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性で区別することに一体どれだけの意味があるのだろうか

僕が男性だからなのかはわからないけれど、「性」ってそんなに重要なことなのかと思ってしまう。なにせ昨今は女性の社会進出が話題らしい。

確かに社会構造として、「性」によって社会的役割を決定していた時代があるのは確かだろうし、そのような時代を生きた人たちが、今の社会は、「女性に厳しい社会である!」と甲高に叫ぶことには確かに妥当性があるのだろう。※(社会全体に、果たして”今”があるのかは怪しいと思うが)

僕はもともと、なんでも「評価する」という立場をとることに対して懐疑的である。それは、「え、別にその指標いらなくない?」って思う機会が数多く存在しているからである。性別による区別は、そのようなものの一つである。

男性の方が〜〜で女性の方が〜〜っていうのはよくないよねって体制をとるならば、なんで「女性が輝ける社会」というものを目指すのか甚だ疑問である。「誰もが輝ける社会」を目指すのではないのか。「男性はもう活躍しているから別に制度で支えなくても活躍できるよね」とでも思っているのだろうか…

どちらかを優先した段階で、そちらが優位になるのだけれど。それが”今”の「私たちが目指すべき」社会らしい。僕が生きている”今”と、社会の声高らかな人たちとの”今”はどうやら異なっているようだ。もちろん、世のおじさまたちのように「昔は許されていたのに、”今”は厳しい世の中じゃなぁ」で述べられている”今”とも、僕の生きている”今”は異なっている。

要するに、性別で何かを区別するという時代ではないのではないか。少なくとも、僕の周りの人々を一つの世代として呼ぶならば、若い人の世代で「女性は家にずっといてほしい、私が管理したいのだ」なんて言っている人は見たことがないし、「女性は性の対象でしかない」とか言っている人も見かけない。みんなそれぞれの人のことを”人”として見ている。

上の世代の人たちは上の世代で残っている問題を、こちら側にも存在するものとして、あまり語ってほしいとは思わない。と言うより語られても実感がわかないよなぁ、なんて小言も漏らしたくなった。


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