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努力・友情・勝利、神はサイコロを振るのか

人生における勝利、成功というものは、例えばサイコロで望んだ目が出るかみたいなものだ。1を出してくださいと言われた時に1が出せるか、6を出してくださいと言われた時に6が出せるかとか、そういうこと。
一発で望んだ目を出せる人もいれば、何回も振らないと出ない人もいる。その目が出るかどうかは運だ。だけど「あの人は望んだ目をいつもさらっと出すなあ」という人もいる。それは単純な話で、持っているサイコロの数が多いのだ。多くの人がサイコロを2個持っている中で5個とか6個とかサイコロを持っているから少ない試行回数で望んだ数字を出せる。

ここまで読んでわかったかと思うが、努力というのはそのサイコロを振った回数。試行回数のことを言うのだ。ここでポイントだが、サイコロを何個持っているかと言うのは誰にもわからない。少ない試行回数で必要な目が出せるから、持っているサイコロが多いのだろうと予測できるだけだ。

ここになかなか自分の望んだ目を出せない人間がいる。彼は1の目を出さなきゃいけない場面で人の倍以上サイコロを振らないとその目が出ない。きっと自分はサイコロの数が少ないのだろう。そう思っている。
そんなある日、急に7の目を出してくださいという場面が訪れる。サイコロは1から6までしかないと思っていたが、7なんてあるのか。
多くの人は何回サイコロを振っても7が出ない。7なんてないだろと言う人たちの中で、彼はサイコロを振り、みんなが出せなかった7を出す。なんてことはない、彼のサイコロは12面体サイコロだったのだ。目の数が大きいから、人よりも望んだ目を出すのに試行回数が必要だった。世の中は成功した時しかその目がなんだったのか教えてくれないから、自分のサイコロがどんな形なのかも自分では気づけないのだ。

持っているサイコロの数というのは才能じゃない。それは要領がいいということだ。本当の才能とはどんなサイコロを持っているのかということ。

彼は自分の才能を活かすステージに行くことになる。そこでは1から12までの数字を出すことを求められるのだ。ようやく世の中に認められたような気がした彼だが、そこで絶望することになる。そこには12面体サイコロを5個とか10個とか持っている人がザラにいる。
確かに彼には7以上の数字を出す才能がある。でもサイコロの数、つまり要領がいいわけではない。なんなら1から6までの数字を出すのにも苦労していて、「4を出すだけなら6面体サイコロを持ってる人でもできるんだけど?」なんてことを心無い人に言われたりもする。
反面、6面体サイコロを持つ友人たちは言う。「お前には俺たちには無い才能があるんだから頑張れ」「今までやってきたのと同じように努力すればいいだけじゃないか」

もう1から6を出せばいいステージには戻れない。自分には7以上の数字を出す才能があるとわかってしまったから。1から6を出し続けるだけの人生は無駄に思えてしまう。しかしながら7以上を出すステージでも活躍できるわけではない。

彼に努力の大切さを説くのは簡単だし、正しい論理だ。というかもうそれしか無い。

彼の救いはどこにあるのか。

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