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39 何もせずにはいられない・・・その結果

 前回はいつもとちょっと違った試みをしてみました。ある記事をとりあげて自分がそこに書かれている言葉や文章に囚われて、そして思考無き「反応」をしてしまうかを見てみたのです。他のいろいろな記事を読んで同じ事をやってみると良いでしょう。さて今回は、私がずっと前から感じていて今も変わっていない事について書こうと思います。

 私がずっと、日本人の行動について感じている事は「何もせずに止まっていられない」です。これはもう20年以上前の事ですが、私は南の島のバンガローハウスに住んでいました。こう書きますとどこか御伽話か童話のようですが本当の事です。私はただそこに住んでいて仕事などはありませんでしたからコーヒー豆を買ってきて煎って飲むというだけに半日を費やして過ごしていました。つまり暇なのです。私がそうしていますと時々あそこに暇人がいて何かしているような噂が広がり、それを聞きつけて人がやって来ます。すると、ゆっくりと長話をして、お腹が空くと一緒にご飯を食べてまた話して、夜になってまたご飯を食べてとなります。夜も更けてやっと眠くなると寝ます。

 その場所は静かで何も無く、リラックスするには持ってこいです。風が吹けば葉のそよぐ音が聞こえ、鳥の鳴き声も聞こえてきます。夜になれば虫やカエルの声がします。ただそれだけの場所です。私はそこにいて「完全な一日」を過ごす事にしていました。それはただ生きているという状態でいるという意味です。誤解されないように言っておきますが、私は宗教にも精神世界にもオカルトにも興味はありません。ただ、一人でそうしているのが心地良いからそうしていただけです。ですが私のお客さんたちはどういうわけかそれでは納まりがつかないようでした。少しすると、必ず「何かしなければいけない」と感じ始めます。最初はどこかへわざわざ行って美味しい物を食べてくるとか、雰囲気の良いお店でコーヒーを飲むような簡単な事で済むのですが、すぐに次の事、次の事へと進んでしまって止まる事がありません。そしてこれは一人や二人ではありません。全員そうです。

 このように何かしていなければならないというのは、仕事でも同じです。私は常々、業務時間中でも仕事が無い時には黙って椅子に座っていて欲しいと言います。その為だけに椅子を買って置いておいたりもしましたが、なかなか座ってはもらえません。(工場内での話ですが、管理側としては仕事が無い時間があるのを知る事はとても必要なのです) 私たちは「忙しく何かやっている」という事が美徳だと考えています。今はそうでもないかもしれませんが、昔の親は子供に「勉強しろ」と厳しく言ったものでした。テレビを観ている時間や遊んでいる時間は無駄な時間だと暗に言っているのです。一所懸命やる、汗水垂らしてやる、寝る間も惜しんでやる、頑張るなどが評価基準でした。今はそのような事は言われないかもしれませんが、その伝統は確実に伝わっていて活用されています。

 もうずいぶんと以前ですが、社会にパソコンが普及した時に業務がそれまでより効率化すると考えられました。ですが蓋を開けてみるとそうはなりませんでした。それは皆さんもよくわかっている通りで、デスクでパソコンに向かっているだけで仕事をしているように見えますのでその時間が増えただけだったからです。そして21世紀もすでに1/4過ぎますが、未だに日本ではホワイトカラー層が時間給ベースで働いています。

 ところで、こうした事は私たちの自己確認意識にも大きく関わってしまっています。自己紹介をされる時に「私は○○(職業や企業名)をしています」と言う方が圧倒的に多いです。(この事は別の記事でも書きました) これは自分が「何かをしているよ」そして「何もしていない人間じゃないよ」というアピールになっています。どちらかと言えば後者でしょう。何もしていないと自分を説明し難いと考えますし、何もしていない事は社会の中で自分が不完全な人という感覚があるからです。つまり、人間は何故か人間という動物でなくて、何らかの「社会的存在である事」を重要視するのです。一歩引いて考えますと「好きにしろ」ではあるのですが、私たちにはそうした社会的な恐怖感があるという事です。「生きているだけで丸儲け」「死ぬ事以外はかすり傷」のように言いますが、言葉では言っていても実際にそのように行動する人はかなり稀です。生きる死ぬ以前に社会の中にどれだけ適合しているか、少なくとも適合しているように見えるのが最も重要で、本当に忙しく何かしているよりも肩書きや会社名の方が重要になってしまいます。


 そうして私たちは「何かしている」をとても重視します。そして他人から「何かしている」と見られたいと常に考えるようになっています。それがパソコンの前に座っているに繋がり、会社に所属しているにも繋がり、長時間会社にいるに繋がります。でも、こうした事が別のところで唱えられているある合理的で一般的になっているやり方と大きく矛盾する事には何故か誰も気付きません。

 日本は工業生産の方式で長らく世界のトップに君臨していました。そのやり方、考え方の一つに「ジャストインタイム」というのがあります。これは生産に必要な物についてですが、必要な時に必要なだけあるようにするという事です。早すぎ、遅すぎ、少なすぎ、多すぎは全て損失に繋がります。言葉ではわかりますが、本当の本気でそれを実現するのはかなり難しいのですが、日本の多くの企業はいろいろ工夫してやっています。

 にも関わらず、自分や周りの人の仕事では「やり過ぎ」が良い事とされています。ですが、本当の事を言ってしまえばそれは実際に効果をあげている「やる」には全くなっておらず、「やっているフリのし過ぎ」「やっているように見せ過ぎ」にしかなっていません。やる事が無いと掃除や整理を始めたりパソコンに向かっていたりしているでしょう。自己紹介で有名企業名を言ってもそれは「やれる可能性がある」に過ぎず、その人が本当に「やっている」のとは関係ありません。その人が身体を壊して1年間休んでもその会社は何事無かったかのように稼働するでしょう。そんなふうにして私たちは何かせずにはいられない人間になってしまうのです。

 そうしたやり方は習慣になっていて、完全にプライベートな時間にも影響します。それが最初にあげた私のお客さんです。自分の時間を何かで充満させていないと不安を感じますからいろいろするわけです。もし私の家にテレビがあったならばずっとテレビを点けっぱなしにしていたかもしれません。あなたが仕事から帰って居間に腰を下ろした時のように。

 こうして私たちは時間を無駄に消費してしまいます。それが人生の中の大切な一部分だというのに。

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