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北岡樹

movingに参加するメンバーが自身で2年間を振り返ったnote。イベント前の自己紹介的な感じでしょうか。小タイトルは、質問。そのあとに、自身で記載してもらっています。登壇メンバーが、どんな2年間だったのか、ぜひご覧ください(^^)

経歴

▼大学生活なにしてた?
 もともと小学生の頃から小学校の先生になりたくて小学校の教員免許の取れる学芸大学に入学しました。高校生の頃から「大学に入学したら、先生になるまでにはいろんな経験をするんだ!塾講みたいに先生に近いバイトは絶対にしない!」と偏った思想を持っていました。首尾一貫、実際に5年の大学生活で「塾講」はしませんでした。頑固かもしれないです。
 こういう機会もあまりないので、学生時代にやったことをとうとうと振り返ってみます。長いです。
 実際にやっていたこととしては、学歴コンプから「留学してえ」とイキり始めて実際に3年生のときににスウェーデンに半年交換留学に行きました。大体の人には留学は鬼に金棒的な効果を発揮するんですが、私の場合はいきってただけなので盛大な失敗体験になりました。
 帰国してからは、前々から興味のあった教育格差の現場に関わりたいと思ってLearning for AllというNPOでさまざまな困難さを抱えるお子さんへの学習支援ボランティアをしました。それと平行しながら、「教室から社会を変える」というビジョンにビビッときてTeach For JapanというNPOで広報のインターンにプログラムに参加してました。また、特別支援教育を経験してみたいなと思ってTEENSという会社でインターンをして発達障害のあるお子さんへの支援をしてました。
 「リサーチャーとかかっこいいな」と思って、東進ハイスクールを運営するナガセでリサーチャーとして論文調査や行政動向調査とかをしていました。インターン仲間のみなさんが優秀すぎてついていけない部分もありましたが、みなさんの人柄に助けられました、、、
 最後の5年生の時には人脈にも恵まれて、OECD日本イノベーション教育ネットワークというプロジェクトで、「エンパワーメントパートナー」として中高生のサポートや研究のお手伝いもさせていただきました。
 卒業する直前の1月から3月の超短期間でARROWS(当時はLOUPE)というベンチャーでインターンをしました。「先生から、教育を変えていく」という、私がすごく共感するビジョンにフルコミットしている会社で、ここで3ヶ月だけでも働けたことは誇りに思っています。

▼今どんな仕事してる?
 今は株式会社LITALICOという会社で発達障がいなどで生きづらさを抱えるお子さんへの支援を行っています。その中でも、教室長という立場で直接お子様に支援をするだけでなく、教室にいるスタッフの方々がより楽しく、自己実現につながるように働ける環境を作ることでビジョンに向かう教室を目指して日々努力しています。

▼なんでその仕事についたの?
 理由は大きく2つあります。1つ目は、学校教育に外から関わる、特にに先生をサポートするような関わりができる仕事につきたいと考えていたことです。LITALICOジュニアでは「保育所等訪問支援」というLITALICOのスタッフが教室に通っているお子さんの生活する学校や幼稚園などに訪問し、先生と一緒にお子さんのできることを増やしていくための手立てや環境設定を考えていくものがあります。そのサービスを行う中で、先生の困っていることに対して社会のリソースとしてサポートできるのではと考えました。
 2つ目は、近い将来教員になる前に民間企業で働いてみたいと思っていたことです。学生時代に出会った先生で直観的に「素敵だな」と思っていた先生に民間企業出身の方が多かったことと、若くしてマネジメントの経験を詰めることの2つから、新卒では民間企業に行くことにしました。正直なところ、民間企業出身の先生がなんで素敵に思えたのか、その共通点は自分でも分かり切らなかったので「とりあえず自分もその道に進んでみよう」と思い切って選択しました。マネジメントに関しても、ゆくゆくは群れでビジョンや目標に到達できるような人になりたくて、学校だと管理職になるまで経験できない気がしたのと、特にLITALICOでは入社2〜3年で準管理職にはなれる噂を耳にしていたので、LITALICOに入社しました。

自分のmoveのプレゼンを見て、一言!

 再生し始めた時には正直「普通に過去の自分見るのはしんどいな(恥ずかしい)」と思いました。
 当時の自分を見て自信ありげだなと感じました。確かに、当時はちょっと頭をひねれば話を聞いてもらえる、結果が出せる(ような気がする)と思っていました。しかし、入社してから2年、アクセル踏んでも思うようなスピードは出ないし、進まないことばっかりだったなと思う今日このごろ。プレゼンで言っていた「とりあえず新しいことをやってみる」がなかなかできなくなっていました。ちょうど最近「とりあえずやってみる」を意識し始めていました。「大切だ」と説いていたものを今意識し始めているという、なんとも不思議だなと。
 辛い1年に新しいことをやってみて変わったという話をしているシーンがありました。しかし、この1年の私にも正直仕事でしんどいところがあったが、思考停止になって新しいことをやってみるようなチャレンジってなかったなと。
 あと笑をとりにいくところがわかりにくいなと思いました。もっとちゃんとM1グランプリとかちゃんと見るべきだなと思いました。最後の終わり方はツッコミがいないと成り立たない気がしました。
 2年も前に自分が抱いていた思考とかを形に残して振り返るとかしてこなかったので、新しい出会いでした。

move!からの2年間をモチベーショングラフで表してみました!

いつきっち_アートボード 1-07

グラフの縦軸について

 個人的にモチベーショングラフを描くときには、いつも縦軸は自分の「モチベーション」にしています。だから今回もただ日本語にしただけで「活力あり」と「活力なし」にしました。この活力は、本業の仕事に対してだけでなく、社外での活動に対してもという感じです。私の場合は割と会社の業務に対しての活力と社外の活動に対しての活力が反比例することはなかったので、一元的に表現しています。

「正の領域」からエピソードをひとつ。

 入社当初の4月も「この会社のなかで圧倒的に成長してやる」的なモチベーションがあったため、活力が高かったのですが、それと同じくらい高かった2019年10月くらいのエピソードについて書きたいと思います。
 入社して半年がたち、教室で小学校進学をひかえる親御様向けに、「小学校ってどんなところ?」というイベントを開催しました。発達障がいなど困難さを抱えるお子さんが通う教室なので、普通級、通級、支援学級、支援学校のそれぞれの選択肢について親御様が知ることができる内容でした。開催するにあたって「そこで教壇に立っていた先生と話せたらいいな」と思い、多くもない人脈を頼りにそれぞれの学校での勤務経験のある社外の方々にお話ししていただきました(通級だけ見つからず)。
 このイベントのモチベーションが高かった理由として、聞く限り社内で前例のなかったこと、人と人をつなげる機会作りができたこと、の2つだなと考えています。入社してからは、1人の指導員としてあまり得意でない未就学児のお子さんへの指導をしていました。この10月あたりは、周りよりいい指導ができず「自分の色を出して働きたい」ともやもやしていた時期というのもあったかなと思います。ポジションに期待されることを全うすることはもちろん大事ですが、その中で自分のやりたいこととやらないといけないこと(やったらいいと思われること)をつなげて動くことも大事だなと思いました。

「負の領域」からエピソードをひとつ。

 圧倒的に低いところ、2021年11月です。④の質問の様にこれといった特定のエピソードがあるわけではないのですが、最も気持ちが落ちた時期でした。会社で体調不良や欠員が続いき、業務量が多くなっていて、業務をやってもやっても自己実現ができている感じはないし、成果は出ない。会社の人事制度が変わって、教室長の登用時期も後ろ倒しになったり等本当に踏んだり蹴ったりな感じでした。教室長になるにあたって、どんな教室長になるか等未来について考える必要があったのですが、とても先について考えられないようなメンタルでした。
 メンタルが追いつめられると未来的な思考が止まることがあることを身をもって感じました。学生時代に、実習に行ったりしたときに学校の先生でビジョンや熱量が見えにくい人が結構多いなと感じることがあったのですが、ただその人たちがもともと熱量やビジョンがないのだろうと思っていました。そんな自分には大きな発見でした。
 12月に活力が回復傾向にあるのは、無理やり帰る事と人と話すことをしたためです。それまでは、仕事を早く終わらせるためには仕事を効率よく行うために課題解決思考で本質的なものを選ぶことが大事、と思って頭を使っていました。もちろんそういったことは言うまでもなく大切ですが、私の場合は結局「意識」が大事だったと分かりました。早く帰ることを続けることで、心の余裕も生まれるようになり未来的な思考も回復してきて、モチベーションも回復しました。
 また、どん底のモチベーションになってしまうと人と話すことさえ疲れてしまうから、回復したことで人と話せるようになりました。私はそんなに頭がきれるタイプではないので、だいたいのことは人と話して考えた方が前に進みやすいし、純粋に人の力を借りることは大事なことです。それができるようになって、より状況も改善していきました。

 ちょっと脱線しますが、本当は会社で新卒最速で教室長になることを目指していました。結果として、それは達成できませんでした。上場企業で最速で準管理職になる、というポータブルなレコードが魅力的に思えていたこともありますが、何より「最速」であることに価値を感じていました。相対的に比較した時に、どの位置にいるのか、というところに自分のアイデンティティーを依存させようとしていました。「最速」が達成できなかったことで、純粋に「何をするのか」「どうありたいか」に向き合うことができたと思っています。周りとの相対的な比較の位置に拘ったまま、その目標が達成されていたら、今後も本質的な中身ではなく表層的な外見ばかり求めて働いていたんだろうなと思います。もちろん、目標を達成できなかったことは悔しいですが、その代わり得たものは大きかったなと思うようにしていますし、思っています。

moveを終えてからこの2年間で一番感謝していることは?

 正直なところ、「1番感謝してることは?」と言われて「これだ!」というものは思いつきませんでした。もちろんお世話になっている先輩方や社外の活動を一緒にやっている友人、その活動の中でやっているイベントに参加し続けてくださる方々など、「ありがたい」と思う方々はたくさんいます。ただ「1番」となるくらい強烈に感謝みたいなのが思いつかないなと思っています。
 ちょっと人間的にヤバいんじゃないか?と思ったのでなんでそうなんだろうか、と考えてみます。
 そもそも「有難い」とはなかなかないことをしてもらう、できないことをしてもらうときに感じる感謝なんじゃないかなと思います。じゃあ、人にしてもらうことは「当たり前」と思っているのか?と考えてみたが、それも違う気がします。ただ、楽な事ばかりじゃない、ラッキーなこともそんなになかったように感じるここ1年では、自分の結果は自分の頑張りの結果によるもののような気がしてしまうと思いました。うまく行かない中でもがいていたような感じでした。
 とはいえ、今の状態に関して本当に「当たり前はないのかな?」と考えてみます。コロナがあった中でも仕事ができている、教室長になることができている、業務外でもイベントを1年以上継続できている、などなど、、、
 コロナの中でも仕事があるのは、その中でも通ってくださるお子様親御様がいること、オンライン支援が可能になった政策提言、行政の営業継続要請が出たことなど、あげたらきりがないですね。
 教室長になれることも、まず入社してすぐ教室長を目指していく目線に上げてくださり伴走してくださった先輩、不安も絶対ある中で任せる決断をした上長、しんどい状況の中でも着実に成長して結果を出し続けている同僚のスタッフ、といった周りの存在がないと今には至らなかったなと思います。
 社外のイベントを続けられているのも、同じ熱量でビジョンを追いかけられる友人、拙いイベントに参加しては丁寧にフィードバックをしてくださる参加者のみなさん、イベントを人に紹介してくださったり継続して参加してくださる方々など、いい人に恵まれてのことだなと思いました。
 もともと性格として「もっと頑張らないと、改善していかないと」と足りないところに目がいくところがあります。だから、振り返りもそこそこに「今あるもの、できているもの」に目を向けないから、現状を形成している存在に気づかなかったのかもしれません。改善点とかマイナス部分ばかりを見ていたことで、今ある中の「有難き」もの気づかなかったのかなと思います。「有難き」とか「当たり前」とかの基準は人それぞれだと思いますが、上を見続けながらも、今あるものの中から「有難き」ことに気づける人でありたいなと思いました。

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トークイベント「moving」について
樹さんが登壇するイベントの詳細はこちら(^^)


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