黒歴史が自信に変わるとき

大山哲夫です。吸血鬼の女の子(もちろん美少女)につきまとわれた夢を見ました。どうやらわたしはその子に不義理をしたらしく、制裁のために両方の手の甲に銀の短剣(吸血鬼はむしろこれを苦手としているのでは?)を突き刺されました。両手からあふれる血。彼女はそれをなめ続けました。片手の血をね。一度に両方はなめられませんから。もう片方の手は刺され損です。夢だから痛くはなかったけど、出血多量の気持ち悪さで目が覚めました。
萌え漫画・百合漫画の読み過ぎでしょうか。百合漫画界には「吸血鬼百合」というジャンルが確立されているようですし。

そんなこととは全く関係のない話ですが。
いつから小説の世界に入ったのか。気になったのでちょっと振り返ってみました。
80年代に幼少期を過ごした者にとって、三大娯楽といえばテレビ・漫画・ファミコンでしょう。テレビが大好きでね、特撮ヒーローとロボットアニメに、特に夢中になっていました。
だから、「ぼくのかんがえたヒーロー」なんかを作っていました。
全話のサブタイトルや登場怪獣なんかも詳細に決めていましたよ。幼いころからマニアックだったのです。
漫画をかけたらよかったのですが、絵が下手すぎてダメでした。だから、ストーリーはあらすじだけでした。
小学3年生とき、たまたま学校の図書室で江戸川乱歩先生のご本に出会いました。少年探偵団シリーズのうちの1作、「黄金の怪獣」です。
怪獣ですよ。そりゃ読みますよ。ただし出てきたのはトラ、それも人間が変装したトラでした。ゴルドン(「ウルトラマン」に登場したマイナーな怪獣)みたいな黄金怪獣は出てきません。
小説らしいものを読んだのは初めてでしたが、その魅力に圧倒されました。わたしはそれ以降、推理小説を中心に本を読んでいくことになります。
自分でも小説を書きたい、漫画はダメでも小説ならできるかもしれない、と思ったのはいつのころだったでしょうか。

小説を初めて書いたのは小学生のときでした。たぶん6年生だったと思います。
わたしの故郷、北海道を舞台にした物語でした。
上京して私立探偵となった主人公が、ある事件を調べるために北海道へ帰郷。そこで謎を追ううち、アイヌ人たちと協力して和人たちに反乱を起こすという、噴飯もののトンデモ話でした。推理小説のつもりが、後半はまるで白土三平先生の「カムイ伝」の初期構想みたいになりました。
この壮大なスケールの大作を、原稿用紙に鉛筆で書きました。枚数にして、30枚。
自分でもおかしいと思いました。ミステリー要素のみならず、和人陣営から命を狙われるサスペンス要素、アイヌの女性との恋愛要素、そして両陣営和解しての感動のラストなど、考えられるありったけのドラマ要素を盛り込んだつもりだったのですが。
今から考えると、ほとんどあらすじだけだったんでしょうね。ストーリーはほぼすっ飛ばし。アイヌについても何も調べたわけでもなく、リアリティーはゼロ。黒歴史ですよ。家族や友人の前でこんなものを朗読されたら、切腹ものです。
その後、シリーズ化しようと思って、同じ主人公を使ってもう1作書きました。今度は純然たる推理小説にしようとしました。それがまた。
私立探偵の主人公に、頭の残念な警部殿の友人がいる定番の設定でしたが、何の漫画の影響か押し掛け女房的な女性キャラがいたりしました。しかも途中、主人公が人前で背広を脱ぎ捨てると、何の合理的説明もなく袴姿のお侍(刀も差している)に変身してしまうという超時空展開でした。しかも推理小説のはずが最後までろくに推理もしません。
いや、子どものころは発想が自由でしたねえ。

高校生になったあたりから、まだまだ青くさいながらも、どうにかもう少しきちんとした小説っぽいものを書くようになっていきました。当時は大学ノートやルーズリーフなどに書いていました。それからワープロ専用機、パソコンと移り変わっていきます。
それから時は過ぎ、おじさんになったわたしですが、今日も小説のことが頭から離れません。のめり込んでるなあ、と思います。
書けない時期もありました。何年も、本文は1文字も書かずに過ごした時期もありました。いつか執筆するだろうと、設定やプロットを作るだけの日々でした。それも無駄ではなかっただろう、とは思っていますけど。
これまでどれほど書いてきたか、ついでに調べてみました。400字詰め原稿用紙で何枚分になるか。
近年書いたものは、特に長編などは章ごとに原稿用紙何枚分になるか、いつごろ書いたのか、さらに文字数までエクセルにまとめてあったりします。意味はありません。ただの記念です。このおかげで集計は楽です。
しかし全ての自作を正確に把握できているわけではない(黒歴史作はすでに闇の彼方に葬り去っている)ので、あんなのもあったなと思い出しつつ、そういうのの枚数はだいたい、少なめに見積もって、また、後にリメイクしたものはほとんど別物に変わっていない限りはカウントせず……というようなルールで調査。
これ、意外と楽しい作業です。まだ途中ですが、今のところ、原稿用紙に換算して6700枚くらいになっています。長編はだいたい計算に入れたので、今まで書いたものを集計するともう少し枚数が増えるという程度でしょう。
初めて小説を書いてから30年と少し。これ、作家志望としては多いのか少ないのか、よくわかりません。人と比べても仕方ないですけどね。
わたしと同じくらい書いてきた人には、すでに2万枚、3万枚になっている人もいるでしょう。もっとかな。若くて執筆年月のあまり長くない人でも、わたし以上に書いている人がいても不思議ではありません。
若桜木虔先生は、「若いころは毎日必ず50枚は書いていた」とおっしゃっています。しかもそれを作家仲間に話すと、「そんなの、誰だってやってる」と言われたとか。そんな人たちから見れば、わたしなんぞはサボりすぎですよ。
ただそうは言っても、個人的には、ずいぶん書いてきたなあと思い、笑えました。
それでいて、新人賞応募は先月のを入れてわずか10作。うち、1次審査を突破したものはたったの2作。もちろん2次審査突破以上の実績を持ったものは皆無です。
ただ枚数を書いてきただけで、何の成果も挙げていないではないかと。
反対にこういう見方もできます。自分ではたくさん書いたと思っているわけだから、それは自信になるのではないかと。
せっかくだから、ここはポジティブな解釈をとっておきましょう。
わたしは学習塾の講師をしていたころ、生徒に言っていました。「自分がどれだけ勉強してきたかを思い出しなさい。がんばってきたよな? それが自信になるから」と。わたしオリジナルの言葉では全然なく、他の先生の受け売りなのですが、今はこの言葉を自分に向けます。
今年も精力的に書きます。長けりゃいいってもんじゃないけど、今年だけで1000枚はいきたいですよ。なんとなく。予定どおりに応募作が書ければ、今年だけで1000枚は超える……のではないかな?
そして、夢の1万枚達成に近づきたいです。1万枚書いたからってデビューできるわけじゃないですが、なんか1万枚ってかっこいいじゃないですか。それだけの理由です。

いやあ、小説を書くって、本当におもしろいものですね(水野晴郎っぽく)。
小説家を目指す皆さん、ともにがんばりましょう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?