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41 人生に効く「全部自分のもの」という意識

 前回は多くの人が普通にやってしまっている何かへの「反応」のうち、最も人生にとって無駄である「怒る」について書きました。悪い事とは言わずに無駄と書いた事にご留意ください。大切な人生を最も手っ取り早く無駄に消費して捨ててしまう手段という事です。さて、今回ですが、妻に私が話した内容を書いておこうと考えます。

 知り合いの娘さんご夫婦がある飲食店を開店させたという事でお祝いにというほどでもありませんが、早速食べに行ってきました。場所は観光地一帯の端にある小さな駅前でした。ごった返すというほどではありませんが、その趣を好む人々が常に訪れる場所です。お店は小さな古い木造家屋を改造してお店に仕立てたもので落ち着いた佇まいでした。そして何よりお料理の味も盛り付けも一工夫、ふた工夫されていて素晴らしいものでした。妻は、「さすがだね」と言いました。

 「さすが」の意味は、そのお店や料理の背景にあるものを私たちが知っているという意味です。実はその知り合いの方は世間ちょっとした有名人なのです。最近はその活動がsns上で全て見られますし、とても積極的に活動されているのです。どの程度の有名人かというは点は少し表現が難しいのですが、snsの外の世界でもある程度名と顔が知られていて、それがその方の家族にも及んでいるほどです。つまり、妻はその方は私たち一般人とは違った世界に住んでいて、私たちを遥かに超える真似のできない積極性を持って生きていると言いたかったのでした。

 それはそうです。有名になる方々はどんな場面でも積極的に見えます。私たちから見ればほとんどスーパーマンのようなもので、とても真似できるものではありません。例えばイチロー氏のように練習すれば同じほどのスーパープレイヤーになれそうな気はしますが、実際にはそうはなれないでしょう。仮に同じ練習をして同じ身体能力を身に付けたにしても、イチロー氏は監督に何か忠告されたような場合に自分の考えを曲げて従ってしまう事が無いのに比べ、私たちにはそれができません。自ずと結果は違ってきてしまいます。何かを成し遂げるには超越的なポジティブさが必要なように感じられます。この感覚は普通ではないでしょうか。

 ただ、私は妻とはちょっと考え方が違います。成功者にそうした能力が備わっていて私たちとは異なるという考え方は、なきにしもあらずではありますが、自分にできない、そして諦めるための理由付けのようであります。はっきりとはわかりませんが。けれども、ポジティブであるかどうかよりももっと下のレベルの違いにも注目しなければならないはずです。それは、彼らには「自分の前にあるものを全て自分のものにする」「自分のものである」という意識があるという点です。

 分かりやすい例としては故林家三平師匠の家族、海老名家の面々です。私は彼らがテレビに出てくる度に違和感を感じました。(最近の事はわかりません) 誰かが結婚したとか離婚したとかは他の芸能人でもゴシップとしてありますが、海老名家の場合は別に他人に言うほどの事でもない、誰も興味を持たないであろう程度の事をわざわざ記者を集めて発表しています。そもそも世間的に芸能界に功績があったのは亡くなった故三平師匠だけであって家族の他のメンバーには何もありません。何故彼らがそうするかと言えば、彼らが芸能界を自分たちの庭だと考えているからです。えっ?、庭ですか? そうです。誰がどう感じようと彼らにとっては自分たちのものなのです。その世界では自分たちの王国のようなものなので、下々の者どもに家の中の出来事を周知せねばならないのです。

 ずいぶんと自分勝手な思いです。私たちは普段落語の事も、ましてや海老名家の事も頭の隅にも置いていません。それよりよく見るお笑い芸人やアイドルの方が100倍気になっています。ともあれ、先に言ったポジティブよりも下のレベルの意識とはこの事です。つまり、目の前にある「全てのものが自分のもの」というものです。

 他人から見れば多少迷惑な場合もありますが、生きていく上で必要なのはこの意識ではないでしょうか。例えば道を歩く時、それが私有地でない限り誰にも歩く権利はあります。他人にぶつかってしまわないようにする事は必要ですが、歩く事を誰も止める事はできません。もしその道を他人のものだと意識して歩くだとしたらどこへ行くにもビクビクしていなければなりません。どこで何をしていても誰かに何か言われないかを考えて事前に対処したり構えていなければなりません。結局家から出ずに窓を閉めきって引きこもる生活が一番という事になりますし、何もしないで生きる事になってしまいます。海老名家の人々とは完全に対照的です。

 そこで一つ、分かりやすい問いが出てきます。「私たちの目の前に見えているこの世界は誰のものなのでしょうか?」答は簡単なはずです。私の周囲にあるこの空間、私の時間、私のお金、それらを自分の手に取って自分のものにするという意識。仕事やその他の行動によって得られる報酬を遠慮なく受けるのはフェアな事だという考え。まず、その部分をきちんとしておかないといいけないのです。

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