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木村吉清【信長の野望新生PK】(登録武将)


木村吉清

木村 吉清(きむら よしきよ)

豊臣政権下で立身出世を果たし、トヨトミズドリーム(?)を掴んだ男。
しかし、その後の統治に失敗して大崎・葛西一揆を引き起こしてしまう。
立場が人を育てると言うが、彼には30万石は重すぎたようだ。

能力値

$$
\begin{array}{|c|c|c|c|} \hline
統率 & 武勇 & 知略 & 政務  \\ \hline
26 & 72 & 57 & 62  \\ \hline
\end{array}
$$

戦法・特性

【戦法】威圧(敵部隊攻撃低下)
【奉行特性】作事奉行
【家宰特性】口米追徴・優
【特性】立身出世(勲功獲得増加)
    自衛(自勢力内で防御上昇)
    修繕(城の耐久回復上昇)

生年寿命・血縁・列伝

【生年】1553年(史実では不明)
【寿命】45歳(史実では1597年に病死)

【血縁】なし
【親愛】なし
【嫌悪】なし

【列伝】
荒木村重、明智光秀らに仕えた。のち秀吉の家臣となり、にわかに取り立てられ、葛西三十万石の大名となる。しかし、統治に失敗し葛西大崎一揆が勃発した。

補足説明

初名は清久。異説もあるらしいが、吉清の「吉」はおそらく秀吉からの偏諱であろうから、秀吉に召し抱えられてから改名したのだろう。子は秀望。こちらもおそらく秀吉からの「秀」の字を与えられたと思われる。
それだけ秀吉に気に入られていたということか、小田原攻めでは170人を率いる程度の身分だったが、奥州仕置きにおいて大崎・葛西の旧領13郡(30万石とも)の領主に取り立てられて大名となった
それらを反映して、金特性「立身出世」を採用。しかし、統治には失敗していることから統率は低め。

また、家宰特性の「地方検地・優」は災害回避率が上昇するが、領内の集落掌握が遅くなる。実際、大崎・葛西一揆は太閤検地への反発が招いたものだった
こういう場合、大抵領主は一揆勢に縊り殺されてしまうが、吉清は親子共々生き延びている(家臣は殺されまくっている)ので、吉清個人の能力は決して低くなかったのだろう。
この一揆により吉清は失脚し、その後は蒲生氏郷の客将となって静かに生涯を終えた。
※余談だが、加藤清正は熊本の大名となった後、その統治にはかなり神経質になっており、部下に対してものすごく細かく厳しい指示を出している。吉清の二の舞とならぬよう細心の注意を払っていたようだ。
豊臣政権下では、夢のような大出世と引き換えに、大変なプレッシャーと、一歩間違えれば没落するリアルがあったのだろう。

享年は不明だが、今回は45歳とした。
息子・秀望の年齢も不明だが、大崎・葛西一揆(1591)のときに城主を任されているくらいなので、吉清39歳、秀望10代後半~20代前半というのは自然だろう。
妻が郡宗保(1546年生)の四女ということからも、これ以上年上だと不自然である。※仮にこの女性が宗保30歳の時の子だとしても、1591年には16歳でかなり年下の妻になる。(秀望の母とは別)

史実では第二の秀吉となることはできなかったが、もし武将プレイができるなら是非使用したい人物である。

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