なんちゃってリインプリント

先日、幼稚園の池に落ちたできごとの思い込みがとつぜん解けた話を書いたのですが。
https://note.com/mozuku_123/n/n054a776fa61e

どうしてもやりたいことができました。それは、NLP(神経言語プログラミング:脳や神経系と言葉の関係、人間心理とコミュニケーションに関する学問)のリインプリントというワークです。なんだか母と、小さかった友達がかわいそうに思えて。そして小さかった私も。
本来誰かパートナーにガイドをやってもらうのですが、セルフなので「なんちゃってリインプリント」とします。このワーク、簡単にいうとNLP版退行催眠です。「やったらいいな」と思うことはよくあるわけですが、心から「やりたい」と思ったのは初めてで、まずそのことに驚きました。

このできごとを思い出すとき、水に落ちて溺れた場面が浮かびます。ずいぶん長い間私はそれを視覚で記憶していました。濁った緑の水の中の視界です。助けてと手を伸ばし口を開けると水が入ってきます。そこまで思い出すと息のできない苦しさが襲ってきます。本当は「行き詰まる感覚」をピックアップして、それがもっと以前ににないか、さらに退行してチェックしますが、今日はこのできごとを扱いたいのでこれでよしとします。

私はこの5歳の冬のダルマリレーのできごとに戻りその中に入ります。
私は、こういった競技全般がとても苦手で、ピストルが鳴ったとき一斉に走り出すみんなを見ながらどうしても足が前に出せなくて突っ立っていたこともありました。
私は幼い私に尋ねます。「このできごとから、どのようなビリーフを決めましたか?」
「意志は関係ない」私はそう学び、決めていました。
そこにいたら、進むしかなかったのです。
「踏みだしたら何が待っているかわからない」
「叫んだら水が入る」
私はそれも決めました。

私は、このできごとのタイムラインからいったん外に出ます。ちょっと緊張して胸が苦しいことに気がつきます。深呼吸して肩をシェイクします。ガイドの私が聞きます。「今日お昼は何を食べましたか?」「ビビンバです」セミナールームを思い出してなごみます。

私は、今度はタイムラインの外から、このできごとの一部始終を映画として見ます。
園庭に出てきて、二人組になって並んで、スタートして、池に落ちて、助けられて、濡れた服を着替えて、母親が迎えにきて、連れられて、帰って、甘酒を飲む、まで。
映画を見ながらほかにどんなビリーフを決めたか、ガイドの私が尋ねます。
「集団は失敗する」
「相手は信用できない」

私はさらに私に尋ねます。
「この幼いもずくさんの肯定的意図は何ですか?」
肯定的意図とは、行動の裏にあるその人にとってのよい意図のことです。
「場を壊さないように、みんなの邪魔をしないようにして、安心を得ています」「じっとしていることで、自分を守っています」
(でももっと、違うんだよ、違うふうに過ごしたかった。楽しみたかった!そう、楽しみたかった。と、あとから気づきました)
「お母さんは?」
「私を責めなかったことに、愛情を感じます。園に何も言わなかったのはことを荒立てたくなかったのだとしたら、安心を得たかったのかな」
「Sちゃんは?」
「できることをやることで自分を守っています」
「主任の先生は?」
「この子は鈍いから」っていったのは監督の先生を守りたかったから。それと、そういう言い方で私をかばった。彼女なりに、自分や私や、監督の先生みんなを認めようとしてた」説明はむずかしいけれど、なんだか、わかったのです。

私はリソースフルな状態を創りだします。楽しくうれしく可能性に満ちた。最近は自分の中心を感じるだけで、内側から力が生まれて、外に向かうのを感じます。

私はその登場人物みんなに、そのとき必要だったリソースを見つけます。
私には「勇気」。Sちゃんには「力強さ」。お母さんには「明晰さ」。主任の先生には「優しさ」を。それを一人一人に渡して、相手が受け取るのを確認します。

そして、そのできごとを再び見ます。新しい映画が始まりました。

Sちゃんと私が、スタート。私はすぐ立ち止まって、ダルマをはずして叫びました。「先生、手をたたく音が聞こえません!」
先生は驚きましたが、Sちゃんもじっと先生を見ています。先生はうなずき「わかった、カスタネットを持ってくるね」といって走っていきました。
カスタネットをつけたSちゃんは勢いよくそれをたたきました。これなら間違いなくターンできそうです。Sちゃんは私に手を差し出してカスタネットを打ち、私はそのすぐあとをついていきます。Sちゃんは笑っています。だって私にとても頼りにされているから。(なんだSちゃんの望みはそれだったのか…!)そしてすぐゴールが来ました。私はダルマを頭からとって次の子に渡します。私も、笑っています。なんだかあっけないくらいかんたんなことでした。
カスタネットはほかのチームも使ってもいいことになりました。
教室に戻ると主任の先生がいました。「もずくはあんなに大きい声が出るんだね」と先生は驚いた顔をして笑いながら言いました。
お弁当のいい匂いがします。みんなのお弁当箱は冬のあいだ一つに集められ、ストーブの上で温められていましたっけ。帰りは母が迎えに来てくれます。私は今日あったことを話しながら帰ります。母はいつもよりにこにこしてあいづちをよく打ちます。

私が私に尋ねます。「この体験が作り出した新しいビリーフは何ですか?」
「心と声はつながっている」。

私はこの体験と新たなビリーフとともに、タイムラインを現在に向かいます。
「よーいドン!」で走り出せなかった私は「もう一回!」と叫んでいます。
混んだ夕方の肉屋さんにとんかつを買いにいって、いつ注文したらいいかわからなくて根が生えたようになっていた私は、一歩だけ踏み出して「とんかつ3枚!」と美人のおかみさんに言っています。
ずっとずっと時がたって、同僚がめまいで動けなくなったとき、そばに行って「何したらいい?」
そしてここには書けないできごとも。
56年のタイムラインを歩いて、現在に戻ります。

さてフューチャーペース。
「近い将来、行き詰まった状態の感覚を引き起こすようなことが起こったらどうですか?」私が私に尋ねます。
「言葉が見つからなくても声を出しているかと思います。足も踏み出しています。」
ガイドの私(その私はもう私に見えなくて。光に包まれていて。)はうなずきます。

そうなんです。私は楽しみたかった。でも能力がない(鈍い)=楽しめない、と信じ込んでいたのです。ほんとはその二つは関係がないんですね。。

こんなふうにして、私は「なんちゃって(本気の)リ・インプリント」を終えました。

とっても大きな心の旅をさせてくれた一連のできごとに感謝します。












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