見出し画像

自分の幸せのための楽譜は自分のもの

演奏家で言うなら


私はずっと背を向けている
ピアノ伴奏者のような生活をしてきました。

「まぁ、それでも良いかな。
 あなたが幸せなら。」

そう思っていました。

しかし、人から言わせれば、


どうやら私は
私の人生を生きていないらしく。


じゃあ、今さら
自分の思うようにと言われましても


何をどう生きれば良いのか分からないのです。
私が何をどうこうなるなどという像は
思い描けないのです。


とりあえずの目標を掲げれば、
それに向かって懸命になって動きます。
 

それでも強いて
どうしても1つあげるとするなら、


私は【幸せ】になりたいのです。


しかし、
幸せなんてものは実に抽象的で、


ふとした闇も。
静かに続く安寧も。


私にとっては、
心地よいものなのかどうなのかも

分からなくなっています。


私は人生に刺激ばかりを求めて
喜びを感じる人間ではありません。


慎ましやかに生きて
そばにいるあなたが喜んでいれば、


テーブルに花一輪あれば、


愛する人が美味しいねと、
そのテーブルの向かいに座って微笑んでいれば


幸せな人間なのです。



分かったのは、私の幸せには相手が要るという事。


誰かの心に寄り添うような伴奏をずっと出来ていれば

あなたの笑顔を想像するだけで
ただ、それだけで幸せなのかもしれません。

私が、きちんと幸せを描く楽譜さえ弾いていれば
どうやら他人にとやかくいわれる事さえも
耳に入らなくなります。

だって、他人から見た私の背中がどうであろうが、
私の弾いている楽譜は幸せのための楽譜なのだもの。

どうか、
あなたの幸せはあなたが決めるものです。

私も私の幸せを自分で決めるようにします。
お互いに幸せであれますように。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?