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あの頃オレらはバカだった その1

−フィリピン沖に消えた教師とオレ山に逃げる

 私が高校生だった頃、学校がバカな生徒ばかりだったのでかなり厳しい校風でした。もちろん先生たちは「あ〜やっちゃいかん、こーやっちゃいかん!おまえ停学!」が口癖。もちろん生徒はバカだからいうことなんか聞くわけ無い。夏休みなど長い休みの後、登校すると所々席に誰も座っていない。これは大概、バイクの無免許運転とか喝上げしたとかで停学・退学、しまいには事故起こして死んでしまいましたとかしでかした奴らです。

 私はこうした不良ではなかったですし、教師たちには直接迷惑をかけるわけではありませんでした。もともと別の進学校に入学したのですが、市長だった叔父が市立高校がバカすぎるので大学進学科を作ってまともにするんだと勝手に公約。甥である私に「おまえ200万やるから転校しろ。出席しなくても人殺しさえしなけりゃ卒業できるようにするから」というめっちゃくちゃな話でもちろんお金が欲しい私ですからすぐ転校。できたばかりの進学科2クラスの中で最もとんでもない生徒だとあとで判明しました。後に市長の叔父が「おまえ前の学校にいたら絶対強制退学だよなぁ。金もらって転校しておまえは幸せだったなぁ」と感慨深げに酒を飲んでいました。でも私はそんなこと知ったこっちゃありません。好きなように生きるだけです。
どういうわけか頭が良く喧嘩も強い私は「俺が一番頭がいいんだ!下々いうことを聞け!」と常々発言した上「バカは死ね!」と喧嘩の相手を2階の校舎の窓から放り投げるなど不遜でありこれはこれでどうしようもありませんでした。
 たまたま市長がうちの叔父で偉かったので、教師たちは不問にしてくれた訳です。一応教師にはあまりひどいことはしませんでした。どうしてって? 叔父に教師は殴るなとお小遣いをもらっていたからです! シンプルな答え。私のモットーです。

 ある日そんな学校もろくにいかない私の高校生活に変化が訪れました。
新卒の教師が配置されてきてたのです。この教師は何を勘違いしたか当時はやっていた青春ものドラマにかぶれて「一緒に青春しよう!」とか「今を精一杯生きよう!」などと生徒に声をかけるのが好きでした。私はそんな彼がめんどくさかったので無視していました。しかし授業中シンナーを吸って粋がっているバカなガキたちがからかい始めました。真剣に受け止めるふりしてあざ笑おうというつもりです。しかしこいつらは頭が悪いのでテレビでやっているような「先生がんばろう!」「一緒にスポーツしよう!」くらいのことしかいえないので会話が続かないわけです。頭がリーゼントで髪の毛のひさしが10センチくらいあって髪の色も黄色かったりする生徒がからかおうとしても頭の悪さのため充分からかえないのです。
 というわけでその先生は先生でガラの悪い不良が自分のおかげでまともになりかけていると思い込み始めました。
 そしてつぎの夏休みにみんなで2週間のスポーツ合宿をやろうと言い出し校長から許可と予算をもらってしまったのです。そのため私のクラスのバカ40人が長野だか山梨の田舎へサッカーだかラグビーだかをやる羽目になってしまいそうになりました。
 頭の悪い同級生全員が私のところに集まり「おまえのおじさん市長だろう。やめさせるように校長に言ってくれ」と頼んできました。
そこで私は、「一人2千円くれたらおじさんに頼んであげるよ。はよ〜金出さんか!おまえら!」とクラス全員から金を巻き上げました。
 しかし、私の立場としてはいつもろくでもないことばかりしていて叔父のところへそんなこと頼みに言ったら校長がいろいろしゃべってほかのことがばれてしまいます。
 私は一計を案じました。「そうだ。マグロ漁船やってるおじさんに頼もう。」
 早速その叔父に相談に行きました。しかし本当のことを言うとシバかれるのは私なので、「おじさん、夏休みにうちの先生がマグロ漁船の実習やりたいと言っているからのせてあげてよ」と頼みました。もちろん先生には「先生、海に行きたいと言ってたよね。うちのおじさんの漁船が三宅島まで行くと言ってるから3-4日で帰ってこれるよ。合宿の前に行ってきたら」と説得し快くその先生を送り出しました。
 しかしマグロ漁船団の行き先はフィリピン近海。当然3-4日では帰ってこれません。とうとうその先生は8月も終わり頃に真っ黒になってフィリピンに寄港したそうです。フィリピンに着くまでに無線で海上保安庁とか叔父の会社本社に連絡があったそうです。私に騙されてマグロ漁船に売り飛ばされたと。でも誰も間に受けなかったそうです。当時マグロ漁船の船員は若手ヤクザとか借金まみれのどうしようもない奴が借金を返すために半年一年乗船するという連中が半分くらいいたのでそんな話は日常茶飯事。だれもまた辛くてやめたいだけだと受け取りまともに取り合わなかったそうです。
 しかしフィリピンの領事館に逃げ込み学校に電話してきたのです。あいつは。で、ばれた….
管轄の海上保安庁にも連絡がいってしまい私の自宅へ保安員がやってきました。すでに前日学校に連絡が来た時点で私の耳に入っていたため身の回りのものとお金、鉈、ワナなどを持ち山に逃げ込んだのです。子供の頃から南アルプスを走り回っていた私に山で怖いものなどありません。食い物の猪も鹿もいるし山里の農家もいっぱい知っているし。山に逃げた翌日から消防団と警察の山狩りが始まりました。怖いのは警察でもなんでもありません。マグロ漁船団を経営する叔父の部下です、怖いのは。こいつらは堅気なのですが船の上で過酷な漁をし台風の大波や海賊とも戦います。船員にはヤクザの若手も多く生意気なことを言うとベテラン船員は気にせずに半殺しにしてしまいます。腕力体力だけでなく気力が圧倒的に違います。子供の頃から彼らと一緒に育った私は彼らの恐ろしさをよーく知っています。こういう彼らには強気にでるのではなく、筋を通して謝りあの教師がいかに生徒に迷惑だったのかと山に逃げる前に漁労長と甲板長に相談して話をつけてあったのです。

 だ・か・ら、彼らが山狩りに参加すると食べ物やお金を持ってきてくれたり見当違いの捜索場所へ捜索隊を連れて行ってくれたり。
山深い農村のおじいちゃんおばあちゃんたちは昔から私の味方です。学校も行かず遊びに行って農作業手伝ったり仲が良かった。けだもの以上の体力を持つ若者がいれば彼らの農作業と日常生活は格段に楽になります。トラクターや脱穀機の使い方をおそわりそれはそれで結構有意義な逃亡生活を送っていました。しかし市長の叔父がだいぶ怒り始め市警察に早く捕まえて連れてこいと厳命しました。彼らもバカな高校生一匹捕まえるのに何度も山になんか入りたくありません。そこで署長がマグロ漁船団のオーナーの叔父のところにいき「なかったことにするからあいつ市長のところに連れてきてくれ」との話がつけたのです。そんなことは私が知るわけがありません。結構快適な山の生活を楽しんでいるのに。ということで叔父の部下のあの強烈な船員たちが「ぼっちゃん、もういいじゃん。帰ろうよ」と言ってきました。彼らに逆らうと川に流されることになるので大人しく従うことにしました。でも警察の対面もあり南アルプスの反対側の県の警察に出頭しろと。現地の警察の顔を立てて山で行方不明になった高校生を山中で保護したことにしようと。
まあ色々他にもあったのですがそろそろめんどくさいので大体こんなことがあったと。

 あの新任教師はどうなったかって? どっか実家へ帰ったそうです。めんどくさいやつでしたね、あいつのせいでいろいろ起きて。
 その後私はどうなったか? 市長の叔父にガラスの灰皿でぶん殴られて血だらけで説教されてそれで終わり。大人たちの事なかれ主義が救ってくれたとも言えますね。学校でももちろん同級生たちは口が堅く教師の脅しにも屈しませんでした。で校長はじめみんな忘れようと言うことになっていました。

 バカの連帯感は強いですね。昔はみんなおおらかでしたし。おしまい。

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