マリエンヌと東京
夜の総武線。
窓から見える新宿高島屋の看板。
最早古いのだろうか
エモい、という言葉。
何年この景色を見ても
何年この場所を通っても
わたしにはこの景色が
現実のものと思えないのだ。
それは
わたしが東京生まれじゃないから?
わたしが田舎者だから?
渋谷のスクランブル交差点も
何度見ても作り物にしか思えない。
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どのくらいの表現者が
自身と東京との関係性の作品を作ってきただろう。
浅はかな知識しかないわたしですら
東京の不思議な立ち位置に何かを感じてしまい
こうやって
いわゆるイタイ文章を書いてしまう。
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わたしにとって東京は
あくまでも地元を離れる口実だった。
浅はかなわたしは
今いる場所よりもっと
キラキラしているところに行きたくて
作り物にしか見えない街に
自分の未来を託してみた。
キラキラして
何でもあって
すぐ叶う。
楽しさしかなかった。
だけど街の中はいつまで経っても
わたしにとって作り物にしか見えなかった。
気がついたら
地元にいる年数と同じくらいに
東京に住んでいることになりつつある。
わたしは東京で何かを見つけたのだろうか?
ここに自分の居場所はないような気がする
ここにわたしはずっと住まない気がする
そんなことを思い
離れようとするのに
思い出すのは
あの総武線から見る新宿高島屋なのだ。
あんなに
作り物にしか見えないのに。
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居場所はないのに
離れられない場所東京。
わたしはあと
どのくらいここで過ごすのだろうか。
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