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【蓮ノ空感想文】「Dear my future」という手紙

はじめに

蓮ノ空女学院第104期スクールアイドルクラブ新入部員の皆さん、ご入学おめでとうございます。

「ラブライブ!蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブ 2nd Live Tour 〜Blooming with ○○○〜」千葉公演、最高でしたね。

ライブの感想だけでかなりの長文を書けそうなぐらいですが、中でも1stの時から聴きたかった「Dear my future」をついに生で聴くことが出来て感無量でした。初めて聴いた時から良い曲だとは感じていましたが、蓮ノ空を追い始めて半年が経ち、特に深みが増した曲の一つかなと思っています。
この曲について、今までは色々な解釈が出来て上手く考えがまとまらなかったのですが、今回ライブを見ていて自分の中で一つの軸が出来ました。
なので、思考の整理も兼ねてこの曲に対する私の考えを、思うままnoteに書き残そうと思います。

ちなみにライブではイントロで崩れ落ちた後ずっと号泣していて視界が大変なことになっていたため、演出面からの考察は出来ないです。私は弱い。


あと先日蓮ノ空で一番好きな曲である「千変万華」についてもnoteにオタクの妄言を書き残しているので、拙文ですがこちらも目を通していただけるとオタクが喜びます。よろしくお願いします。

作中での扱い

早速オタク語りを始めたいところなのですが、この曲に関してはまず
そもそもどういう立ち位置の曲なの?」という話をする必要があります。
例えばスリーズブーケの曲で「水彩世界」や「千変万華」は乙宗梢さんが作った曲で、作られた時期や経緯も活動記録やWith×MEETSでの言及などで概ねわかるものが多いです。
他に「Reflection in the mirror」や「素顔のピクセル」などはいわゆる伝統曲で、こちらは活動記録中ではあまり細かくは触れられませんが、Fes×LIVEでの披露時やスクステのカードのボイスなどで言及されることがあります。
これ書いてる最中に滅茶苦茶伝統曲の掘り下げ来ちゃった。何???

それはさておき、では今回取り上げる「Dear my future」はどうかというと、そもそも作中では一切言及がなく、Fes×LIVEで披露もされていません。
この曲はアルバム「夏めきペイン」に収録されていますが、このアルバムの収録曲は作中での扱いが不明な曲が多いです。(「Legato」はリリースから半年以上経った3月のFes×LIVEで伝統曲であることが明かされたりしました。)
そのため、この曲について語るためにはまず
・乙宗梢作曲か?伝統曲か?
・いつ、どういう背景で作られた(歌われた)曲か?

といった部分を考えていく必要があります。

結論から先に述べると、この曲を私は「乙宗梢さんが、103期ラブライブ!の全国大会以降に、"スリーズブーケ"に向けて書いた曲」であると解釈しています。

まず伝統曲か否か?という部分ですが、ここは割とシンプルな考えです。歌詞があまりにも乙宗梢さんの経験に寄っている。具体的な話はまた後程触れますが、特に顕著なのは以下のフレーズです。

泣きたい時に こぼすのは
「大丈夫」じゃない 涙だからね

スリーズブーケ「Dear my future」

大丈夫
責任感が強く何かと抱え込みがちな乙宗梢さんの口癖であり、無理を隠して自身が傷ついたり、仲間を傷つけてしまった言葉でもあります。
辛い時はそれを隠して無理に笑うのではなく素直になろう、というこの歌詞は、周囲からの「一人で無理して欲しくない」「頼りにして欲しい」という想いを受け止められるようになった乙宗梢さんの活動記録での成長とも重なります。
乙宗梢さんを象徴する「大丈夫」という単語と、乙宗梢さんの経験と重なる歌詞。伝統曲よりは乙宗梢さんが作った曲であると考えた方がしっくりくるかなと思います。

次にこの曲が乙宗梢さん作曲であるとした場合、ではこの曲はいつ作られたか?という話になります。
まず活動記録において乙宗梢さんが上で引用した歌詞のように「人を頼れるようになる」成長をするのは
① 活動記録8話:綴理との和解
② 活動記録15話:花帆さんとの関係性の変化
の2点に絞られます。
正直この曲が8話後(撫子祭~ラブライブ!地区予選前)に作られたのか、15話後(ラブライブ!全国大会後~)に作られたのかは未だに解釈に悩みますが、私はラブライブ!全国大会後に作られた曲であると思っています。
そう考える理由は色々ありますが、一番は15話の以下のシーンです。

活動記録15話 Part7より

どう見ても大丈夫じゃないだろ!!!乙宗梢!!!オイ!!!!!!!!

もしこれで15話以前に作った曲だとしたら、
"泣きたい時にこぼすのは「大丈夫」じゃない"…そうですよね?梢センパイ
という顔つきになってしまう。
8話で"蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブの"乙宗梢として抱えた悩みは解決したものの、もっと根深い、"乙宗梢"という一人の少女そのものに根付いた呪いが明らかになり、そしてそれを花帆さんが解くのが15話です。
この曲の解釈については何回も考え直しているので話の順番が前後してしまうのですが、私は「Dear my future」を、乙宗梢さんが自分の経験や痛みから学んだ一つ一つを未来に残した手紙だと思っています。
そういった観点で見ると、上で引用したサビのフレーズに込められている「自分に嘘をつかないで」というメッセージは、8話で夕霧綴理さんに対して無自覚の本心を吐露するシーンから繋がる内容でもあります。ですが、そこで語ったのは「ラブライブ!優勝をここで皆と叶えたい」という、スクールアイドルとしての夢の正の側面であり、乙宗梢さんがこれまで見せなかった「優勝できなければ私にはなにもない」という負の側面、無力感は15話で初めて吐露するんですよね。

活動記録8話 Part6より
活動記録15話 Part7より

15話で初めて花帆さんに弱みを見せ、そしてその弱みに寄り添ってくれる花帆さんの言葉に、行動に救われた乙宗梢さん。
同じように人の弱みに寄り添うような歌詞である「Dear my future」はこれ以降に書いていると考える方がしっくりくるかなと思っています。

少し長くなりましたが、以上のような理由で「Dear my future」について
"活動記録15話以降に乙宗梢さんが作った曲"と仮定した上で話を進めていきます。


「Dear my future」に込められた想い

タイトルの話

まず、「Dear my future」というタイトルの話をします。
よくある宛名形式の表現ですが、日本語にすると、"私の未来へ"とか、あるいは少し意訳して"未来の私へ"という感じになりますね。
前項でこの曲は乙宗梢さんが書いた曲、という話をしたので素直にタイトルを見ると乙宗梢さんが未来の自分に向けて書いた手紙、というイメージになるかと思います。未来の自分に向けた手紙というテーマの曲は沢山ありますし、実際歌詞全体を見ていっても確かにそういった要素が強いですしね。
ですが、乙宗梢さんの活動を追っていく中でこんな考えが浮かびました。

「my futureって、本当に乙宗梢さんのこと"だけ"か?」

確かに歌詞は乙宗梢さんの経験に沿っているし、"あなた"という呼びかけが多く、"私はあなた自身"というようなフレーズも出て来る。でも乙宗梢さんがそのためだけに曲を書くか?
乙宗梢さんは元々責任感が強く、他人のために自分一人で色々背負い込もうとしてしまう性質です。「大丈夫」という口癖にもそれは表れています。また、花帆さんに対して特に顕著ですが、人一倍思慮深く、自分が相手に与えてしまう影響を鑑みて相手の意思が決まらないうちは手助けに徹し、相手が踏み出すことを決めた時に初めて、願いと共にそっと背中を押してあげるような人でもあります。
その性格を一言でまとめてしまうのは少々乱暴ではありますが、あえて言えば利他的な性格をしています。

104期活動記録1話 Par16より

そんな乙宗梢さんがただ未来の自分に宛てた曲を"スリーズブーケとして"書くかと問われるとそうは考えづらく、少なくとも周りに、あるいは今後に繋がる何かを残すはず。では何に、誰に向けて書いた曲なのか?これを考えるために"my future"の解釈の幅を広げることにします。
例えば素直に乙宗梢さんの主観で見た場合、当然未来の乙宗梢さん自身はmy futureです。ですがその他にも乙宗梢さんの立場にフォーカスした場合、近い未来今の自分と同じように迷ったり失敗しながらも後輩を導く立場に立つ花帆さんだったり、ユニットにフォーカスした場合104期以降のスリーズブーケなども、乙宗梢さんから見た一つの未来ではないでしょうか。
そんな風にmy futureの解釈を色々と広げていったところで、蓮ノ空の楽曲には一つ重要な概念があります。

伝統曲」です。

冒頭、スリーズブーケの曲には乙宗梢作曲のものと伝統曲があり、「Dear my future」は前者だと思う、という話をしました。ですがこれはあくまで曲が作られた(であろう)103期の話。「Reflection in the mirror」や「素顔のピクセル」も今でこそ伝統曲という扱いですが、元々この曲を作った世代のスリーズブーケがいるわけです。
つまり、「Dear my future」も、百生吟子さんが加入した104期、乙宗梢さんが卒業した105期、それ以降もずっとその想いは受け継がれていき、ゆくゆくは伝統曲と呼ばれるようになるんですよね。
「Dear my future」が乙宗梢さんにとっての未来へ向けた手紙であることと、伝統曲として未来のスリーズブーケへも受け継がれていくこと。
この二点から、「Dear my future」というタイトルは乙宗梢さんが未来のスリーズブーケに手紙として残すことを意識したものだと私は考えています。

歌詞の話

そんな手紙の中には何が書いてあるのか、歌詞を見ていきます。

未だ見ない 明日を生きるあなたへ
引き出しの奥に預けたこの手紙
いつの日か 時間を飛び越えて
その背中をそっと 押せたらいいな

スリーズブーケ 「Dear my future」

1番Aメロ、歌い出しからストレートに手紙と言っていますね。文体や使われている単語も「未だ見ない明日」「引き出しの奥」「時間を飛び越えて」と、後にこの曲を見つけた"あなた"に宛てた手紙であることを思わせる要素が多いです。
乙宗梢さんも日野下花帆さんも卒業した後のスクールアイドルクラブの部室で、伝統曲となった「Dear my future」を見つけるスリーズブーケの後輩がいて、自分たちに宛てた手紙のような書き出しをした歌詞に目を落とす。
この歌詞は乙宗梢さんがそういった情景を考えて書いたのではないかと思っています。


難しいね 報われるとは限らない 現実
そっちはどう 理想像に苦しんでないかな

スリーズブーケ 「Dear my future」

1番Bメロ。ラブライブ!に自身の全てを賭けて、蓮ノ空に入学した乙宗梢さん。一度目のラブライブ!は慈の怪我沙知先輩の引退綴理とのすれ違いという不運が重なりそもそも万全の状態で挑むことができませんでした。しかし、二度目、103期のラブライブ!は103期生の入部綴理との和解慈の復帰と、スクールアイドルクラブとして万全の状態で挑みました。ラブライブ!リベンジの場に向けて作られた曲である「千変万華」にもその想いは表れていると思います。
でも、それでも、優勝にはあと一歩届かなかった。
全てを賭けて夢に挑み、全てを万全な状態にしてなおそこには手が届かず、心の中では自分には何もないと無力感に押しつぶされそうになっている。そんな時でも、部長だからと皆の前では気丈に振る舞い、自分が一番辛いはずなのに皆のフォローに回る。
こんなこと続けてたらいつか内側からボロボロになって壊れてしまう。

活動記録15話 Part1より

ただ、乙宗梢さんにはそこに日野下花帆さんという自分の重荷を一緒に背負おうとしてくれる、自分の夢を、私"たち"の夢と言ってくれる相方がいてくれて、自分が独りではないと、全てを背負おうとしなくていいのだと気づくことが出来ました。

活動記録15話 Part7より

この曲を見つけた"あなた"も、自分と同じように理想と現実のギャップに、あるべき姿に苦しんでいるかもしれない。その時、自分にとっての花帆さんのように、寄り添ってくれる人がいるのかはわからない。だから、せめて同じ経験をした自分だけでも時間を飛び越えてその想いに寄り添えるように曲として残す。以降のパートにも共通して言えることですが、乙宗梢さんのそういった想いから書かれた歌詞なのではないかと思います。


あなたは今 笑えてますか
私に嘘はつかないでよ
泣きたい時に こぼすのは
「大丈夫」じゃない 涙だからね

スリーズブーケ 「Dear my future」

1サビと落ちサビです。この曲で一番"乙宗梢"の色が強い歌詞だと思います。
スクールアイドルクラブがなくなってしまうかもしれなかった時、自分の本当の気持ちが分からなかった時、ラブライブ!で優勝できず一人泣くほど悔しかった時、いつも「大丈夫」とその苦しみを笑顔で隠して無理をしてきた乙宗梢さん自身が、「泣きたい時にこぼすのは『大丈夫』じゃない」というメッセージを歌っている。
辛い時に気丈に振る舞う必要はない、一人で抱え込まずに人に頼っていい、乙宗梢さんがそう思えるようになったのはスクールアイドルとして過ごしてきた2年間で最も大きな成長ではないでしょうか。
Bメロ同様、「私に嘘はつかないでよ」と、同じように一人で抱え込んでいる人に対して、せめてここでだけは無理をしないでほしいと寄り添うようなフレーズも印象的です。

また、少し話が逸れますがこのサビの歌詞は当初花帆さん→乙宗梢さんへのメッセージというような見方をした方も結構多いのではないでしょうか。少なくとも私は活動記録8話を読んで以降、16話が出るまではそういった見方もあるな~と思っていました。ただ、16話で「Special Thanks」という花帆さんからのメッセージが詰まった曲が出たことで、花帆さん→乙宗梢さんに関してはそちらの曲に全て詰まっていると考えても良いのかなと思うようになりました。
何より、花帆さんは今まさに乙宗梢さんのにいるわけですからね。曲にしなくたって直接、その目で見て、その手を取って、その声で想いを伝えることができます。
そういった点からも、「Dear my future」は自分の言葉で直接想いを伝えることはできない未来のスリーズブーケ、後輩たちに残した曲なのかなと思っています。


完璧主義 突然 発症させて
全てが嫌になる事もたまにある
この気質は 相変わらずかな
優しくなれないねいつも 自分には

スリーズブーケ 「Dear my future」

2番Aメロです。1番Bメロの内容とも被る部分がありますが、ここでのキーワードは完璧主義。乙宗梢さんのそういった面がわかりやすく描写されているのは、活動記録15話で大会後の村野さやかさんのフォローに向かうシーンですね。
スリーズブーケの二人がさやかさんの様子を見に行くと、いつも通りの様子で練習をしています。話を聞けば、「結果を残せないことは悔しい」「でも、それはやってきたことの積み重ねの結果」「努力を怠って得た結果では満足できない」、と。努力していない結果では意味がない、過程を重視するのが村野さやかさん、ひいては"不完全でも熱を持ったみんなで作る芸術"を求めるDOLLCHESTRAなんですよね。

活動記録15話 Part4より

ここでさやかさんは乙宗梢さんに「部でいちばん努力をしている梢先輩にならわかってもらえると思いますが」と同意を求めますが、乙宗梢さんは少し間をおいて「さやかさんはやっぱり、立派だわ。」と、まるで自分はそんな考え方は出来ないとでも言うかのような返答をします。
この答え合わせがここまでにも触れている同話Part7になるわけですが、乙宗梢さんの"努力"に対する考え方は、それより前の活動記録2話にも以下のようなシーンがあります。

「努力は伝わると信じている。私が誇れるものはそれだけ。」
このセリフは、裏を返せば「努力が伝わらなければ自分に誇れるものはない」と考えているということ。これを踏まえての15話の「優勝できなければ私には何もない」というセリフ。この時の乙宗梢さんにとっては、"努力が伝わる=優勝"であり、結果が出せなければ自分の努力(過程)には価値はないという考え方をしているわけですね。
村野さやかさんとは似ているようで、考え方の根本が違った訳です。

そんな乙宗梢さんの完璧主義について、ここでは「この気質は相変わらずかな」と歌っています。一見何も変わっていないかのようですが、抱える問題を自覚し、上手く受け入れることも一つの成長ではないでしょうか。

15話Part7で、自身の完璧主義から来る無力感を吐露した乙宗梢さんに対し、花帆さんは「だったら優勝しましょう!」という言葉をかけます。

活動記録15話 Part7より

これって凄く優しい言葉なんですよね。「自分には何もない」という相手にただ「そんなことない」と言うのではなく、あくまで相手の気持ちは相手の気持ちとして受け止めてあげる。その上で、その心に刺さった棘を抜くのに必要なのが結果だというのなら、一緒に結果を出しましょう!とその手を取る。結果主義というのは一見すると冷たい印象を持ちますが、ことスリーズブーケにおいて、乙宗梢さんにとってはとても暖かい考え方だと思います。

そういった経緯があることから、この歌詞には"あなた"も無理に変わろうとしなくてもいい、ありのままの自分を受け入れてあげたっていいというメッセージも込められているのではないかと思います。


前を向いて 歩くことだけが 強さじゃないんだよ
後ろを 向かなきゃ 見えないその足跡

あなたは今 どこにいますか
迷うたびに思い出してほしい
大人になるとは 何か捨てることではない
夢だって同じだ

丁寧に 見落としてしまわぬ様に
たくさんの返信を探して
今日もまた 旅をする 長く伸びる道を

スリーズブーケ 「Dear my future」

一連の流れで話したいので、2番Bメロ~Cメロまでまとめていきます。
先ほどは乙宗梢さんの完璧主義、結果主義の話をしましたが、ここでは乙宗梢さんが今まで本当の意味では目を向けられずにいた過程の話になります。
元々乙宗梢さんの書いた曲は、「水彩世界」や「Holiday∞Holiday」、「千変万華」など、なんてことない日々の尊さ、かけがえの無さを歌詞に取り入れている曲が多いです。
ただ、これまでの曲は、どちらかというと毎日を大事にしながら、ひたむきに前に進んで行こうという意思が強いように感じます。勿論それ自体は大事なこと(私も「千変万華」のnoteにはそのように書きましたが)なのですが、乙宗梢さんぐらい真面目で、責任感が強くて、ストイックな人だとずっとそんな風に走り続けていたら張り詰めてしまうと思うんですよね。実際、それで一度糸が切れてしまったのが15話だと思います。

そんな経験からか、ここでは自分がこれまで通ってきた道に残してきたものや、これから歩く道に落ちているもの。先は長いのだから、ゴールばかり見据えるのではなく、道すがらにあるものも一つ一つ大事にして、自分が歩んできた道を時には振り返ることも必要だと歌っています。乙宗梢さんが、自分には上手くできなかったことを教訓として"あなた"に伝えている歌詞ではないかと思います。

また、この"長く伸びる道"、手紙を読んだ本人たちが歩んできた/歩んでいく道は勿論そうですが、蓮ノ空においては伝統を受け継いできた先輩たちが歩んできた道、足跡も含んでいるのではないかと思います。その足跡には当然この「Dear my future」も含まれますし、他にも数多の先輩たちの経験が、様々な形でスクールアイドルクラブには伝統として残されています。
時にはそういったものにも目を向けて、頼りにしてほしいという思いも込められているのかもしれません。


あなたは今 幸せですか
その全てを愛せていますか
私は私を これからも諦めない
あなた自身だから

スリーズブーケ 「Dear my future」

ラスサビです。
ここまで様々な思いや教訓を並べてきましたが、最後はシンプル。
自分を愛せていますか?」という問いかけ。

利他的な性格で自分を蔑ろにしがちな乙宗梢さんが、自分を大事にしようという言葉でこの曲を締めくくってくれるようになったこと、ラブライブ!を経て、乙宗梢さんがありのままの自分を認められるようになったことを示しているようでただただ嬉しい。

ただ、この曲の解釈について、最初に後輩が読む手紙であると想定して話を始めました。その見方で行くと最後の「私は私を これからも諦めない あなた自身だから」という歌詞だけ少し引っかかるんですよね。この点については、
・「私もあなたと同じなんだよ(同じだったんだよ)」という共感
・最後の2行は、この手紙を読んだ本人が自身に置き換えて読む
のような2パターンの解釈が出来るかなと個人的には思っています。
どちらかというと後者の解釈の方が好きで、このラスサビ前までは同じように悩んだ先輩の想いを受け取りながら歌い、最後に「私は私をこれからも諦めない」という、歌い継いだ本人の決意に繋げる、というようなイメージを持っています。未来に向けた曲ですからね、伝統を受け継いだ"あなた"がその想いをまた次に繋いでいくこともあるでしょう。


まとめ

こんなオタクの長文を読んでくれてありがとうございます。
色々好き勝手書いてたら思いのほか長くなってしまいました。まとまりが無くてすみません。でも書きたい事大体全部書いたので私は満足しています。

今回の「Dear my future」の解釈について、冒頭でライブを見ていて固まったものだと書きました。実際ライブでの「Dear my future」のパフォーマンスからも感じるものは当然あったのですが、未来のスリーズブーケに向けてという点に関して一番大きかったのは、104期Dream Believers披露の際、最後にスリーズブーケが3人で花束を作る光景を見たことなんですよね。
伝統曲だとか、新入生の入部とか、頭ではスリーズブーケの形が変わっていくことを理解しているつもりだったんですけどあの光景を見た時に「あぁ、こうやって次へ繋がっていくんだ。」と自分の中でストンと納得がいって。そしたら乙宗梢さんがいなくなってからのこととかも考えてしまって、しかもおあつらえ向きに活動記録で伝統曲の掘り下げが来て、気づいたらこのnoteが出来てました。やっぱり自分の目で見たものが一番強い。


まとめとかいうのわからなさ過ぎる。
ケリーさんスリーズブーケさんいつも素敵な詞をありがとうございます。
オタクはこういう文脈が乗る曲が大好きです。
9人体制も滅茶苦茶楽しみだし今回も結論

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