見出し画像

『誰であろうと、どんな生き方をしていようと、すべての人の目的ともいえる二つのこと』とは。

題記は、4/21付けの「9次元存在」のメッセージにあった翻訳の一文です。全文は、以下サイトをご参照ください。

私は、スピリチュアルな本を、過去の一時期に多く読んでいましたし、初めから全てを理解していた訳ではありません。

「人生の暗黒期」に、私が今体感しているこの感情や感覚は、いったい何なのかと、試行錯誤を重ねる中で積み重ねて来た思考の数々です。

臨床心理学の立場からは、河合隼雄先生の著作に没頭したり、スピリチュアルな探求の立場からは、シルバーバーチの霊言集に没頭したり、霊的な能力の立場からは、江原啓之氏のスピリチュアリズムに没頭したり、意識進化の思想体系の立場からは、ケンウィルバー氏の著作に没頭したりしましたが、結局は、明確な答えには、至っていません。

この体験が、精神疾患なのか、本物の霊的な体験なのかさえ明確では無かったのです。

ですがその時一つだけ信頼したのは、恐怖心や劣等感などではなく、「客観的に見極めてやる」と言った、森羅万象に対する、純粋な信頼と好奇心です。

それがなかったら、あっという間に恐怖心や劣等感に飲み込まれてしまい、本物の精神疾患となっていた事でしょう。

なにせ末期には、悍ましい心霊的な夢を見たり、部屋全体から響き渡るラップ音や金縛りに苛まれたり、現実の風景の中にギロチンの心象風景や、猛烈な数のカラスの大群を見させられたりしたのですから。

当時はほんとうに必死でした。

孤独な田舎の独身寮住まいで、周囲には友人もおらず、自分さえも信用できない、究極の心理状態です。

そこから「人生の反転」を体験し、その中で、「場の意識」の目覚めを体験し、さらにその中で、『すべての人の目的ともいえる二つのこと』に思い至ったのです。

それを空海さんは、「関係の意識」と「場の意識」の真言として伝えて来ました。

なぜ空海さんなのか。

それを「真言の心柱」の明晰夢の中で、次元階層構造の五重塔の象徴的シンボル(基底部に鍵穴型の穴が開いた、漆黒の四角形の柱の頭頂部分に刻まれた、『真言』の文字の夢)として伝えられたのです。

京都に導かれてすぐの頃の明晰な夢です。

ここは、フェブライ(古代ユダヤ)の末裔である「秦氏の聖地(エルサレム)」なのであり、そして空海さんは、母方が、平安京の造営に関わった秦氏なのですから。

さて、前置きが長くなりました。

「関係の意識」と「場の意識」とは、『すべての人の目的ともいえる二つのこと』です。

前者が、欧米文明(文化)の金字塔である、「科学精神」を象徴する、二元的な客観性の究極の意識です。

そして後者が、日本文化が象徴する、これから訪れるであろう「新しい精神」の意識です。

この意識は、全ての二元性(科学精神)を超えて含む、意識の方向性(高次元存在)との接触を可能とします。

これらは、個人的な体験でありながら、一者へと習合する創造的な精神のエネルギー(一神教と多神教の宗教的シンクレティズム)なのです。

脳を中心とする「位相軸の意識」では、網羅しきれない、習合的な意識の場(エネルギー)の全体性なのです。

日本の伝統的な文化表現の言葉を借りれば、「ほんとうのわたし」と呼ばれる「禅的な精神」の進化版です。

だからこそ、多くの人にとっては、打ち破るべき自身の心の深層にある「薄幕の突破」を必要とするのです。

それが孤高の一者(ホロン)としての「自己」そのものとの境界を作り出す、モノポールとも言えるエネルギーなのです。

AIを究極の意識と捉える精神には、なかなか理解の及ばないところだろうと思います。

人間存在は、重層的な意識の構造を持った「点対象に反転した空間構造を内包する」未成熟の一者そのものなのです。

『すべての人の目的ともいえる二つのこと』とは、「関係の意識」を究極にまで極めること(科学精神の獲得)と。薄幕により隔られた、意識の限界を突破して、「場の意識」をシフトさせるアセンション(意識エネルギー精神の獲得)そのものとも言えるのです。

そしてその「意識進化の成立」には、「社会性の維持(戦争行為の回避)」が不可欠なことを、ここに付け加えておきます。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?