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藤岡康太騎手の死去に関して思う事…

どうも、MOTOです。


先週、競馬界にはとても悲しいニュースが駆け巡りました。

ナミュール、ジョーカプチーノでGIを制した藤岡康太騎手が落馬による負傷でお亡くなりになりました。

先週のメルマガで取り上げようと思ったのですが、なんだかただ感情をぶつけてしまうだけの文章になりそうだったので1週おきました。

今回は藤岡康太騎手の死去について感じた事を取り上げてみたいと思います。


藤岡康太騎手はまだ35歳

私よりも一回り下という事でこれから楽しい人生を過ごせていたかと思うととても胸が苦しいですよね。

特に突然亡くなったとなるとより大きいショックを受けてしまいます。

私達は年齢を重ねれば重ねるほどに多くの人の死に対面していきます。


そういう場面に立ち会った時、私はこう思います。

「人生を丁寧に生きたい。1日1日を大切に生きたい」


婚姻時、義父が事故でなくなってしまったのですが、人の命ってどうなるか分からないんですよね。

もちろん突然亡くなる事は確率的には高くないのですが、自分が何の心配もなく80,90歳まで生きられると思っていると今現在を雑に扱ってしまいがちです。


この前、友人と話していた時に

「いつか2人で旅行にいきたいよね」

みたいな話になりました。

その時に「夏休みとかで調整して行こうよ」と言ったのですが、「今は無理だよ」と言われました。

友達の奥さんに相談したうえでダメだったらまだ話は分かるのですが、話すらせずに勝手に諦めてしまうんですよ。

仮に1年後に自分が死ぬって分かっていたらどうでしょう?

きっと行く方向で調整を始めると思うんですよね。


この行動の違いは何かと言うと「時間の重みの違い」です。

潜在的にずっと生きていけると思っているから今を雑に扱ってしまうんですよね。

当然、状況的に出来ることと出来ないことはあると思いますが、状況的に出来る事すらやらないという選択をしている人が圧倒的多数だと思います。


人が亡くなった時って数少ない自分の人生の大切さを考えられる機会だと思うんですよね。

亡くなるという事は、これからの可能性を失くしてしまったという事と同義だと思うので、自分の可能性を最大に活かして生きる事が亡くなった方の分まで生きるという事なのかなと思っています。

可哀想だと言っても状況は変わらないですし、時間と共に忘れ去っていくだけです。


自分の人生に亡くなった方が失った可能性を自分に取り入れる事が、供養になるのかなと私は思いました。


さて、今週はフローラステークスとマイラーズカップ


先週はジャスティンミラノの単勝で的中!

今年のGIは皐月賞、桜花賞、高松宮記念で的中と絶好調です。

今週はGIではありませんが、レースを楽しみたいですね。


マイラーズカップはソウルラッシュらGI級の馬が出走しますが、開幕週と言う事で前残りが顕著なレース

人気薄の逃げ馬を狙う事が定石なので、トゥードジボン に注目しています。


それでは、良い週末を!!

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