一歌談欒 Vol.3

この森で軍手を売って暮らしたい まちがえて図書館を建てたい (笹井宏之)

上記の短歌について思うこと、感じることを形式も字数も制限なく自由に表現しようという.原井(@Ebisu_PaPa58)さん主催の #一歌談欒 企画参加作品


どうしたものか反乱分子どもは森へ逃げ込む。森は自然が作り出したラビュリンス、そう迷宮だ。

平和な時代から営々とそのラビュリンスは受け継がれてきた。年に何人もの遭難者を出し、中には命を落とす者もあった。

反乱分子どもはそれを利用する。この国でゲリラ戦を戦うのには最も適しているからだ。反乱分子はそこに定住し、生活を営んでいる。商店が立ち、子どもが生まれ、空き地は学校、集会所になる。しかし、一旦攻め込めば散り散りに霧散し、形跡だけが残される。見えないところから石つぶてや竹槍が飛んできて我が軍は手痛い打撃を受けることになる。森で迷わされ食料を失い半数は死に至り、残った半数の半数は狂ってしまう。森は反乱分子には庭に違いない。しかし我々にはいつまで経ってもラビュリンスのままだ。

やつらは身につけられる物しか持たない。所有するということに意味がないからだ。我が軍が攻め込めば、持ち物など立ち所に邪魔になる。足枷になる。森というのはそういうところなのだ。

もうほっとくがよかろう。

しかし歴史は繰り返す。代が変わればまた森を攻める。そして森の力を悟ることになる。

ある時、我が軍に吉報がもたらされた。反乱分子がまちがえて図書館を建てたらしいとの情報。やつらの誰かがしくったに違いない、という者。賢いやつらが建物など、という者。真偽のほどは如何なものか。

我が軍は早速、斥候を送り込んだ。身分がバレたら森で迷わされ生きて帰れない非情な任務だ。一度、斥候を軍手売りとして送り込んだことがあった。軍手は人気がある。回転率の良い絶好の商いだ。しかし立ち所に斥候とバレてしまった。やつらの軍手は芭蕉布か夕顔の繊維と決まっていた。木綿などあろうはずがない。バカめが。

今回は上手くやってほしいものだ。

しかし間もなく斥候は肩を落として帰ってきた。図書館なる建物などどこにもなかったというのだ。しかし図書館はあったという。ガルシア・マルケス「百年の孤独」といえばある男がやってきてそれを語り始め、川端康成「雪国」といえばある女がやってきて語り始めるというのだ。斥候はそれを一週間見てきた。いや、聴いてきた。斥候はドストエフスキー「罪と罰」が圧巻だったと語った。バカヤロウ!そんなことは聞いておらん。やつらは頭の中に図書館を建てたのだ。

わしが保証しよう。やつらの国は盤石だ。倒れるとすれば我が国に違いない。

*総評

このような話を書いておきながらだが、実際のところ、このうたは荒唐無稽な行為を二つ並べただけのもののように見える。無駄な行為。そういうものこそ大事なのではないかと私は思っている。無駄は文化。そう無駄こそ文化なのではないか。蛇足、蛇の足こそが文化の発露ではないだろうか。

ということで私の駄文も文化の欠片である。

(本文所要時間35分)乞是正

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