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書くことは孤独である ポール・オースターの訃報を目にして

書くことは孤独である。
ポール・オースターが『孤独の発明』に記したそのことの意味が長い間、わかるようでわからなかった。
40歳を過ぎ、本を書く日々を送るようになり、その事がなんであるのかを身をもって感じていることは、多分良い事なんだろう。

彼の作品を初めて読んだのは、高校生の頃、電車通学の途中で退屈だったからだった。
『鍵のかかった部屋』という小説で、作家の名前もよく知らないが、まあサリンジャーの『ライ麦畑で捕まえて』を出している出版社のシリーズだからハズレはないだろう、と思って読んだのがきっかけだった。
だが、その内容はハズレなかったという程度のものではなく驚くべきものだった。

男はある人物を追う。
追う事は、相手をよく知らねばできない。彼の足跡を辿り、彼の見たであろうものを見ることを通じて、彼のように考え、感じるようになる。その時、私は何者であったのかを喪失していることに気がつく。

その物語の展開は鮮やかである。物語の面白さに魅了されたのだとその時は思った。
だが、今になって思うがそうでは無かった。
主人公の男が自らを喪失する事の意味は、人間が生きる上での果てしない孤独、何かを行おうとする事に避け難く付きまとう、生きる事のあの不確かさである。

オースターは『孤独の発明』において、聖書のヨナ書の物語を取り上げながら、人間の孤独について考える箇所がある。
ヨナのように、人間は自らの行いの孤独の中で生きている。
その孤独において紡がれる言葉の中に、それを記憶する人の中に、「私」なるものが立ち現れる。

ならば、彼の死を悲しむ事はもうこれまでにしよう。
明日は彼が新たに紡ぎ出す言葉に出会えないのだとしても、彼が紡いだ言葉を通じて、あるいは、言葉を紡ごうとする私の孤独の中で、私は彼と日々再び出会うのだから。

ポール・オースターの訃報を知った日
1May2024

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