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割り箸の使用は自然破壊なのかエコなのか?

日本国内での割り箸の年間消費量は約258.8億膳にのぼり、一人当たりの年間消費量は約200膳という計算になります。そのうち97%は輸入材、さらには輸入量の99%が中国産です。

そこで以前話題になった、中国産の割り箸問題。

冒頭には「中華スープに割り箸をつけたとき、モワッと何か白くにじみ出るのが見えた。」ここを読んで、ああ、このニュースが週刊誌やネットの世界でよく紹介されているな、と思った人がいるかもしれない。中国製は食品だけでなく、割り箸も危険なんだ。と。

「上海のレストランで食事をしていた一般客が、割り箸を澄んだスープに入れたら、瞬く間に濁ったことから発覚。報告を受けた当局が調査のために割り箸を水槽に入れたら、元気に泳いでいた金魚が、ぷっかり浮かんできたそう」「中国産の割り箸には、製造過程で強力な防カビ剤や、見栄えをよくするための漂白剤等が大量に使われています。しかも、ほとんど洗浄されずに出荷されているため、人体に有害な薬品がこびりついたままなんです」

とても、残念な記事です。相当前のネットニュース記事が今なお取り上げられている現状。これはネットで公開されたもので、私も目にしたことがあるから、いくつもの媒体で取り上げられているのは間違いない。いずれも伝聞で場所も時もはっきりせず、そして匿名だ。

割り箸危険論の登場を探ると、日経ビジネスオンラインにも割り箸の記事がある。これは中国・キタムラレポートで、ちゃんとネタ元を記している。こちらで問題にしているのは割り箸の品質保証期限の遵守だが、その中で割り箸の中には「漂白」や「乾燥」「艶出し」、そして「防カビ」に化学薬品などを使っているケースがあることも記している。この内容は全体にしっかり取材した様子が伝わる。

割り箸批判の起源をたどると、かなり古い。古くは、1940年に軍から出た「割り箸不要論」である。それは軍船をつくる木材が不足しているのに、割り箸のように木材を使い捨てしているのがケシカランという内容であった。木材は軍需物資であり、無駄遣いを嫌われたのだ。

だが、政府による調査も行われて、割り箸は製材時の端材から作られていることがわかると鎮静した。戦後は1960年代から幾度も「使い捨ての割り箸はもったいない」と割り箸不要論が起きる。たいていマスコミが火をつけて、一時は盛り上がるが、数カ月で鎮静化する動きの繰り返しだ。これらは、皆「使い捨て」の是非がテーマであった。

その根底には、割り箸が日本の森林を浪費しているのではないかという認識がある。少し様子が変わるのは、1989年に公表されたWWF(世界自然保護基金)の「割り箸が熱帯雨林を破壊している」という資料。正式なレポートではなかったが、一度報道されると、またたくまに広まった。国内の森林ではなく、海外の森林を取り上げたところに「新しさ」がある。

しかし、割り箸は熱帯地域の木で作られることはほとんどないことがわかる。そこで次のターゲットとなったのは、中国の森林であった。日本の割り箸の多くが中国産であることが知られだしたからだろう。割り箸が中国の森林を破壊しているとした。(もっとも、現在の中国産割り箸の多くは、ロシア材を使っている。)以後、1990年代に割り箸批判は強まるのだが、そこでは「割り箸は森林破壊」がテーマとなった。

それもやがて鎮静化するが、2005年に再び火がついた。それは中国の要人が「割り箸を全面禁輸する」と発言したことからだった。つまり割り箸を使えなくなることを危惧して、割り箸の代わりに塗り箸を使おうという運動になったらしい。その理由としては、やはり世界的な森林の減少が指摘された。もっとも、全面禁輸はまったく実行されなかったのだが。

ただし、割り箸の消費量は激減した。2007年当時に年間約250億膳使われた割り箸は、現在190億膳程度である。代わって増えたのは、塗り箸ではなくプラスチック箸だ。主に外食産業が割り箸から切り替えたからだ。石油製品であるプラスチックは、環境破壊ではないと考える人が増えたのだろうか。

ここ数年、またもや割り箸批判がぶり返し始めた。今度のテーマは「環境」というより「安全」である。とくに中国産に対する攻撃だ。中国の食品に次々と起こる安全疑惑に連動するかのように割り箸批判も起きている。

ちょうど毒入り餃子事件やメラミン粉ミルク事件が起きたりしたことが、中国の食品擬装が問題となり、中国の食品は、残留農薬や添加物がいっぱい、不衛生な製造過程である、と怒涛のように批判された。すると一緒に割り箸も取り上げられるのである。どうやら割り箸危険論は、繰り返し登場する都市伝説のようなものらしい。

ただし、時代に合わせて理由は変わる。単に「木材がもったいない」だけでなく、森林破壊になったり、安全になったり。

「ファストフード店のハンバーガーに使われているのはミミズ肉」という都市伝説が、ときにネズミ肉になったり、3本足のニワトリになったり、中国産期限切れ肉になったり(あ、これは伝説ではないか……)するようなものだ。

いずれにしても、時流に乗って、割り箸批判も行われているのだ。資源不足や国の内外の環境問題。今は食の安全に加えて中国たたきの材料として格好のターゲットになったというわけだろう。割り箸批判も“進化“するらしい。

もし、本当に割り箸が危険だと思うのなら、自ら実験をしたらどうだろう。割り箸を水につけると白いものがにじみ出るか。金魚が死ぬか。非常に簡単で誰でもできる。手間も金もかからない。そして確認できてから騒ぐといい。(本当に確認できたら、大スクープだ。)

何もしないで伝聞・匿名で批判を垂れ流すのはみっともない、というより情けない。

それにしても、なぜ皆んなは割り箸にこだわるのか?また世間も、割り箸には森林以上に関心を持つのか。

かつて「森を守れ」という声が盛り上がると、森林が危機→木を伐りすぎ→木材を使いすぎ→身近な木材商品を使わない→割り箸を使わない、という連想が働いたのだろう。

しかし、木を使わなければ森林を守れる、という短絡思考は気持ち悪い。複雑な物事の関わりを考えなくなる。割り箸の材料や作り方、作る人々に思いを馳せず、単純に良いか悪いかだけの二元対立に陥る。

割り箸は、もっとも消費者に近い木材である。町の暮らしは、意外と木材を直に触れる機会が少ない。木造の建物も、表面はクロスに覆われているし、木製家具も塗料や樹脂に覆われている。紙のような原材料が木である品は多いが、直接木肌に触れるものではない。その点、割り箸は間違いなく素の木肌に触れることができる。割り箸は、木を日常的に感じられるアイテムなのだ。それだけに、割り箸が身の回りからなくなったら、本物の木を目にして触れるチャンスはずっと少なくなるだろう。

本物の木を知らない人間は、本物の自然を大切だと心から思えるだろうか。たかが割り箸だが、その1膳は自然と触れ合う一歩かもしれない。だからこそ割り箸には、林業への偏見、ひいては短絡思考を打ち破るアイテムになりうる。


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