ぼくの仕事 


ぼくは、「古生物学者」とやらを目指していた。それは学研の子ども科学雑誌で見た「恐竜」と言う信じられない、今まで見たこともない姿かたちの驚くべきイキモノとの出会いから始まっていた。今でも、はっきりと覚えている。かつての寝室、今では僕の学習机と洋服ダンス、本当は一段しかない二段ベッドの片割れが置いてある部屋でナイト・テーブルの赤いバラの模様が描かれたステンドグラスの電気ランプの隣に起き抜けのぼくは雑誌を置いて眺めていた。「ダディ、恐竜って本当にいたの?怪獣と何が違うの?」4歳のぼくは弟が生まれるとほぼ同時に恐竜と出会った。(寒かったし、恐竜の特集はたしか12月号だったから間違いない)正直、その時の僕の心境は今と同様に複雑だった。弟が生まれるということ。僕よりも小さないのちが、うちの中に生まれる感覚。ふかふかで温かかった足元の土の中から、小さくてうごめく何かが今にもひょっこりしそうでそわそわした感じ。おなかがぐるぐる、もぞもぞする。「踏みつぶすぞ!いや、やっぱりきになるな。どうなのかな?ええい!つぶしてしまえ!もうどうにでもなってしまえ!」恥ずかしいような、気持ち悪いような、そんな感覚。今まで僕だけの居場所だった何かがとられるようで不安で仕方がなかった。母よりも親密だった母の母、Bar-Vant(バーバン提督)と共に過ごしたTen-Planet号の甲板の十字架を周回する惑星たちとの日々は祝福と呪いを乗せて僕を星夜の闇の奥底へといざなった。去年の冬に窓際の小部屋の灯油ストーブの近くでいつも見ていた、どこか遠くからやってくる橙色の光の向こうにあった現世の限り。物悲しい音を立てて、ぼくの死は、母の死は、親族の死は着実に一歩ずつ近づいているのだと感じていた。いやだ、いやだ、といくら目を背けてもがいても時が来ると再びあらわになる生の現実。しらない外国の部屋の中で外国人として生まれた僕が樽の中から出てきて、薄暗い橙色の照明に照らされた壁の絵を見てまた樽に入って、それを繰り返して目が覚める。失敗すると何回もリセットされるゲームのような夢を、ビデオゲームに振れたこともないくせにそんな夢をみていた。現世の僕は5歳くらい、夢の中のぼくは小学生くらいの年齢だったように思う。1年生2年生3年生、と連呼しながらずらりと並んだ樽を出入りしていたように思うので、あれは学年、年齢を象徴していたのだろうか?さては弟も樽を出入りしていたような気がするし、もう一人兄弟がいたような気もする。さて、ここからは現世に話を戻して弟の誕生の瞬間、病院の出産立ち合い族の待合室で図鑑を眺めていた時に移動する。母の友人と父方の祖父母が来て、めでたいめでたいと祝っていたような気がする。私は前世の記憶があるとか、産道の中を覚えているとか吹聴していたために皆の衆を輩だと思っていた。まるでシャーマンの様に恐竜図鑑を開いて生命進化を語ったかと思えば今日からは一番好きなのはしんごちゃんで、次がお母さんだとか、今はお母さんよりお父さんに似ていると言われる方がうれしいとか、大きくなりたくないとか、しんごちゃんのお父さんになるとか弟になるとか、よくわからないことをいろいろ話しながら緊張とワクワクで胸がバクバクする気恥ずかしさを紛らそうとしていた。これは今のパートナーとの出会いとよく似たところがあるというか、周回違いのほぼ同質のものの様に感じられる。だから生の出会いを、宇宙の衝突と、ぼくは呼ぶ。

終わりの歌

お母さんと一緒の終わりの歌。お片付けの時間。お帰りの時間。僕は「終わり」が怖くて苦手だった。サヨナラは、それだけで悲しい。終わりを予感させるということは、それだけでどこまでも深く哀しい。お母さんがいつか死んだらどうしよう。僕も一緒に死にたい。「楽しいことをすれば忘れるよ、どろんこあそびとか。」とお母さん。「どろんこ遊びなんか別に楽しくない。サラ砂泥団子を一生死ぬまで磨き続ける。」「じゃあそれをすれば幸せやね。」そうして、ぼくは幼稚園で砂を厳選しながら「天下一品!特級品!」の泥団子をひたすら作り続けた。絶対に割れない、叩き付けても割れない、何をしても、濡らしても割れないような最強の泥団子を。

家に帰って日が暮れるころ、小学校3,4年生くらいの少女二人が手を振り合ってカーテンの向こうで「またね!」と手を振り合ってサヨナラする。そんなところを僕は5回のマンションの上から、カーテンの向こう側に見ていた。カーテン越しだからもちろん本当には見えないのだけど、サヨナラと、終わりと聞くと、窓越しに聞いていた小学生たちの声の記憶がサヨナラの言葉の印象を形作ってカーテンの向こうで上映される。いつもの天才テレビくんに出てくるてれび戦士たちはみな小学生以上だ。カーテンの向こうには小学校があって、来年再来年には僕は肥満児みたいに膨れ上がってその白くて途方もなく広い彼方で全く違う暮らしをするのだろうと思っていた。なぜだかわからないけど、「来年」と言う言葉は太った背むしの少年を連想させた。そして細くて小柄だった僕は小学3年生には僕はブラジルで暮らしながら背脂ののった中肉中背のクリクリイタズラ少年となった。その頃には、もう終わりが怖くはなくなって日差しを浴びて厚切り肉を食べながら南国の地を走り回っていた。「おなかが痛い!」と言って保健室に逃げることにも飽きていた。だってこんなに楽しいんだもん!太陽とは、そんな出会い方をした。今まで絵の中の神様、「おひさま」だったのが、その時から天高く頭上を照らす「太陽」になった。

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