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アルコールからの解放、、、になるか?④

どもども。
前回までは自分の失敗談でしたが、ここからは家族の話になります。

自分が高校生の時に、胃を切除した父親ですが退院後から酒の飲み方に変化がありました。
本人曰く、少量でもすごい酔っ払う様になったと。

そりゃ、胃がほとんど無く、飲んだアルコールはほぼ直接小腸で吸収され血中アルコール濃度が急上昇するんですから。

とはいえ、こちらも仕事、独立、結婚、出産と家族が増えて、日々生活するのに手一杯であり、親の状態なんて気にする事も無く年に数回しか実家に帰らない30代半ばの頃、母親から一本の電話が。

「もしもし、父親が職場で階段から落ちて骨折したので、今から緊急手術をする事になったわ」

だが、命には別状がないとの事で、仕事が終わってから病院へ向かった。

そこで、久しぶりに会った母親から事情を聴くと、どうやら父親は日々朝から酒を飲んでおり、その状態で仕事へ行っていたらしい。

更に職場でも隠れて呑んでいたらしく、千鳥足で階段から落下したとの事。

職場は中規模な旅館で、1人で機械の制御や点検などの裏方業務をしていたので、他の従業員に接触する機会も少なく、長期間飲酒がバレなかったらしい。

更に、担当医から手術の説明と共に「手の震えやせん妄(幻覚や幻聴)らしき症状があり、アルコール依存症の可能性があります。精神科医と連携をとります」との事。

タイミングが悪く、個室が満室なので術後に大部屋に入る事になったが、明らかに様子がおかしく、訳分かららない事を口走る父親。

「天井から虫の大群がああああ!」
(病院にいるわけがない)

「〇〇さん、何しに来たんだ」
(その方向には誰1人いない)


挙げ句の果てには「おい!火事だ!火が燃えてるぞ!」
(もちろん火の気なんて全くない)

と、明らかにせん妄症状が発生しており、同室の患者さんも困惑し眠れないのでナースステーション横の備品庫?にベッドごと移動させられる父親。

その時初めてアルコール依存症の症状を見た訳だが、当時は知識も無く家族全員が困惑と恐怖が錯綜するばかりでした。

その後、担当の精神科医からアルコール依存症についてレクチャーされるわけだが、せん妄症状がやっと落ち着き、平静をを取り戻すまで意識朦朧で動いてしまうので術後の予後が悪く、2ヶ月以上入院しました。

退院後、最初に口にした言葉が「やっと酒が飲める」でした。おい!💢

もちろん激怒する家族一同ですが、アルコール依存症患者あるあるでして、今回の件で仕事を首になった親父は更にタガが外れたのごとく数日で泥酔を繰り返す日々となりました。

そこからは何度も酔って転倒→骨折→入院を繰り返し、壮大に家族や近親者に大迷惑をかける訳ですが、本人は「酒でちょっとやっちまっただけ」程度の認識しかなく、何度話し合っても「酒を止めるぐらいなら農薬呑んで死んでやる!」と真顔で言い出す始末。

その時の気持ちと言ったら、これ以上無い無力感に支配され、精神状態がかなりヤバかった記憶があります。

もう耐えられないと、無理矢理車に押し込みアルコール依存症専門病院へ連れて行き、なだめすかして何とか3か月ほど入院させましたが、退院すれば元の木阿弥・・・

そんなことを繰り返していましたが、とうとう最悪の事件が発生します。

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