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インターネットのミームが嫌いなお前にこそチー付与を読んで欲しいと思ってるよ

概要

漫画版『追放されたチート付与魔術師は気ままなセカンドライフを謳歌する。〜俺は武器だけじゃなく、あらゆるものに「強化ポイント」を付与できるし、俺の意思でいつでも効果を解除できるけど、残った人たち大丈夫?〜』(以下“チー付与”)が今日2/16から2/17までコミックDAYSで無料公開されるらしいので、個人的見解からチー付与の魅力を解説していきます。

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Xで話題な漫画だけどXのうるさいオタクたちが面白がり方の大喜利をするいつもの奴でしょ?と侮っている人向けに実はちゃんと面白いよという話をしています。

今回の無料公開期間が過ぎても同アプリで常に一日一話ごとに無料で読めるので、気が向いたら読んでみてね。



1.そもそもチー付与とは

まず、チー付与のことを全く知らない人向けに簡単にあらすじを説明する。

漫画版『追放されたチート付与魔術師は気ままなセカンドライフを謳歌する。〜俺は武器だけじゃなく、あらゆるものに「強化ポイント」を付与できるし、俺の意思でいつでも効果を解除できるけど、残った人たち大丈夫?〜』はカクヨムで現在連載中の小説を原作とした漫画作品であり、コミックDAYSでのあらすじは次のようになっている。

魔力を使い武器や防具を強化する強化魔術師レインは、ある日ギルド内の全ての武器防具が十分強くなったという理由で所属ギルドから追放されてしまう。あまりの理不尽な仕打ちに、レインはこれまで強化していた魔力を返してもらうことにした。これまで様々な装備に付与してきた膨大な魔力。とりあえず適当な銅の剣に付与したら、強化ポイント+10000のチート装備が誕生してしまい!?戦闘経験ゼロの魔術師が、どんなものでもチート装備にできる魔法で新たな冒険者ライフを気ままに生きることに!!

コミックDAYS 『追放されたチート付与魔術師は気ままなセカンドライフを謳歌する。〜俺は武器だけじゃなく、あらゆるものに「強化ポイント」を付与できるし、俺の意思でいつでも効果を解除できるけど、残った人たち大丈夫?〜』の説明文より。


で、これは、まあ間違ってはいない。
間違ってはいないが、あくまで“原作小説の”あらすじである。
じゃあ漫画版チー付与がどのような漫画かを一言で言うと

「原作にいないキャラクターが原作と全く違う設定のキャラクターと原作にない展開を繰り広げる異能力ファンタジーバトル漫画」

なのである。

つまり原作にないことばっかやってる変な漫画である。というかやってることほとんど原作にない。


主な原作改変部分を以下に列挙する。

  • 原作のメインヒロインは漫画版で空気。

  • 原作のサブヒロインは出自、口調、その他設定が全て違う。同じなのは見た目と名前のみ。

  • ところどころで文脈を度外視した突飛なギャグを挟む。(原作にはない)

  • ところどころに現代の科学技術や地名が登場する。(もちろん原作には登場しない)

  • 最新話で活躍している“半分”、“暗殺の母”、その他ほとんどが原作にいないキャラ。

このように、原作と同じ要素が数えるほどしかないというとんでもなくヤンキーな漫画なのである。

この点においてはXでそこそこ定期的にバズっているので有名かもしれない。
実際に、ギャグが面白いとか原作改変が凄いという紹介でチー付与の名前を聞いたことがある人も多いのではないだろうか。

初見時のフックになるのがこの突飛な原作改変部分であるのは間違いないだろう。
確かに漫画版チー付与を全く知らない人にこの漫画を薦めるとすれば「原作改変が凄い」「ギャグが面白い」という紹介の仕方になると思う。

しかし、そのようなわかりやすい要素に惹かれて素直に読み始める人間がいる傍ら、そういうインターネットのミーム的なバズり方をしているものに斜に構えてしまう人間もいるだろう。
結局Xのオタクたちが過剰に修飾した感嘆文で殴り合って解釈の大喜利大会をしてるだけで実際読んだらそんなに面白くないンだろ?みたいなね。
いやお前じゃあワンピースとかハンターハンターよりその漫画が面白いって言えんのかよ、とかね。

そういう奴はうっせえ!つべこべ言わんと読んでみろ!と一蹴したくなるが、正直この気持ちはわからんでもない。

どのくらい一般に通じる感覚かは微妙なところだが、幼少期から漫画を好んで読んできた人間たちにとって「この作品は“ホンモノ”か」という懸念はどうしてもつきまとってしまうものだと思う。
あの日感動したドラゴンボールや、ワンピースや、金色のガッシュにこの作品は並ぶのか。
ただの暇つぶしのために惰性で読む漫画なのか、一生魂に刻まれる大切な作品になるのか。

あくまで個人の意見、筆者の至極個人的な感覚だが、漫画版チー付与は“ホンモノ”である。または“ホンモノ”になる素質がある。そう思っている。

それを主張するために今回稚拙ながら人生で初めて紹介文を書いているわけである。
色々理屈をこねてダラダラ語るが、漫画版チー付与はちゃんと面白いということだけわかってもらえたらそれだけでいいのだ。


“ホンモノ”ってなんだよ(読み飛ばしてもいいとこ)

読者の心に強い感動を与え、素晴らしい作品だと賞賛させるような作品を“ホンモノ”と称しているが、まあお判りの通り別に作品がどうであるかというよりは読者がどう受け取るかに関わる話である。
どんだけ人気のない打ち切り漫画であろうが光るモノを感じたらそいつにとってその漫画は“ホンモノ”だし、人気作品でもなんとなく好きになれなかったら“ホンモノ”じゃないなと思っていいと思う。
大事なのは自分にとって“ホンモノ”じゃない作品が、誰かにとっての“ホンモノ”である可能性は当然あるということだ。
当たり前のことを回りくどい言い方でダラダラ語ってしまったが、つまりは「一回チー付与を斜に構えずに読んでみてくれ」ということである。

なぜわざわざこんなことを言っているかというと、漫画版チー付与は斜に構えて読んでもわりと面白い漫画だからである。

“斜に構えて読む”とは自分や他人にとっての“ホンモノ”になる可能性を度外視して読むということである。
キャラクターの心情に共感することもなければ、シリアスパートで緊張することもない。
面白がっていないわけではないが、別に無くなったとしても他の作品と互換可能だと思いながら読んでいる。そのような態度を斜に構えて読んでいると表現したい。

漫画版チー付与は「原作改変」と「ギャグ」という強いフックによって、作品やキャラクターを侮りながら読んでもギャヒギャヒ笑いながら読めると思う。
なにも考えずに楽しめるという点において、ファストな鑑賞に向いている作品である。

斜に構えて読むこと自体を批判したいわけでもない。
コンテンツの数が増加に増加を重ね、無料の鑑賞体験だけで時間がいくらあっても足りない現代において、一つ一つの作品にのめり込むほどの時間も体力もないのが消費者の正直なところである。
筆者もおもんね~と思いながら惰性で読んでいる漫画がたくさんある。

しかし、今も“ホンモノ”を見つけ出すべく川底をさらって砂金を探すように無数の漫画を読み続けている人間は本当にもういなくなってしまったのだろうか。
人生における最高点を更新したくて今も物語にしがみついている亡霊のようなオタクはもうどこにもいないのだろうか。

もしまだどこかにいるのだとしたら、俺は“おまえ”にこそ言いたい。
チー付与は“ホンモノ”かもよ、と。


2.チー付与を“ホンモノ”たらしめているもの

漫画版チー付与は“ホンモノ”だ!と叫ぶことは、めちゃくちゃ好きだ!と叫んでいるのと全く変わらない。
つまり、なぜ“ホンモノ”なのかという話は筆者が漫画版チー付与の何が好きかを語ることに過ぎない。
正直紹介としては不適切かもしれない。

しかしながら、漫画版チー付与に関しては客観的な特徴は有名な上にわかりやすいので、あえてダイマをするなら個人的に好きなポイントを語るべきだと思う。
それに自分の好きなものの話をするのってめっちゃ楽しいから今からするね。いつもありがとうね。


筆者が思う漫画版チー付与の最も素晴らしいところは、「“セカンドライフ”をどう生きるか」というテーマが作中を通して一貫しているところである。
大手ギルドから追放された主人公が新たなギルドでどのような冒険をするかであったり、トラウマを抱えたヒロインたちがどのように過去と向き合うかであったり、自分の過去を踏まえて今をどう生きていくかをそれぞれのキャラクターが信念を持って体現していく様が作中何度も描かれている。
この“セカンドライフ”に主眼を置いた人生賛歌がとにかく美しい漫画だと筆者は思う。

作品におけるテーマは、もちろんストーリーがどうあるかによって提示されるものであるが、キャラクターの細かな描写や造形もまたテーマの提示に寄与する。
漫画版チー付与の人間賛歌が美しいのは、単純にストーリーが面白いからというだけでなく、キャラクターの造形が素晴らしいということも一因である。
月並みな表現となってしまうが“キャラクターが生きている”と感じる描写が多いのだ。
この“キャラクターが生きている”感は、例えば各キャラクターの思考の手順が明確に示されていることであったり、噓を吐いたりふざけたりなど一見すると物語の進行上不要な描写があることから得られている感覚であると考えている。

ちなみに筆者がキャラクターが生きてるなと思ったシーンを一つ挙げるとすれば、「主人公とヒロインがボケとツッコミをしながらギャヒギャヒ笑っている」というシーンである。
漫才でもギャグマンガでも、ボケとツッコミがヘラヘラ笑いながら掛け合いをするというのはあまり推奨されていないように感じる。
演者やキャラクターがその場で“内輪”を形成することにより、観客は疎外感を抱き、当事者意識を失ってしまうからだ。
彼の漫才の権威も笑いながらツッコむなって指摘してたしね。
もちろん上記のような描写を漫画版チー付与しかやっていないかと言われればそうではないのだが、読者の当事者意識を希薄にしてでもキャラクターが内輪で楽しんでいる姿を見せることは“キャラクターが生きている”感に大きく寄与しているように感じる。

ダラダラ語ってしまったが「人間くさいキャラクターたちが一生懸命セカンドライフを謳歌している姿が感動する」ということである。
みんな“マジ”でやっていってるのが美しいのだ。

だからこそチー付与のことをギャグが面白い治外法権マンガみたいな扱いをなるべくしないで欲しいな〜と筆者は思っている。

他人の鑑賞態度に意見して影響しようなんておこがましくて下品な行いだとは思うが、筆者は純粋なものを純粋に受け止められる人にこそ漫画版チー付与はオススメできると主張したい。


3.一旦の締めというか弁解というかなんというかその

ここまでだいぶ抽象的な話というかふわっとした話をしてきたので、まだチー付与を読んだことがない人にとってはなんのこっちゃとなること間違いないだろう。
一応具体的な魅力を羅列してダイレクトマーケティングをすることも考えていたのだが、ネタバレが多めになってしまうということと、その程度のダイマならXに無限にあるなと思ってしまって文章にまとまりがなくなってしまった……
そもそもチー付与のミーム的なバズり方からして、真の意味でチー付与を聞いたことも見たこともない人ってそんなにいるのかとか、そもそも漫画の紹介文とか書いたことねえからわかんねえとか考えていたら本当によくわからなくなってしまって、あと普通に無料公開の日程を勘違いしていて無料公開が開始してから泣きながら書いているのもあって焦りながら書いた結果こうなってしまったのである。
よくよく考えたら筆者が本当に語りたい話は本編の知識ナシにできる話ではなく、一回読んできてもらってから「あそこの描写がさ~」とか「原作改変がここにつながってきててさ~」みたいな話が一番したいわけで、初見の奴に言いたいことなんていいから読め!ぐらいしかないのだ…………

というわけで、もし仮に未読の方でここまで読んでいただいた心優しき寛容な方がいれば、貴方は絶対に漫画版チー付与を読むのに向いているのでぜひとも読んできて貰いたい。

ここから先は既読者向けに、筆者が個人的に漫画版チー付与の何が面白いかを語っていく。
重大なネタバレは特にしていないため、未読者が読んでも問題はないとは思うが、これまで以上に概念的な話になるので本編を読んだことがないとあまり理解できないかもしれない。

チー付与を最新話まで読んできた親友(ダチ)のみなさん、お待たせしました。ここから先が本当に筆者が語りたい話です。


4.(既読者向け)チー付与の面白さとは

名作漫画を名作たらしめる要素は無数にあるとは思うが、個人的に「期待を裏切らず予想を裏切ること」は様々な読者から広く賞賛を得るために必要な要素の一つだと考えている。
あまりにもベタなストーリーは容易に先の展開が予想できてしまい、読書が確認作業のようになってしまう。一方、設定や展開が荒唐無稽で突飛すぎてしまうと、今度は予想どころか先の展開に期待することが難しくなってしまう。
「こういう展開になってくれたら嬉しい」という期待を持たせつつ、それが思いもよらぬ形で叶ったり、実現しなかったとしても納得感のある別の展開を用意することで読者のテンション感を萎えさせないことが大事なのである。
これは言い換えると“既知”“未知”の塩梅の話になる。
既視感のある描写で読者に「理解できる」という安心感を積み重ねることで、今まで見たこともないような展開が浮き彫りになり、その結果読者は強いカタルシスを得られる。
この安心感を保ち続けさせることこそが“期待を裏切らない”ということであり、安心した読者を要所要所で適度に緊張させるということが“予想を裏切る”ということなのである。

漫画版チー付与としばしば類似を指摘される大人気漫画『葬送のフリーレン』はRPGゲームを土台とした魔王や勇者パーティーという“既知”の概念と、「魔王を倒した後の世界」や過去回想でカタルシスを生む天丼展開などといった“未知”の展開構築のバランスの良さがヒットした要因の一つだと考えている。フェルンのキャラデザがあまりにも同人映えしすぎるってのも大いにあるかもしれん。

で、漫画版チー付与はとにかく「期待を裏切らず予想を裏切る」ということを上手くやっている漫画だと感じる。
ちょこちょこ挟まるギャグがうるっっさいからかしばしば滅茶苦茶で胡乱な漫画であるかのように語られるが、個人的には賛同しかねる評価だと思っている。

漫画版チー付与は例えるなら「めちゃめちゃ緻密に計算されて作られた二郎系ラーメン」だ。
サッパリした魚介スープが人気のラーメン屋が二号店を出したから行ってみたら何故か二郎系ラーメンだったが、山盛りのニンニクと分厚いチャーシューと魚介スープが何故か奇跡的にマッチングしてて意味わからんがバカみたいに旨い。そんなかんじ。
二郎系ラーメンは計算ナシだってディスってるわけじゃないです。二郎好きだし。

原作チー付与に、隙あらば繰り出してくる変なギャグと、現代科学と、原作にいない個性的なアウトローたちをトッピングした結果なんかよくわからんけど面白くなっているというのが漫画版チー付与だ。
様々な要素をトッピングすることは容易だが、そのバランスを緻密に計算しエンターテイメントとして成立させることは高い構成力と顧客についての理解が必要である。
漫画版チー付与のとんでもなさというのは一つ一つの要素ではなくそのすべてをまとめ上げているというところにあるのではないだろうか。
すなわち、漫画版チー付与は「丁寧な構成(=期待)」を積み上げることにより「奇抜な原作改変(=予想の裏切り)」を成立させている漫画なのである。


では、チー付与の“丁寧さ”というものがどういったところから見られるか?という話を“世界の強度”という視点から解説していく。

漫画版チー付与は 「世界の強度が高い」

世界の強度が高いとは、つまるところそこに“世界がある”という強い実感が漫画版チー付与にはあるということだ。
極論物語の設定なんて後からいくらでも付け足せるし、予想だにしない設定なんていくらでも開示できる。
ところが、好き放題に世界を捻じ曲げてしまったら一気に没入出来なくなってしまい、世界が“作り物”になってしまう。
あとから開示したどデカい設定に驚愕させるためには世界がそこに“ある”という意識を読者に持たせる必要がある。
ワンピースや進撃の巨人は世界の強度が高い作品だからこそ、世界に関わる重要な設定が開示される場面で強烈なカタルシスを得ることができるのである。
前述した“期待”と“予想”についての言説の言い換えのようであるが、世界観が強固に保たれていることが“期待を裏切っていない”ことの要因になっているのだ。

既読者の中には、いやいや漫画版チー付与なんてむしろ世界観壊して好き勝手やってる漫画じゃんみたいに思った方もいるかもしれない。

これはむしろ逆で、好き勝手やっているのに世界が壊れていないのがむしろ凄くね?と筆者は主張したい。
かなり感覚的な話になってしまって申し訳ないが、1つ根拠を挙げるとすれば、

「あれだけ突飛なギャグを連発しておいて他の作品のパロディやメタネタが全くない」

ということである。
全然見落としている可能性もあるが、少なくとも本編では世界を俯瞰から観てツッコむ描写が全くない。
リリィもマーガレットもミラベルも、漫画版チー付与の世界の住人であることから降りていない。
燐光竜の足元にあったウージーや、パチンコ屋はあの世界には“ある”ものなのだ。
あの世界にグアムや東京は“ある”のだ。
それについてツッコミを入れるのはあくまで読者であり、キャラクターではない。
その徹底した態度があの世界はそういうものだという“強度”を強めている。(一回ワークマンのパロディをやったのは…………あー……なんだろうね……
他作品のパロディをすることに比べたら実在する店のパロディは東京と並べられるようなものと言えなくもないか…………?)

また、ウージー等に代表される科学技術が一発きりのネタでないという点も世界観の説得力に繋がる。

葬送のフリーレンのハンバーグを食べる描写はあくまで1つの小道具に過ぎず、あの世界で現代的な文化が根付いている設定を主張するものではない。
あのハンバーグを見て「なるほど、葬送のフリーレンは実は現代の設定だったんだな」と思う読者はいないだろう。

一方、漫画版チー付与における科学技術の描写はそうではない。
たしかに初期は明らかにシュールギャグとして現代科学の描写をしていた。
しかし繰り返し繰り返し科学技術の産物を登場させることによって、中盤以降シュールギャグを“そういうもの”として定着させたのだ。
つまり読者にファンタジー世界の科学技術を自然と見慣れさせたということである。
この現代設定を惜しまずむしろどんどんギアを上げていくことにより、話数を重ねれば重ねるほど舞台は現代に近づき、「ファンタジーと科学技術が混ざり合う世界」の強度は高くなっていく。
その結果、最新話付近ではドラゴンと車が並走していることにもはや誰も疑問を持たなくなっているのだ。

だから最新話付近まで読んでいまだにファンタジーなのにめっちゃ科学技術で草みたいなこと言ってるのは、漫才の中盤になってもハゲで笑ってるみたいなうすら寒さを感じる。シシガシラのネタだったらいいけどギャロップ見てるときにそれやんなよみたいなかんじ。

ワンピースや進撃の巨人などの名作漫画たちが「ありえそう」な設定の積み重ねで説得力を生み出したのに対し、漫画版チー付与は「ありえないこと」を物量で押し切ることにより見慣れさせ気がつけば説得力が生まれているというアプローチを取っている。
そこに漫画版チー付与の独自の読み味がある。


5.おわりに

どうだっただろうか。
ちょっと無料公開が終わったら改めて追記などしたいところではあるが、マジで完成しないのでひとまずここまでとしておきたい。

ここまでのまとめを以下に示す。

・漫画版チー付与は「ギャグ」や「原作改変」が初見の人にはわかりやすいフックとなる
・しかし、そこの部分だけではなくキャラクターの人間くささやセカンドライフに焦点を当てた人間賛歌の部分にも注目してほしい
・漫画版チー付与は高い構成力によって様々な要素を成立させているのが凄い
・その一因となっているのは世界観が強固に設定されているからなのではないか


本当は構成力の話を深堀りして「ウラヌスに向かうまでの導入がスムーズすぎる」とか「それぞれの陣営の目的が明確で進行度もわかりやすい」とか「レインの主人公然とした態度が俺は本当に好きで」とかの話もしたいのだが、あまりにも既読者向けの内容になってしまうので気が向いたらまた解説文を書いてみようと思う。

ここまで稚拙な文章を読んでくれた熱心なチー付与ファンが万が一いたら本当に友達になりたいな。スペースとかしようぜ。
みなさま、良きチー付与ライフを。それでは。


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