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やどかりハウス第二幕”助かり合う私達へ”

ロゲンは天使だったのではないか。そう思うことがある。  
自由の国アメリカで「世界の悲しみ」を一身に背負い、深手を負った天使は、 命からがら「日本」というより僕らの元にやってきた。誰よりも礼儀正しく、 優しく、澄んだ魂を持った彼は、日本語をほとんど話せなかったが、みんなの 心の中にある温かなものと通じることができた。
やどかりハウスに逃れてきた 傷ついた女性に「ロゲンとなら一緒に住んでもいい」と思わせ、精神を病みフリー ズしてしまった彼を小さな子供たちが囲み癒そうとした。
「あと 200 円しかない」 と犀の角に来てから 2 ヵ月もの間、様々な人達が公私にわたり彼が笑顔で生活 できるよう手伝った。私自身も我が家に泊めさせ、温泉に連れていき、洗い場 でフリーズしてしまう彼の入浴介助のようなことまでした。いつの間にか私た ちの生活はロゲン一色になっていた。しかしそのことが嫌ではなかった。むし ろ幸せに感じることさえあった。
あれは何だったのだろうか。  

滞在期限が迫る中「観光ビザで入国したが困窮しファミリーからの支援も受 けられず孤立した外国人」に、私達がしてあげられることには限界もあった。 あらゆる公的機関や民間支援や専門家を頼ったが、手立てはなく二ヶ月が過ぎ た。私たちは結局警察を経由して行政に彼を預けた。行政側も制度がない中で 超法規的に動いてくれ、彼は一旦精神病院に入院し、国に帰国することとなった。 後半の期間、彼はいつも見えない敵に追われており、銃に見立てたハンガーで 私達に銃口を向けさえした。「うまくいかないことは最初から分かっていた」と も話した。あんなに嫌がっていた国へと帰国した彼とは、その後まったく連絡 が取れず、消息は分からなくなった。  

そして、やどかりハウスの流れはそれ以降大きく変わってしまった。ロゲン がいた 2 ヵ月間に生まれた一つの空間、そのブラックホールのような次元の穴 には、彼と同じようなどうしようもない問題を背負った人たちが、まるで吸い 寄せられるように押し寄せた。不思議なことに皆やどかりハウスを知って辿り 着いたわけではなかった。私達は身も心も翻弄されながら、その真っ暗闇の前 で立ち尽くした。もはや吸い込まれそうなギリギリのところで無期限休止を決 断した。それから毎日のように私達は話をした。多いときは一日中議論をした。 とても苦しい時間でもあった。嵐の大海原で船同士をしっかり舫わないと沈没 しかねない状況だったように思う。話すことによって自分達を舫いながら 2 週 間が経ち、ようやくたどり着くべき岸が朧げに見えてきた。
私たちはいつでも 暗闇のそばにいたのだということ、この狂った世界の荒波の中で私たちがやる べきことは「誰もが助かる大きな船を作る」のでは無く、私たちも共に世界を 航海する小さな船同士、舫いながら共に航海するのだと。
やどかりハウスは助 ける場では無い。助かり合う場なのだ。
どんな人も受け入れてきたからこそ見 えてきた壁であり答えであった。
コロナ禍に劇場で始まった物語は一幕目を閉 じ、第二幕が始まろうとしていた。演題は「助かり合う私達へ」  

第二幕を始める前夜。宣言文を深夜に仲間と作った。その夜にやっと言葉に なったこともあった。最後のピースが埋まったような気持ちで安堵し、私は LINE を閉じた。その 5 分後である。2 ヵ月音信不通だったロゲンからメッセー ジが仲間のもとに届いた。ロゲンがいなくなり明日でぴったり 2 ヵ月のタイミ ングで。それは第二幕の幕開けになんともふさわしいファンファーレだった。 私たちはもうロゲンを助けようとは思わなくなっていた。ホームレスシェルター にいるという彼と、ビデオ通話をし、満面の笑顔で笑い合い、労い合い、出会 い直すこことができたのだった。  

第二幕が始まって最初ののきした journal。遠い国にいるロゲンにも手紙を寄 稿してもらった。彼が何を意図してこの手紙を書いたのかはよく分からない。 架空の手紙を書いたとだけ彼は言った。しかし意味の世界はもはや僕らをつな ぐ線ではない。意味は無くとも彼の世界と私たちの世界は何一つ離れていない。 いつも一緒にこの荒れた大海原を進む大切な仲間である。ロゲン、やどかりハ ウスに来てくれてありがとう。これまでやどかりハウスに繋がってくれた 250 名以上の人達、全ての人に感謝をしたい。ありがとう。
やどかりハウス第二幕。舟は今、港を出たところである。

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