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当事者の時代 「全部自分でやる」 主体性の時代

遅ればせながら、例のモデルのKaoRiさんによる荒木さん告発の件について、契約等もろもろの件はちょっとおいといて、いくつか気づいたことを。

テクノロジーの進化、スマートフォンが出現したことで、写真の概念が大きく変わってしまった。少し前なら、タレントやモデルになりたいなら事務所に所属して、カメラマンに宣材を撮ってもらって売り込み、雑誌の取材で(カメラマンに)写真を撮ってもらい、ライターにテキストを書いてもらって、テレビに出演して映像を撮ってもらう……。マスメディアで生きたいなら、嫌なこと理不尽なことに対する「我慢」は ”まことしやかに" 当然のこととされていた。

それが今はスマホで自撮り、映像を編集、テキストを書いて、SNS、you-tube、ブログで拡散。かつてのように「その道のプロ」による映像化、テキスト化が不要になり「大先生にやってもらう」必要がなくなったとき、魔法は溶けてしまった。

「撮る/撮られる」から、自撮り。「搾取する/搾取される」から、自作自演。少々つたなくともリアルな分、そっちのほうが伝言ゲームより共感を呼ぶ。そりゃ添加物入りより、混じり気のない純度の高いメッセージのほうがいいよね。かくして「見る/見られる」の関係が「見る=見られる」となった今、多くのタレントが独立をするのも当然の流れなのだと思う。理不尽なことが起きにくい分、「全部自分でやらなきゃならなくなった」。

マス業界どっぷり、人にやってもらうことが当然だったわれわれ世代は、家事を任せきりの奥さんに逃げられた旦那のような状態だ。例のエンブレム事件以降、「顔が見えない」ことは信用に値しないのだと思う。週刊誌のスクープに対しても「それってあんまりじゃ」と疑問視する人が増えたように。当事者として顔出す時代はゴシップなんてやらない。黒子文化は通用しなくなった。もはや「自分で決める」責任から逃れられない。 SNS世代からすれば当然のことが、レガシー世代にとっては大問題。覆面つけておこぼれに肖ることはもうできない。https://www.j-cast.com/2018/04/13326144.html?p=all

これは都市も地方も変わらない。当事者が主体的にものづくりをすることが、一番強く遠く届けられる。ものすごく魅力的なキーパーソンがいれば、その人をめがけて人が集まる。もちろん彼ら(彼女ら)は自作自演で外の地域と軽やかにつながれる人たち。その、依存をしない聡明でおだやかな佇まいは、オンラインから透けて発信される。まちからキーパーソンに入るのでなく、キーパーソンからにまちに入る(これ重要)。人々は彼ら(彼女ら)に会いにまちを訪ねる。逆にどれほど自治体が熱心にまちづくりに取り組もうと、「主体」……キーパーソンが見えないまちは、うまくいかない。個人からまちに入る時代、観光情報はもはや重要ではない。

しかし、まだまだ、多くの(大手)出版社やメディア関係者はSNSを触ろうとしないらしい。そういえばカメラメーカーも広告PR以外やらないけど、やったほうがいいんじゃないかなと思う。「ウェブ/紙」「スマホ/カメラ」……牽制しあうよりも、レガシー側がもっとニューメディアに歩み寄り使いこなしてこそ、幻冬舎とニューズピックスみたいに親和性を見出して、共存できるのに。「見る/見られる」「マス/ソーシャル」「ローカル/グローバル」これらは相対立するものでなく、お互いに補い合う関係だから。

必要なのはその人、当事者であることだけ。

 #KaoRi  #荒木経惟   #写真 #metoo    #ローカル 

#コミュニティ   #クリエイター  


 



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