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知らない弟の横顔と、午前3時のチャーハン

深夜に、周波数を合わせていた。

大学入学を言い訳にして実家を出てから、3年。すっかり父の物となっていた携帯ラジオは彼が好きな競馬の中継番組の周波数ばかりキャッチする代物になっていた。わたしがキャッチしたい周波数とは、ぜんぜん違う。

「ねーちゃん、腹減らん?」

びっくりして、声が振ってきたほうを見ると、ヌウッと大きな男の子が立っていた。2つ年下の弟である。弟が、“ねーちゃん”と呼んでわたしを見ていた。

「チャーハン食わん?」
「・・・食べる」

“深夜の食事”って、どうして一瞬だけ躊躇してしまうんだろう。壁掛け時計の針は、いつの間にか3を指していた。(ついさっき、最後に見たのは1だったというのに!)
1秒の沈黙のあとの肯定に、目線で頷いた弟は踵を返す。わたしは、雑音ばかり垂れ流す携帯ラジオを持って、その背を追いかけた。

キッチンに立つ弟を見るのは初めてだった。新鮮で、違和感があって、興味深い。しみじみと眺めているわたしに弟は何も言わず、生地が伸びたスウェットの袖をまくった。いかにも料理してる風にみえる。

多めの胡麻油を本当に熱したフライパンなら、卵3個分の液体を入れた瞬間に、ジュワッと音をたて、一瞬でブクブク沸騰する。適当なお玉でカンコンカンッとアワブクを潰し、固まりかけた外輪側といまだ緩い内側を大きくかき混ぜて、フライパンの端に寄せる。空いた場所へ、夕飯だった冷やご飯。ご飯と混ぜてから焼くとパラパラになる、なんて知識はくそくらえ。チャーハンの卵は、卵として味わいたい。
塩コショウと丸鶏ガラスープを振っていれ、ざっくり混ぜる。鍋肌からお醤油をひと回しして焼き目をつくように20秒触らない。

母の作るチャーハンと一緒だった。わたしがいない間に、弟が習得したらしい母の手順。

ホカホカで、胡麻油と焦げた醤油のいい匂いがする。おいしそう、と言おうとすると、弟がチャーハンの盛られたお茶碗と交換と言わんばかりにこちらに手を差し出してきた。

「ラジオ、貸てん。合わしたるから」

ムンズっと細いのに頑丈な腕の先、大きくて分厚い手のひらに掴まれた携帯ラジオ。指先でツマミをいじり、淡々と周波数を探る弟。驚きつつ、チャーハンを口に運んで平静を装うわたし。

「ねーちゃんがもっと帰ってきてたら、こんなん自分ですぐに合わせられるのにな」

携帯ラジオは聴きたかったアーティストの声を流し始めていた。弟の言葉と行動に、わたしは拍子抜けする。こいつ、わたしのよく聞くラジオ局の周波数を覚えていたのか。

健康的に華奢で活発な高校生だったのに、タッパがあり筋肉もついた大学生になっていた。理由のない苛立ちを含んだ短い相槌しか打てなかったのに、寂しいみたいな声色を出せるようになっていた。なんでも独り占めしたがっていたのに、深夜にわたしとチャーハンをわけ合うようになっていた。

歳が近く、思春期を同時に迎えたせいで、家を出る直前はほとんどお互いを避けるように生活していた。だから、本当にあの頃から弟が変わったのか、正直よくわからない。なんだか急に苦い気持ちがふきあがってきて、寂しさとか懐かしさとか羨ましさとかがまざっていて、ふりきるために思いつきを声にする。

「ねえ、ビール飲んでいい?」
「ええんちゃう。・・・知らんけど」

こういうときは、アルコールだ。こういうときのために、ビールだ。
弟は横目でわたしを見やったあと、フライパンから直接スプーンですくったチャーハンを食べはじめた。業務用のアイスクリームを抱え込んで食べる子どもみたい。「行儀が悪いよ」と姉の顔をしようか考えながら、わたしは冷蔵庫から缶ビールをだし、プルをあける。なんでか苦さを一気に喉へ押しやって。弟の前、食卓の席へ戻り、わたしもチャーハンを頬張る。ビールに塩っけ。塩っけにビール。

もくもく、もぐもぐ、ごっくん。
集中、咀嚼、飲酒。

弟が、「あ、」と呟き、窓を見る。閉め切られた雨戸の隙間から、外でバイクが走っては止まる音がする。夜が更け、明けが近づく音がする。

最後まで読んでくださりありがとうございました。スキです。