サンタクロース作戦の思い出

わたしの故郷は北国です。
今日はそのときの思い出話を。
ろくでもない思い出ばかりですけどね。

季節は、今とは真反対の12月。もうすぐクリスマスという時期でした。
当時、わたしはまだ20代の半ばでした。
わたしも当時は車を運転していたんですよ。下手でしたけど。
あまり都会でもなかったので、車があるととても便利でした。
北国の12月はもう雪が積もっています。雪道とか冬道とかいいますが、車を運転するのはなかなかたいへんです。道は滑るし、積もった雪で視界も狭まってしまいます。
そんな中、わたしは当時、交際のあった人たちがいました。友達の少ない人生を送ってきたわたしにとっては珍しく、けっこうな数の人たちと集まったりしていましたね。
そのうちの誰かが、こういうことを言い出しました。
「しばらく会っていない友人たちの家を回ろうじゃないか」
それをサンタクロース作戦とか呼んでいました。訪問して励ますだけで、別にプレゼントなどを用意するわけでもありませんでしたが。
自然の流れとして、みんなで車に分乗して出かけるということになりました。
そうすると、車を出せる人が限られてきます。
どうも勝手に計画が立てられたようで、わたしも知らないうちに、車を出す側に入れられていました。
それを聞いて、すっかり慌ててしまったんですよ。

冬道を運転するのは、とても怖いです。
それにわたしは運転に自信がありません。
人を乗せて運転するというのは、冬道じゃなくても極力避けてきました。
しかも、今回は知らない道を行かなければならなくなりそうです。先導する車に必死でついていかなければいけません。自分のペースは許されず、先導車のペースで行かなければなりません。
これは悪条件が重なりすぎるミッションです。
だからわたしは拒否しました。「無理だ」と。

でも、通じないんですね。
ほかの運転担当は、冬道運転も平気で、人を乗せて走るのはあたりまえの人たちです。
だから、運転に自信がない人の気持ちなんか、わからないわけですよ。
誤解のないように言いますが、いい人たちなんです。わたしも何度も助けられてきました。
でも、いい人の怖いところは、「いいことに参加するのは当然。拒否するのは異常」というレッテルを貼りがちなところです。
みんな、わたしに参加するように説得にかかりました。運転する人もしない人も関係なく、いろいろ言ってきました。
運転に自信がないと説明すると、「だいじょうぶだよ」「きっと楽しいよ」という根拠のない軽い答えが返ってきます。
さらに、「運転できる人はみんな協力してくれてる。きみだけが協力しないっていうのはどうなのかな」「しばらく会っていない友人たちが心配じゃないのか」「そんなことじゃ、みんなが困るよ」などと説教もされました。
それでもわたしは拒否しました。

ちょっと話はそれますが、わたしを一番怒らせたのは、一人が言った「あんた、郵便局で働くんでしょ? それなら道がわからないなんてことはないでしょ」というものでした。
個人情報の一端を明かしますが、わたしはその次の4月から郵便局員となることが決まっていました。
しかし、一般人は郵便局員というと、なぜか、本当に不思議なのですが、配達員ばかり思い浮かべるようで。
配達員は郵便局員のごく一部です。わたしは配達ではなく内勤になることがすでに決定済みでした。でもいくら説明しても「郵便局に勤めてるんだから道には詳しいはずだ」と言われ続けることになり、かなり疲弊しました。
それどころか、このサンタクロース作戦のころには、まだ採用が決まっただけで、勤めてもいません。それなのに道に詳しいわけがないのです。
申し訳ないけど、さすがにこういうのは勘弁してほしかったですよ。

とにかくわたしはサンタクロース作戦への参加を断固拒否しました。
なるべく言葉を尽くして説明したのですが、たいした弁舌を持っているわけでもないわたしの言葉はむなしいものでした。
免許を持ってるんだから冬道だろうが運転できるはずだ、と思い込んでいる人たちには、どう言えば通じたのでしょうか。
やがて、こう告げられました。
「もう、いい。きみはわがままだ」
こうして、わたしはサンタクロース作戦に参加せずに済んだのでした。めでたし、めでたし。

いや、めでたくねえよ。
いい人は好きです。わたしもいい人になりたいです。
でもいい人は怖い面もあるんです。全員がそうだとは言いませんが、彼らにとっては「いいことをするのは当然」であり、それを他人にも強制しがちなところもあるのです。
そしてもう一つ。人っていうのは、「自分が苦もなくできることは、他人もできて当然」と思いがちです。自分ができること・自信のあることについては、できない人・自信のない人の気持ちがわからない。まあこれは誰でも経験あるんじゃないですか。
この二つの「当然」が合わさったとき、意に沿わない人のことをどう思うでしょうか。

それ以降も、彼らとの交際は続きました。彼らはやはりいい人なので、こんなことでわたしを追い出したりはしません。わたしもほかに友達がいなかったですし。
でも、今になってもサンタクロース作戦のことは忘れられません。
あれから2年ほどしてあっさり故郷を捨てたのも、それからほとんど帰郷しないのも、サンタクロース作戦のようなことがいくつかあったからかもしれません。
今でも納得いっていない。むしろ恨んでいると言っていいでしょうね。
あれから長い年月が経過しているのに、いまだに引きずり、しかもインターネットの世界で愚痴を長々と書き連ねているわけですから。
つくづく、小さい男ですな。

わたしは当時の、サンタクロース作戦に参加しなかったという選択を、間違ったものだとは今でも思っていません。
誰が何と言おうと、わたし自身が危険だと判断したのです。それも、わたしの車に乗せた人をも巻き込んで事故を起こす可能性があると判断したのです。
それは、他人の根拠のない励ましや説教で覆る種類のものではなかったはずです。
それは長い時間が経過した今、常識と理屈に照らし合わせて、たしかに思うことです。

しかしですね、今はこうも思うのです。
人づきあいは、理屈じゃない。
そのグループ内の常識というものがある。世間の常識とは多少違うとしても。
彼らの常識にとっては、サンタクロース作戦に参加しないわたしのほうが常識外れだった。
わたしのほうがそれを理解すべきだった。
だから彼らにとっては、わたしは「わがまま」でしかなかったのだろう。

楽しく生きていたかったら、その社会やグループの「常識」や「当然」を受け入れていけばいいわけです。
それがどうしてもできなかったりするから、わたしはいつも「生きづらいなあ」と愚痴をこぼしているわけなのですが。

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