「パイナップル先生のありがたくないお言葉」の悪かった点について

今日は、拙作「パイナップル先生のありがたくないお言葉」で指摘を受けたこと(前回列挙したもの)のうち、悪かった点についてコメントしていきたいと思います。
よかった点ではなく悪かった点です、今日は。よかった点についても、いずれコメントします。ただ、作者としては悪かった点を思い返すより、よかった点を思い返して終わったほうが、気分がいいのです。
そんなことより、よかった点よりも悪かった点について語ったほうが、読んでいただいた方々の参考にもなると思います。
そんなわけで、悪かった点についてです。
どうやらわたしも自作については語りたいらしく、長くなりました。すみません。

・姉が、弟たちが親から暴力をふるわれているのに気づかないというのはあり得るのか?
おそらくこれが、今作における最大の問題点です。この点では、リアリティーがないということです。
わたしには思っていることがあります。何か事件が起こったとき、ワイドショーとかでコメンテーターが犯人について「家族が気づかないはずはない。なぜ止めてやれなかったのか」などとしたり顔でよく言います。あれは本当に嘘くさいです。家族なら何でもわかり合っているというきれいごとを前提としているのではないかと。
実際、わたしの身内にもやらかした奴がいるのですが、わたしは「あいつがそんなことをするなんて!」と思ったものです。
もちろん、世の中にはいい家族もたくさんいます。理想的ともいえる家族もいることでしょう。しかし、わたしはアンチテーゼを示したかったのです。「何でも気づくわけがない。家族なんてそんなもんだよ」という思想です。
ただ、これは世の中の多くの人が考えることとは違います。それでも主張したいときは、読者に受け入れる態勢を作ってもらえるよう、慎重にならなければならないわけです。
そんな中で、よく知りもしない家庭内暴力を題材として持ち込むのは、安易だったと言わざるを得ません。読者が納得するかどうか、そこをもっともっと考えなければならないところでした。
実際には、あると思うんですよ。兄弟が虐待されているのに気づかない人というのは。あるいは、うすうす気づいているけど心のどこかで認めまいとしている人とか。でもそういう人はそんなにはいないでしょうね。そんな家族を描きたければ、特殊であることをしっかり描写しないといけないところでしょう。

・父親からの暴力は、姉がいないときに都合よくできるのか?
いないときを狙えばいいだけの話じゃないですかね。わたしとしてはあまり問題とは思えませんでしたが。
しかし、こういう指摘があったということは、何か違和感を持たせてしまった、つまりは描写が足りなかったということかもしれません。

・琴葉のキャラクターがいまいち
どうも琴葉というキャラクターは、あまり評判がよくなかったです。全然ダメではない。おもしろくないこともない。でもなんか、あまり魅力がない。
はっきりとした理由が言えるわけではないが、何かがダメみたいです。
わたしとしては初めてかもしれない、女性の主人公です。しかし安易に異性の主人公に手を出してしまったようです。この辺は試行錯誤を繰り返していくしかなさそうです。

・琴葉の心の声、男っぽすぎないか?(賛否両論あり)
そこがいいんじゃないか……というのがわたしの思いなのですが、重要なのは読者がどう思うかです。「何だこりゃと思った」「本当に女の人?」などという意見をいただいているので、あまりよくなかったようです。
ただ、「意外性があっておもしろい」「若い女の人はこんなもんだよ」と言ってくれる人もいて、賛否両論でした。
作者としては、当然ですが、おもしろいだろうと思ってこのようにしているわけです。でも作者だけがおもしろがっていても意味はありません。それが読者にとってはおもしろいのかつまらないのか、わかるためには誰かに読んでいただくしかないわけです。
今回は賛否両論だったので、これを、賛のほうが増えていくように、工夫していきたいと思いました。

・琴葉がファミレスで藤村と話す場面で「冗談じゃねえぞ」「こちとら」などという心の声があるが、これはどうなのか?
特にここは、やりすぎでしたね。作者は勢いでやらかしてしまうことがあるのです。しかも自分では気づかない。それを指摘してくれる人の存在は、ありがたいものです。

・宝田は作中で変人扱いされているが、中ではまともな人物に見える
宝田は本来、「おかしなことを言っているように見えて、実はまともなことを言っている」というキャラクターにしたかったのです。そのまともさが、しだいにわかってくるというのが狙いでした。
でもダメでしたね。宝田の主張に説得力がありすぎた(ホントかよ)。
わたしは、多くの人たちと違うものの見方を提供していきたいと考えているのですが、そのためには、多くの人たちの意見というものも研究しておかなければならないわけです。そうしないと、自作での意見が、多くの人と違うのか合致しているのかさえわからないのです。今回は、多くの人の意見に関する研究が足りなかった。だから宝田の意見も、おかしさを感じさせる要素に乏しかった。
また、宝田の意見こそ今作のキモなので、作者としては彼の意見を推さなければならなかった。それでうまくバランスをとれなかったというのもあるでしょう。

・琴葉の人物造形に問題がある。あっけらかんとしすぎ
過去に母親がいなくなったりいろいろあったのに、特に気にした様子の見えない琴葉です。たしかにな、と思います。
キャラクターの背景と性格の設定が乖離している。これは、小説を書く人がやってはいけないことの一つです。

・物語の落としどころがよくわからない。「父からの話も聞きたい」というのはスムーズな終わり方ではない
つまり、終わりがはっきりしないということです。結局作者何が言いたいの? 琴葉は父親を援助するの? しないの? それが見えてこないんですね。
実はラスト、当初の考えから変えています。
さて、ここで白状せねばなりません。以前(7月30日)の記事で「わたしは必ず、細部までプロットにします」と書いていましたが、嘘でした。……あっ、いやいや、嘘というわけではないのです。なんというか、言い過ぎでした。過言でした。
わたしはいつもプロットを作ります。そうしないと本文が書けないし、そもそもプロットを作るのが好きなのです。でも、時間がないときは謎の提示や伏線などの各イベントを箇条書き状態で済ませることがあります。今作はそうでした。箇条書きプログラムに従って書いていったというのが真相です。
そんなわけで、ラストシーンははっきり決めてはおらず、だいたいのイメージしかありませんでした。
当初のイメージでは、賢志が塾を去った後、宝田と藤村が言い争いをする予定でした。独自(作者は独自のつもりだった)の論を展開する宝田に対し、藤村は世間一般で言われている常識論を主張する。琴葉がそこに割って入り、宝田に肩入れするような発言をする。しかし宝田は琴葉に「きみまでぼくと同じにならなくていい。生きづらくなる」と言って、塾をやめてしまう。……と、まあこんな感じにするつもりでした。世間とは違った意見を持つ者の疎外感を出したかったのです。
藤村はどこにでもいる人のつもりで設定しました。宝田とは正反対の存在です。悪役にするつもりでした。しかしあまりあからさまにしたくなかったので、藤村は基本的にはいい人という感じで書いていきました。いい人なんだけど、それでも宝田を追いつめるというほうがおもしろいとも思いました。
ところが、書いていて、あまり偏った感じの小説になるのも嫌だなという気がしてきたのです。そこで、塾内での論争はあっさり切り上げ、無難な結論に落ち着かせてしまいました。
ここはやはり、当初の考えを貫くべきでした。「別に、恣意的な悪役にしてもいいんじゃないか」「エンターテイメントなら、作者なりの結論を出すべき」と言われましたし、わたし自身も不完全燃焼です。
琴葉の父親の件ですが、実はもう一つ白状しなければいけません。前出の7月30日の記事では「『キャラクターが勝手に動く』なんていうのはほぼ実感したことがありません」と書いていますが……ああ、「ほぼ」と書いてありますね。よかった。嘘ついたわけじゃなかった。
最後、琴葉は父親を見捨てる予定でした。しかし、わたしにとっては非常に珍しいことに(おそらく初めて)、キャラクターが作者の考えに反したのです。琴葉が作者に主張しました。「わたしは弟の一方的な意見だけで父親を見捨てたりはしないよ」と。
こんなのたぶん初めてですから、どうしていいかわからなくなりました。小説教本などでは、キャラが動き出したら当初のプロットよりもそっちに従えと書いてあるので、わたしも琴葉の言うとおりにしました。
その結果が、結局どうするんだというようなラストになったのです。想定外のことでした。
もしキャラクターが勝手に動いても、結論を変えたくない場合は、想定どおりにキャラが動くよう、キャラを追い込むことが必要らしいです。今後は参考にしたいと思います。

・冒頭、宝田のクレーマーに関する演説は学習塾ではなく飲食店かコンビニの接客業のことみたいで、疑問符が浮かぶ
職場が学習塾だからって、塾に関係ある話ばかりするわけではありません。みなさんの職場でも、仕事とは関係のない話、けっこうするでしょう?
そうは言っても読者は、最初に職場が登場したときに、仕事以外の話をしていると「なんで?」と思ってしまうこともあるのでしょうね。気をつけたいと思います。

・学習塾の隣室の声がそんなにはっきり聞こえるものだろうか?
作中の設定では、教室を使っているわけではありません。最初に琴葉が授業をする場面で「この塾には授業用の、三方を壁に囲まれたブースが多数ある」と書いてあります。教室ではなく、壁で囲まれただけのブースなのです。これはわたしが一時期働いていた塾をモデルにしたものです。近くのブースの声なんかよく聞こえますよ。
ちゃんと書いてあるじゃないですか……と言いたいところですが、一般的な塾は教室を使いますよね。だから読者はまず教室をイメージするものです。一般的なイメージと違うのであれば、そこを強調するように書くべきでした。

・賢志と宝田の家庭の事情はややステレオタイプに見える
これは難しいです。作者としては、あまり突飛な設定も必要ない思ったので。どうなんでしょうかね。ただ、後述しますが、賢志にしろ宝田にしろ、もっと追いつめたほうがよかったとは言えます。

・宝田の母親は、あの程度では毒親とは言えない
毒親かどうかは、よその人が決めることではありません。子どもが苦しんでいれば毒親なんじゃないですかね。宝田が毒親と感じている以上、「そんなの毒親じゃない」と言えるものではないのではないでしょうか。
……現実ではそうかもしれませんが、これは小説ですからね。読者が白けたら終わりです。もっと毒親らしくするよう、説得力を持たせるべきでした。前述のように、もっと追いつめればよかったのでしょうね。

・賢志の落ち込み方は、事情から考えて、あそこまで落ち込むとは思えない
わたしの弱点の一つに、登場人物が幼くなるというのがあります。高校生男子にしては、落ち込みすぎだったかもしれません。これも前述のように、賢志を落ち込ませたかったら、もっとつらい事情を作って追いつめるべきだったのでしょう。

・琴葉は25歳の女性にしては考え方が青くさく、幼すぎる
これもそうなんです。25歳の大人なのに、幼いんです。青くさいのは宝田との対比で、必要なことでした。しかし25歳に設定した意味がない。大学に入り立て、初めてアルバイトをする女の子、という設定のほうがよかったように思います。

以上、長かったですね。
次回はよかった点について語りたいと思います。たぶんですが、次回はそんなに長く語ることもないでしょう。

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