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合理的に人を信じるということ

人を信じられない、裏切りが怖い、信頼にはリスクが伴う…

他者を信じることを阻害する心理や事実は無数に存在しています。一方で人を信頼することは清いと訴えかける人々も存在しています。現実世界には「ただ何をするか」(Do)だけが存在しているはずなのに、「信じる」という現実世界に対してなんの変化ももたらさない行動がこれほどまでに人々のメンタルを苦しめ、かつ救っているのです。ことごとく人間は意味付けの生き物であると実感します。

では「信じる」とは何なのでしょう。

・人の未来の行いに対する予測の精度を過去の行動実績のパターン認識から高める信用

・「あなたを信じる」というメッセージを真摯に伝えることで未来の行動へポジティブな影響を作り出す信頼

人間が農耕定住し社会を成してから、世界における人間の思考リソースは爆発的に増加し、様々な意味付け概念が生まれました。その結果として上記のような「信じる/信じない」という考え方が発生してきたわけです。

それらをどう扱うかは各人の裁量に任されるところであることは間違いないですが「信じる/信じない」で悩む人々が少しでも少なくなればと思い、ひとつ考え方を簡単にまとめておこうと思います。

最低限信用した人間を、信頼する。

このスタイルが非常に合理的であると考えています。

信用一辺倒では心労が相互にかかりすぎますし、信頼一辺倒ではリスクが極めて大きいです。確率論的に妥当なのはまず信用を足切りライン以上まで作り、以降は信頼のメッセージを伝え続けるというスタイルが最も合理的なのではないかと。

「人を信じるのに合理的も何もあるか」と言われそうですが、生きる上で合理性は非常に重要と思います。信じるのにはコスト・リスク・リターンのバランスが非常に大切なのです。これは損得勘定で物事を打算的にしか考えないということではなく、誰かを信じた自分を信じるための方法論のひとつです。

合理性とは、数字やロジックだけの話ではないのです。相手の未来の行いの可能性やそれを信じる覚悟まで含めての「合理」なのです。

以上です。

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