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パクりって悪なのか?インスパイアとパクリの境界線とは。

クリエイターと読者をつなぐサービスではあまり好まれないことを書くかもしれません。が、先日システム開発をお願いしているエンジニアさんとブレストをしていた際にパクリのパワーについて話が盛り上がりました。その方は、本当に技術のある開発者で億単位の発注を個人で受けている人物でITを通し世界を本気で良くしたいと純粋に願い開発を続けています。

そんなTさんに「いつか最強のパクリに試みたいから、もとみさんが面白いと思ったIT事情をもっと頂戴よ。」と言うのです。

Nothing is original, it’s all been done before.
オリジナルなんてあり得ない。すでに誰かが以前に作っている

どれだけ頑張ってオリジナルなデザインをしたと思ったところで、絶対にすでにどこかで似たようなデザインが存在する。これはどういうことなのだろうか。オリジナルの作品を作る事は無理ということか。しかしその一方で、もちろん模倣は絶対に禁止。真似をするのはダメだけど、全てをオリジナルで作る必要もない。インスパイアは受けるべきだが、パクリはNGとなかなか難しい境界線である。これは、デザインに関する話になると必ず議論になるトピックでもある。

「優れた芸術家は模倣し、偉大な芸術家は盗む」これはスティーブ・ジョブスが引用した事で世の中に広く知れ渡った表現で、画家のパブロ・ピカソも語っていたとされる。人類の歴史を見ても、もっともクリエイティブとされるこの二人が、ものづくりとは盗む事から始まる、と発言しているのは非常に興味深い。そしてさらに、他の偉人も近い事柄を発言している。“クリエイティブである一番の秘訣はその元ネタがバレないことだ” (アインシュタイン) “何もまねしたくないなんて言っている人間は、何も作れない” (サルバドール・ダリ)。

アイディアを盗む事に関しては躊躇しなかったが、パクられてブチギレたジョブス。上記の通り、新しいものを作り出す際に、積極的に他のアイディアを取り込む事を行なっていたジョブスは、以前のインタビューで、下記の通り語っている。特に初期の頃に我々は良いアイディアを盗むことに関しては全く躊躇しなかったしかしその一方で、MacやiPhoneなどの革新的なプロダクトをリリースしたが、Windowsを知った時には完全にMacのパクリだと激昂し、Androidに対しては核戦争を起こしてでも叩き潰すとまで宣言していた。それぐらい、自分たちの発明がパクられることに関しては神経質なくらいに敏感であった。これはなかなか難しい問題に感じる。なぜなら、本人はインスパイアされたと主張しても、相手はパクられたと感じてしまうこともあるからである。

パクリに超敏感なディズニー。コンテンツの版権管理に厳しいことで有名なディズニー。しかし、その多くのストーリーは、白雪姫や、ピノキオや、不思議の国のアリスなどのパブリック版権をベースにしている。その一方で、自分たちのコンテンツに対しては厳しい利用規制を設けているのが面白い。

なぜ人はパクりたくなるのか?そもそもなぜこのパクリが発生してしまうのだろうか?その理由としては、おそらく下記が挙げられる。

- コピーする方がデザイン工程が短縮され、コストが低くなる
- すでに人々に受け入れられているベストプラクティスだから
- 脳裏に残っていた形が無意識のうちにアウトプットされた
- 機能性を追求していったところ、自ずと同じような造形になった
- ソフトウェアのコードなど、一から書くと効率が悪いから
- オリジナルを利用するとライセンスフィーがかかるから
- リスペクトからくるオマージュ

では、そもそもなぜパクリがいけないのだろうか?今やアニメやゲームなどの分野において、日本は世界的に注目される存在となった。キャラクターやコンテンツの人気が秘める影響力はソフトパワーと呼ばれ。日本コンテンツのソフトパワーは日本で生活していては気づかないほど大きくなっていますが、文化的な関心から日本を訪れたい、日本語を勉強したいと考える外国人も多く存在しています。

そんな中で、人気があるからこその悩みともいえるのが、著作権侵害問題。中でも中国では遵法精神の希薄さから簡単に「パクリ」を展開しており、もはや「中国といえばパクリ」のイメージが広がっています。そもそも国や文化によってはパクる事が必ずしも悪いこととされていない場合もある。

しかし、日本やアメリカなどの先進国を中心に、一般的にパクリやコピーは良くない事や場合によっては違法だとされるケースが多い。それを体系化したのが、コピーライトや知的財産権のコンセプトだろう。すなわち、時間や労力をかけ、血の滲む思いで作り出したクリエーターの努力を保護するためにそれは存在する。

パクられの定番。コピーライトのコンセプトを一番理解しやすいケースの一つが、I ♥ NYだろう。恐らく皆さんもどこかで見たことのあるこのデザイン。このアートワークはもともと、1977にニューヨーク市をプロモーションするための広告キャンペーンのために、デザイナーのMilton Glaserがデザインしたもの。実はこのロゴ、製作者のGlaserは1ドルも得ていないのである。それも、この広告を担当した代理店に対して、彼がボランティアで提供したから。もちろん現在ではその利用に関しては管理されているが、当のクリエイターには全くお金が入らない状態だったのが皮肉である。

それだけではない、皆さんもご存知かもしれないが、このデザインを元に、別の都市バージョンなどもたくさん存在し、今ではTシャツやマグカップに印刷され、お土産やさんの定番アイテムとなっている。まさに、パクられの定番ケースとも言えるだろう。

Tinder UI/UX パクリかも事件。ここ最近のパクリに関する例だと、TinderのUIとUXのパクリかも事件が挙げられる。これは、実はインスパイアなのか、パクリなのかに関しては論争中である。簡単に説明すると、Tinderのファウンダー同士が仲間割れして、そのあとの泥沼バタバタ劇の後、Whitney Wolfeが退職し、新しく立ち上げたBumbleというアプリのUIがTinderのインターフェースと動き(UX)をパクったとして訴訟されている事件である。

クリエイティブにはインスパイアが欠かせない。冒頭にある通り、もしかしたら今の時代、どれだけ頑張っても100%オリジナルなんていうことは無いのかもしれない。それは偶然の一致かもしれないし、意図的な理由かもしれない。どちらにしろ、全くのゼロからよりも、何かにインスパイアされて創り出す方が良い結果に結びつくことも多い。

そもそも、言葉もアートも音楽も、そしてデザインも全ては真似る事から始まる。画家も文字通りの模写である、デッサンから始まる。逆に、真似もできないのにオリジナル作品を作るのは、ほぼ無理な気がする。

その点に関しては、ソフトウェアも、ビジネスモデルだってそうなのかしれない。そもそも、突発的に全く新しいアイディアが生み出されることはほぼ無いと言って良い。

エジソンは電球を発明していない。エジソンといえば、電球を発明した世界一の発明家と思っていたが、実は電球は彼が発明したものでは無い説が有力になっている。最初に電球に作って特許を取得したのはイギリスのジョセフスワンで、エジソンは実用化したに過ぎないとのこと。電球自体はすでに発明されていたが、エジソンはそれをより実用化させるために、6,000種類もの素材を試したのちに、フィラメントを利用した電気ランプを生み出した。厳密にいうと元々あった電球の改良版であった。

エジソン以外にも下記の様なインスパイアからの発明の例がある。

ジェームス・ワット:トーマス・ニューコメンの蒸気機関の修理を元に12年の歳月を掛け自身の改良版を製作し、産業革命を生み出した。

クリストファー・レイサム・ショールズ:ピアノからインスパイアされ、現代のQWERTYレイアウトのタイプライターを発明。

GUIとマウスを実用化し、パソコン普及させたApple:これも業界ではとても有名な話であるが、AppleはOSのインターフェイスもマウスも発明していない。元々は、ゼロックスが開発していたAltoが世界初のグラフィカルユーザーインターフェース (GUI)とマウスの前身となるポインターデバイスを実装した先進的なコンピューターを生み出した。Altoは実験的プロダクトで一般的には販売されていなかったが、Xeroxはその後1981年にプロフェッショナル向けにStar 8010を発売. これはMacが発売される実に3年も前のことである。それらを目の当たりにし、感動したジョブスがそのコンセプトを自社のOSのハードウェアに採用したことで革命が起きた。ただそれは単なるパクリではなく、様々な改良を施したからこそ出た結果である。例えば、ウィンドウ上部に固定のメニューバーを設置し、ファイル消去の際のゴミ箱も追加した。マウスも2ボタンからシンプルで使いやすい1ボタンのものに改良した。これは、AltoのGUIを元にしたOSをLisaとMacintoshに搭載した事でパーソナルコンピューターに革命が起こったという、優れたインスパイアされたからこそ、世界を変えるプロダクトが生み出された例である。

その後も、ジョブスおよび、AppleはSONYからもかなりインスパイアを受け、家に置いておいても可愛いデザインのパソコンを生み出した。これは、彼がMacのデザインをfrogに発注した際にSONYがパソコンを作った感じのデザインとリクエストしたことからも理解できる。Appleが行った事はパソコンと家電の融合である。それが彼らのオリジナリティーになった。

ハリウッドのヒット作もリメイクだらけ:映画業界ではリメイクやリミックス、インスパイア系がかなり主流になってきている。特に最近のヒット作のその多くはリメイク作品。ハリウッドにおける過去10年間の興行収入Top 100作品のうち、74作は過去作品のリメイクか続編か他媒体からの映画化作品である。例えば、猿の惑星やキングコング、ブレードランナーなどがそうである。カリブの海賊なんかは、元々テーマパークのアトラクションを映画化したもののリメイクだし、トランスフォーマーの元ネタはおもちゃである。この様に、元々あるコンテンツをリメイクやリミックスすることで新しい価値を生み出す、Repurposingという概念が普及している。

インスパイアの宝庫スターウォーズ:おそらく数ある映画の中で、最も多くの作品からのインスパイアを取り入れているのが、スターウォーズシリーズだろう。監督のジョージ・ルーカスは元々黒澤明の大ファンであることは公言しているし、コアな映画ファンから見ると、かなり他の作人のオマージュっぽいシーン満載らしい。例えば、オープニングの立体的に文字が流れるのはフラッシュゴードンのオープニングにそっくりだし、ダースベーダーとオビワンの対決シーンは、黒澤作品の隠し砦の三悪人をモデルにしている。

ー 事業におけるインスパイアの定番、タイムマシン型ビジネス。インスパイアが重要なのは、デザインやプロダクトだけでは無い。ビジネスモデルもそうである。特に最近であれば、すでにアメリカ西海岸で人気のあるサービスを元に、その日本版を展開している例も多々見受けられる。

例えば、グルーポンにインスパイアされたポンパレ、日本版のVenmoに当たるPaymo, Mediumを参考にしたnote、DogVacayのコンセプトを日本向けに展開しているDogHuggy, GREEによる日本版Hotel TonightのTonightなどがそうだろう。これらは、すでに海外でニーズがあることが実証されている様なビジネスをその後、日本向けにリメイク版を展開する、タイムマシン型ビジネスとも呼ばれている。決してイノベーティブでは無いかもしれないが、手堅いビジネスモデルの作り方ではあるかもしれない。

ー 世の中のクリエイター、全員何かしらパクっていませんか?パクってるという言葉が悪いので、悪に感じますが、それを参考にしている。に置き換えたらどうでしょうか。

例えば、進撃の巨人、物凄く売れてましたよね。あの作者の諌山さんはマブラヴ オルタネイティヴを参考にしていると公言しています。それについて「パクり漫画家が!」なんて、厳しく追及する人は少ないです。なぜなら、参考にしてるのが設定とかであり、別に登場人物の名前から何からパクってるわけじゃないからです。

当たり前ですが、私たちはこの世に生まれてから人が作った料理を食べて、人が作った物で遊びます。ゲームや漫画が最たる例で、それを読んで自分もこういう作品が書きたい!と思って、創作活動に入ります。

で、その際に、△先生の作品を元に、違う世界観で書きたい。と思えば書いていいんですよ。それが1から10まで、酷似しているならダメですが。(これがよく中国の方がやるぱくりのパターン)絵でも小説でも、クリエイティブな事はまず模倣から入る。模倣から入って、そこから自分なりに改変をしていく。その方が上達の近道になると思っています。

ー 世の中の作品は組み合わせで出来ている。これは、数年前どこかで見た理論で、ものすっごくしっくりいきました。その理論は、至極簡単なんです。世の中の作品は、全て既存のAやらBやらCの組み合わせで出来ています。実際に並べてみます。

・ドラえもん:夢を叶える道具×未来のロボット

・名探偵コナン:推理×少年

・ナルト:王道バトル×忍者

・幽遊白書:能力系バトル×妖怪×学生

・スラムダンク:バスケ×不良

・進撃の巨人:化け物×人類の存亡

・ターミネーター:未来のロボット×ディストピア

・マトリックス:仮想現実×ディストピア

・セーラームーン:JK×魔法少女

このように作品を構成している要素を全て分解してみてください。必ず、キーワードとなるネタ元が見つかります。組み合わせると、もうそれだけでさーっとネタのアイディアが浮かんできませんか?多分、あ。と思うのが出てくるはずです。

このようにですね、どの作品もネタ×ネタで出来上がっていて、総じてこれをパクりと言えばパクりになるんですよ。ただ、組み合わさってるから分からないだけなんです。私が大好きなコナンなんて堂々とキャラクター名が推理作家で、パクってるようなものですが、完全にオリジナリティに溢れていますよね。それは作者の青山剛昌先生の乗っかっている独創性がハンパなく凄いからです。

近代のパクリの良くない風潮はパクって作った作家から、更にパクってるということなんだそうです。ナルトを読んだ人が、忍者の作品を書きました、みたいな。岸本斉史先生のナルトは、岸本斉史先生が憧れているドラゴンボールの要素なども入っています。そのナルトを読んだ人が、こういう作品を書きたい!と思うと劣化の劣化の劣化の、という風にドンドン下がるのは当たり前の話なんですね。(ナルトが劣化作品という意味ではありません。)

だから、優れた漫画家や作家になるほど、同業者の作品なんて参考にしないんです。その証拠に、作家は映画を観ている事が凄く多い。映画から着想を得たり、絵画から着想を得たり、全く違う分野から着想を得ます。ですから、最近ヒットしてる漫画とか小説とかを模倣したいのであれば、もう一つ違う要素を他から絶対引っ張らないと浅くなると言える訳です。

この作品はパクリだ!と、世の中ではパクリ論争がずーっと勃発しています。私は、パクリ論争っていうのは、程度の問題だとと思っています。そして全く日の目のみない分野を、着想のヒントに入れるべきだと思います。

引用元:インスパイアとパクリの境界線とは


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