見出し画像

ドラマ「ビッグ・リトル・ライズ」にみる女性の強さと男性の愚かさ。

最近Netflixのドラマばかり続いたのでAmazonプライムで観た「ビック・リトル・ライズ」。前から気になってたドラマなのですが、ニコール・キッドマンリース・ウェザースプーンだけではヒキが弱いと思ったのか「セレブママたちの憂鬱」と言う日本語サブタイトルに躊躇してしまっていましたが下にリンクの貼った柴田あずささんのnoteの紹介文で観てみようと思いました。

舞台はカリフォルニア州モントレーシングルマザーモントレーに移り住んで来たばかりのジェーンシャイリーン・ウッドリー)が、小学校の初登校に車で子供を連れて行く途中で、マデリン(リース・ウェザースプーン)との運命的な出会いからストーリーは始まります。それにマデリンの友人のセレステ(ニコール・キッドマン)が加わり、仲良しママ友3人組になるわけですが、三人はそれぞれに複雑な問題を抱えているのです。

画像1

そして、その6ヶ月後、小学校の父母による寄付金集めのパーティーで事件は起こります。第1話のタイトルは「誰かが死んだ」。そう、このパーティーで登場人物の誰かが死ぬんです。誰が被害者で誰が加害者なのか?謎に包まれたまま、6か月前に遡って初登校の日から物語は始まります。
この手法「殺人を無罪にする方法」など多くの連続ドラマで使われている手法ですが、これによって何気無い日常の家族の生活に潜む狂気に観てる私たちも敏感になってしまうんです。

全ての始まりは学校で初めて会った日にレナータローラ・ダーン)の娘アマベラが誰かに首を締められるという事件がおきる(子供同士の戯れ程度ですが)。それをジェーンの息子ジギーの所為にされるところから母親同士の対立の構図がはじまるんです。
ただ、このドラマに登場する家庭がシングルマザージェーン以外、かなりのセレブぶり。みんな海辺のとんでもない贅沢な家に住んでるんです。モントレーってそんな場所なんですか?
寄付集めのパーティも子供の誕生日の様子も名門私立小学校のイメージなんですが、ジェーンマデリンの会話の中に「教育が無料で受けられるんで」のような台詞が会ったように記憶してるんで、優良公立と言われるところなんでしょうね。(自分に子供出来るとこういったことに敏感になりますねf^_^; )こういった状況だと家庭毎の収入格差がストーリー上の大きな意味を持ってきそうですが、めっちゃセレブなレナータがシングルマザーのジェーンを責めるときにも貧富の差に関しては話題にしません。ただ、視聴者の多くはジェーンの味方になるでしょうね。そういったセリフには現れないけど映像のディテールで表現する手法は上品ですね。

さて、ここまで読んで観る気になった人は、ここから先はちょっとネタバレを含んでるんで観た後に読むことをお勧めします。

画像2

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

実は最初に見終わった時には第1話最終回の第7話が濃くて、その間の5話分は2話ぐらいにまとめて全4話くらいの方が良いのに。と思っていました。それは「誰かが誰かを殺した!?」という初っ端の引きつける設定が、結果を急いでしまう男性的な心理として、真相に動いていかない展開に焦れったくなっちゃうんですよね。ただ、見終わってから時間が経つにつれて、その間の登場人物の小さなエピソードが意味を持ってたことに気付いてシーズン2への期待が高まります。これは2時間前後の映画では表現できないことでしょうね。

特にニコール・キッドマン演じるセレステの夫婦関係は、いつもちょっとしたイザコザから暴力的な喧嘩になり、最終的には激しいSEXに移行するという定番パターンで、「あぁ、いるいる、こういう夫婦。しかし、美男美女だと絵になるなぁ。」ぐらいにしか思ってなくて、実際に自分の周辺でもそんな関係でも結婚して子供もいるというケースもあって、愛の確かめ方もいろいろあるな、ぐらいにしか捉えていませんでした。
そんなセレステも夫の方からカウンセリングに行く事を言い出し、ふたりでカウンセラーの元に向かいます。そのカウンセラーが、徐々にセレステの家庭に潜む闇の部分を紐解いてゆくんです。それと呼応する様に映像の撮り方と編集にも変化がみられて、二人の関係性が不穏なものだったと露呈していきます。
そうなんです!私たちは物語の全てを見てるわけじゃないんです。それがこのドラマのテーマにもなっていて、時間軸に沿って進行していく描写と、事件後に警察の訊問に対して証言して行く人々が平行して描かれる訳ですが、その証言が主観的で好き勝手さまざまな言葉が飛び交うのです。その情報のカケラから観客も被害者や加害者を想像していくわけです。

ヒット作は時流に乗れるかというのも大きな鍵になります。当時ハリウッドの大物プロデューサーのセクハラ問題 #Me Too運動などが広がりを見せていた時期。このドラマで描いて行く世界観も見事に呼応している。主演のニコールとリースは自らプロデュースし、自分たちの制作会社で作る事でヌードや過激なベッドシーンがあるこのドラマを美しいものに仕上げています。
脚本も女性だろうと思いきや、クレジットを見るとデビット・E・ケリー。そう自分が最初に海外連ドラにハマった作品「アリーmy love」の脚本家で、こんなにも女心が分かる男性はいないのではないだろうかと思うほど繊細なシナリオを書く作家です。

しかし、こういったドラマに出て来る男性は、いつも決まって単純で浅はかですね。まあ、でも、それが図星なのかもしれません。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?