しかったということだけが漠然と思い浮かぶ。本当は「楽しい高校生活を送る自分」を演じていたに過ぎないのだけれど、それを真実としてしまうことにしたのだ。

高校二年の時、僕は彼女と出会った。僕が通っていた高校は県内有数の進学校だったので、放課後に学校の図書館で残って勉強する生徒は沢山いた。僕も例に漏れず、数少ない友人の田中とよく参考書片手にその図書館で勉強をしていた。

「おい、あいつ知ってる?」田中が、目で合図する方を見ると、一番奥の席に、一人で座っている女子がいた。肩まで伸びた髪は真っ直ぐで、背筋もぴんと伸びていて、どこか凛とした清清しさを感じさせた。

「あんな奴、いたっけ?」僕は参考書のページを繰る手を止めて言う。

「3組に入った転校生らしいぜ。結構、かわいいよな?」

「そうか?俺は別に」と言いながら、僕は彼女が読んでいる本の表紙にさりげなく視線を移した。その瞬間、「あ・・・・・・」と思わず声が漏れた。

 「ん?どうしたんだよ?」田中が少し驚いたように僕に尋ねる。

「いや、なんでもない・・・・・・でも、あいつ、すげぇな、明日から期末テストなのに、優雅に読書かよ」

「あぁ、確かに。もしかしたら、うちよりもランク高い学校にいたのかもしれないな」 

正直に言って、彼女が勉強出来るか出来ないかなんて、どうでも良かった。僕は驚いていたのだ。彼女の読んでいる本が、トルストイの『人生論』だったことに。この本は、僕が中学生の頃に読んで、感銘を受けた本だった。普段は現代小説しか読まないのだが、たまたま図書館の文庫の棚にあったのを見掛けて手に取った。小説ではないこの本がなぜ小説の棚にあったのかは今でも謎だ。

中学の時、僕は、あえいでいた。まるで、魚が陸に打ち上げられてしまったかのような息苦しさが、朝から晩まで続いていた。何度も生まれてきたことを後悔した。早く大地震でも何でも来て死んでしまいたいと思っていた。そんな時、この本を読んだ。最初はやけに難しいことばかり書いてあって、さっぱり意味が分からなかった。けれど、読み進めるにつれて、僕は一気にこの百年以上前の本にのめりこんでいった。

結局その日は、彼女のことが気になってなかなか勉強が捗らなかった。彼女がページを繰る度に、ちらちらと視線が彼女の方へ彷徨うことになった。


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