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(承)「恥ずかしい」と思う方が恥ずかしい -文月悠光さんの「詩をつくる教室 言葉のレッスン」

↑ 詩の講座に申し込んだものの、間違えて前日に教室に行った話


 文月先生の講座は自己紹介から始まった。きた、と思った。私が大の苦手としているものの一つ。自分をうまく紹介できた試しがない。そんな中、「現代詩手帖に毎月投稿しています」「ユリイカで入選しました」「詩の受賞歴があります」と強そうなプロフィールが続く。数日前に初めて詩集を買ったど素人の肩身が狭くなっていく。

 荷物をまとめようかと思った。ただ、唯一の救いは自己紹介がクラス全体というより先生に向けた1対1だったこと。先生は受講者が発する極めて短い言葉の中から一人一人の人物像を把握されていくような感じだった。すごい。やがて自分の名前が呼ばれた。えっと……。何と言えばいいのだっけ。

「1週間前に『臆病な詩人〜』を読んで面白くて、もっと言葉の世界を知りたいと思いました」。確かそんなことを言った(緊張し過ぎて覚えていない)。逆の立場だったらどんな人なのか全く分からない。ここまできて、またいつものようにやり過ごしてしまった。

×     ×     ×

 ぜひ講座を受けてほしいので一部しか書かないが、<言葉の役割>の話がずっと頭を離れない。言葉には<伝達>の言葉と<表現>の言葉がある。伝達は情報を伝えるためにあって、表現は捉え方が自由。頭で考えた言葉が伝達で、からだで感じた言葉が表現になる。

 ハッとした。速く書くことが求められた新聞記者をしていたのに、初めて詩を書こうとしたとき筆が止まったあの感じ。記事では詩的な言葉が嫌われた。

 表現を徹底的に排除されてきた経験。そういうものだと受け流した自分。いつの間にか、伝達の言葉に染まり過ぎてしまっていた。

×     ×     ×

 先生が用意した写真を見て、感じた言葉を書いていく。それが<言葉のレッスン>だった。頭ではなく、からだで感じた言葉を書く。要は「考えるな感じろ」。ただ、伝達の言葉ばかり書いてきた自分にはこれが一番難しい。考えないことを考えてしまう無限ループに陥っていた。

 写真は、池(湖?)に四角い何か(ハス? 氷?)が無数に漂っていた。(何の画像かよく分からなかった。笑)

 ここから何を感じればいい……?

 横目に教室を見渡すと、みんなどんどんペンが動いていた。すごい。

「私には四角いものが細胞のように見えます」

 先生が教室を歩きながら考え方のヒントを示す。すごいすごい。やっぱり詩人の世界の見え方って、より繊細で、鮮やかで……。そういう景色を、いつか自分も見てみたい。

 集中して、言葉を探す。

分からない
何を感じたらいいのか分からない
何が分からないのか分からない
分かっていないことだけが分かる

割れてバラバラになった鏡
粉々になった何か
これからどうなるのか分からない
もう元には戻れないことだけが分かる

 これが、写真を見て<からだ>から出てきた言葉。いや、正直な話……「写真を見て言葉を書きなさい」というこの<状況>に対して感じた言葉だった。屈折しているけど、本音を言いたくないという本音を抱えながら過ごしてきた自分にとって、わざと繕うよりよっぽど素直な言葉だった。

×     ×     ×

「では何人かに発表してもらいましょう」。またきてしまった、苦手な時間……。当てられた方がすらすら答えていく。何度か受講している方、初めての方それぞれだったが、みんな自分の言葉を持たれていた。本当にすごいと思う。

 感心していると自分の名前が呼ばれた。「はい」と言いつつ、咄嗟に首を横に振ると「言いたくなければ拒否権もありますよ」と、すかさず笑いを取ってくださった。(助かりました)

-この、<詩>に対する羞恥心は何なのだろう。

「頭が息切れしている」

 そう答えながら浮かんだ、「センスいいでしょ?」みたいなおごり。そのくせ自分が発する言葉の凡庸さが痛いほど分かるから辟易したり、「気取っている」「ナルシスト」「意識高い系」と思われることを恐れたり。

 表現の言葉が書けないのでありきたりな言い方をするけど、詩は読むのも詠むのもひたすら自意識とのたたかい。何もない自分と向き合うことになる。

「写真を見て思ったのは、<分からない>ことだけが分かったということです」。自分が物事を理解できないことにすら気付けない方が、よっぽど楽に過ごせたのかもしれない。

「『分からないことだけが分かる』。その気持ちは分かります」
 先生は、とてもやさしい応えをくれた。

×     ×     ×

 「詩は正しさを求めない」。この言葉でつっかえていた何かが取れた。国語のテストみたいな「作者の意図を答えなさい」は愚問で、自分が感じたことが答えになる。

 そういえば学生時代、国語のテストを作者が解いたら満点になるのか物凄く気になった。もし作者が間違えれば、むしろそれが正解ではないかと。正しさを求めるあまり、詩のように一見<分からない>ものを遠ざけてしまうのは勿体無い。

 講座の間、多分微熱があった。分からないものに真っ向から触れようとしたことが初めてで、ずっと体が力んでいたから。次は一ヶ月後。事前に提出した詩の講評がある。きょうの写真をもとにした詩作も課せられた。

 もう上手い下手いを気にするのやめよう。恥ずかしいと思う方が恥ずかしい。あのクラスは、そういう場所だった。

 

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もこだい

何かをする理由は「好きだから」で充分/エッセイと詩と短歌

臆病なAD、街へ出る。

ハイパーことなかれ主義の私でも、ときどき何かに立ち向かう。
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