POCO
って書いて、ちょっとニヤニヤした。アホか。 私は一体 noteで何をしたいのだろう。 今はカウンセリングにかかっていないけれど(保護者として受けたことはあるけど、そもそも自分のためにカウンセリングを受けたことはない)、昔だったら「あ、これ次のカウンセリングで話してみようかな」「あ、これ誰かに聞いてほしいかも」って思うようなことを。書いて、放流して、誰かに読んでもらって、自分でも読んで、それで自分でもう一度受け取って、そうして少しずつ昇華していければいいと思う。 37年間、母
note放置して一年。Twitterで呟くのも億劫な今日この頃、こっちにちょっとだけ引っ越してみようかな。
これにはなんの根拠もないし、私がそう感じただけのことなのだけど。なんだかとても納得できたので書き留めておく。「癒される」ってなんだろう。ずっと不思議だった。何から癒されるの?癒されたらどうなるの?漠然としすぎてあまり使いたくない言葉だった。 [誰かの腕に抱かれて癒される]というのは、[自分の存在を世界に認めてもらえる安心感]なのだと思う。乳幼児期に必要な、一生を左右するプロセス。 [癒される]というのは、無意識におこなわれる「私はあの時のアレが怖かった」「傷ついた」「疲れ
なんだこの売れないJ-Popみたいなタイトルは。 アイスティーやコーヒーにミルクを注ぐ瞬間に、いつも魅入ってしまう。今日突然、本当に突然、「母に浸食される自分のようだ」と思った。ミルクティーはストレートティーには戻れない。カフェオレも、ブラックコーヒーには戻れない。 なあんだ、どうにもならないじゃん。 じゃあ、仕方ないよな。うん、仕方ない。 もしかして、こういうのを諦観と言うのかしら。 私とあの人は完全に共依存だったし、あの人がこの世から消えたところで、一度混ざったグラ
フラッシュバックってなんですか。よーし、Wikiさんに聞いてみよう。 強いトラウマ体験(心的外傷)を受けた場合に、後になってその記憶が、突然かつ非常に鮮明に思い出されたり、同様に夢に見たりする現象。心的外傷後ストレス障害(PTSD)や急性ストレス障害の特徴的な症状のうちの1つである。 ほうほう、なるほど。他のサイトを見ると[侵入症状]とも書かれていて、思い出したくなくてもその出来事や光景が勝手に思い浮かぶ、感情が萎縮する。 それって[症状]なの?[普通のこと]じゃないの
衝撃を受けた本は今までに何冊もあるけれど、noteを自己カウンセリングのように、反芻のために活用しようと思い直したきっかけになった本をご紹介。 消えたい (高橋和巳 著) 生きづらさを感じていて、親子関係に歪みがあって 歪みがあることすら知らないまま育って そもそも自分が自分であるという実感がなくて この世界に自分の居場所なんかなくて それでもなんとかこれまでやってきた 知らないうちに大人と言われる年齢になってしまった 死にたいとは思わなくて、でも消えてしまいたい 自分が
他に書いている下書きがあったのだけど、この話題を書けるのはせいぜい今日までかなと思い、先に投稿しておく。 [年賀状離れ]が進んでいるそうだ。面倒だから、LINEやSNSで済むから、高齢のため、節約のため。理由は様々あるらしいが、自分も例外ではない。 母が生きていた頃、母の代わりに年賀状を作成して投函するのは私の役目だった。パソコンを使っていたし(母からの注文の多さに辟易していたが)苦ではなかった。母の肢体不自由が進み、筆が持てなくなったある年に本人の意思表示のもと「本年限
たとえば本を読んでいたり、誰かと喋っていたり、SNSを眺めていたりして、ふと漏れる心の声。「いいなあ」と思った時は立ち止まるようにしている。それが羨望なのか、嫉妬なのか、「それやってみたい」なのか、「それやってみよう」なのか。どれがしっくりくるかを考えてみる。ひっかかるにはそれなりの理由があるはずで、自分の欲を探るヒントになると思うから。 各種SNSアプリを渡り歩くためだけにiPhoneを握りしめる自分にうんざりして(それに浪費した時間も相当なものだ)先日見かけたこの図を思
[弱い]と[脆い]は違うのだろうなと思う。
いつだったかツイッターで見かけた 嫌な気持ちになると分かっているのに ↓ 特定のアカウントを見に行って ↓ やっぱり嫌な気持ちになって ↓ 脳がそれを[成功報酬]とみなして ↓ やめられなくなってしまう っていう話、なるほどと思った。 脳に操られてるみたいな、自分が自分ではないような、怖いね。怖いよ。自分で分かっているなら対策するしかない。SNSを覗くに限ったことではなく、特定の行動を起こさずに済む環境を自分で作るしかない。 嬉しい、楽しい、悲しい、苦しい、気持ち良い
「自分のことしか考えていない」のと「自分のことしか考えられない状況にある」のとでは大違いなのかもしれない。前者のように自分を判断してしまうと危ない。危なかった。
note記事で出会った[共感ジャンキー][正しさジャンキー]という言葉。今の自分を紐解くのに必要なキーワードだと思うので心に留めておく。
[故人を悪く言ってはいけない]という呪いのせいで苦しんでいる人は少なくない気がする。この国に特有の現象なのだろうか。
今日が終わる前に書いておこう。 [好き]という概念の内側には色々な箱があると思う。[楽しい][嬉しい][心地良い][興味がある][好み][憧れ][推し][和む][ホワっとする][嫌われたくない][嫌いじゃない][嫌い]などなど。←嫌いは好きと同義だと思う。 今日、[大切]と書かれた箱があることに気付いた。まだ感覚でしか掴めていないけど、これが一番[愛]に近いのではないかと感じている。その箱の中に自分は入っていない。入ろうとは思わない。 そこに自分は居なくていい、その人の
「好き」は多ければ多いほど救いになると思う。離れたり目移りしたりして時が経った後に訪れる「やっぱり好き」は一生を通じて自分を支えてくれる、そんな気がする。モノも、ヒトも、空間も。
って、そもそもどういう意味だろう。ビンゴで使うけど、麻雀用語なのだろうとは思う。麻雀には詳しくない。ドンジャラ(懐かしいな)しかできない。 1. 伸ばした腕の長さ。また、その届く範囲。 ▷ reach スポーツではラケットなども含めて言う。 2. マージャンで、目ざすあと一枚の牌(パイ)で上がることの宣言。俗に、あと少しで実現するという段階(であること)。「初勝利に―がかかる」 Google先生ありがとうございます。[あと少しで実現]かあ。ふむふむ。 40代リーチです