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『城の崎にて』について

 作中、彼は死の静寂に「淋しさ」と「親しみ」を感じる。そう云えば良いのだろうか。静けさ、淋しさ、親しみ、それら三つの言葉は常に共にある。そして、その三つの横には確かに死というものが寄り添っている。寄り添っているのか、従えているのか、或いは支えられているのか。彼は、死に親しみを感じ、死を静かなものと捉え、そして静けさを淋しいと思う。その淋しさは、彼を恐怖させない。依然、彼は死を考える。何に親しみを感じるのか。

 

               *


 彼は、屋根の上に只一匹だけある蜂の死骸をみる。その死骸を他所に、他の蜂は忙しなく働き続けている。それは、いかにも生きているものという感じを与えた。死骸は、いかにも死んだものという感じを与える。
 三日程もそこに転がっている死骸は、いかにも静かな感じを与える。そして、彼は淋しかった。他の蜂に忘れられ、冷たい瓦の上に一つ残った死骸を見ることは淋しい、併し、それはいかにも静かなのである。
 雨が降り、蜂の死骸は流される。そして何処か知らぬ場所で、死骸は泥まみれになり凝然としている。何か、外界の変化がなければ、その蜂は動かない。死骸は、自らを動かしえないのだ。その姿はいかにも静かである。彼は、その静けさに親しみを感じた。

 彼は、川を一生懸命に泳ぐ鼠をみる。鼠の首には串が刺さっており、何とか石垣に這い上がろうとも、串がつっかえ直ぐに川へ落ちてしまう。それに、三人の子供と一人の車夫が石を投げ笑っている。鼠は、なんとか助かろうと必死に逃げている、表情は分からずとも、その様相から一生懸命であろうことが分かる。鼠は、生きようと必死である。
 彼は、死ぬに至った運命を担う鼠の、その最期を見る事はしなかった。自殺を知らぬ鼠の、生きんとする焦燥。彼は、淋しい嫌な気持ちになった。
 死の静寂の前に訪れる、苦しみを伴う動騒、それは恐ろしい。死の静けさを彼は願っていた、静けさに親しみを感じるとはそうである。しかし、その動騒が本統なのだ。
 彼は、自分はどうであったのかと思い起こす。やはり自分も、生きる為の、出来る限りのことをした。傷が致命的なものかを問題にしながら、死の恐怖には襲われない。結果致命的なものでは無かったが、仮にそれがフェータルなものであったとしても、彼は死の恐怖には襲われなかったろうと思う。そして、それでもなお、生きようと何かしらの努力をしただろうと。それはあの鼠と同じであるのだ。
 死に至る動騒、生きんとする意思。そして死の静けさへの親しみ。両方が本統で、影響しようがしまいが、それは仕方のない事である。

 彼は、蠑螈に石を投げた。それに当たり蠑螈は死んでしまった。当てる気はなかった、それは全くの偶然であった。蠑螈にとっては不意の死であり、彼は可哀想にと思うと同時に、生き物の淋しさを感じた。蠑螈は偶然に死に、彼は偶然に死ななかった。彼は淋しい気持ちになった。

彼は最後に、生きていることに感謝せねばならぬという気持ちにもなる。何者かに生かされているかのような感覚。そして、生と死は両極のものでは無く、それほどに差はないものであると思うに至る。


               *


 死は静寂を帯びる。それは死骸の静寂か。その様相の静寂か。死、そのものに静けさがあるのではないのか。彼が見た死に至る動騒、これは生の領分だ。死を恐れているのではない、生にしがみ付いているのだ。生への渇望か、或いは死への恐怖か。
 静けさは、淋しい。そこに本来的な意思はない。淋しさとは、冷たいものだろうか。そこに熱はないように見える。しかし、冷たいものとも思われない。静けさ、それは冷たいものか。静寂とは、我々を恐れさせようか。淋しさ故に、人は死に至ろうか。

 死への親しみ。静けさへの親しみ。では、生はどうか。
 生は、静寂であろうか。そこに、淋しさを感じようか。本来生きるとは、死からの逃避ではない。生は、静的なものである。そこに生きんとする意思はない。生とは状態であり、土壌であり、意思ではない。それを味わうことは、本来的生の所業ではなく、まさに意思である。我々が生を味わうのは、死を目の前に迎えた時である。そこに意思がうまれる。その時、生における静けさを失う。淋しさとは、特殊な意思であった。

 生とは死と変わらず、静寂である。そして、静寂に温度は無い。
 温度があるのは生と死の狭間においてである。その狭間に静寂は失われる。生への渇望と死への恐怖。死への渇望と生への恐怖。それぞれが死と生へと導く。そこに温度がある、意思がある。

 積極的なものであれ、消極的なものであれ、生きんとする意思は生来備わったものである。意思という物が、生的なものなのである。そこに死への恐怖、死への渇望が無い時、我々を生きる事を欲する。彼がそうであったように。併し、死への渇望、それに錯覚するものが、彼には備わっていた。彼は静寂を好んだのだ。それは死なんとする意思ではなかった。生も死も彼には問題ではなく、静けさこそが意志たり得たのである。

 彼には、淋しさというものがあった。これは我々の知る淋しさではない。これは意思である。彼は死に静けさを感じ、その静けさ故に淋しさを思った。彼にとって淋しさとは、静けさへの意思である。鼠の動騒に、彼は淋しい嫌な気持ちになった。動物はみな、死への恐怖も死への渇望も、生への絶望も知らない。あるのは生きんとする、本来的な意思のみである。川で生きんとする鼠は、その行く末には、死が待っている。彼はそれを知っていた。だからこそ、淋しさを感じる。しかし、彼は鼠に生きんとする意思をみる。彼は生の静けさへ鈍感になっていた。生きんとする意思への嫌悪が、幽かにあった。しかし、生への嫌悪は知らぬのである。淋しいとは、不足感である。死の静寂に淋しさを感じるとは、それが淋しいのではない。そこを見誤っては淋しさは分からぬ。淋しいのは彼である。

 彼が親しみを感じるのは静けさのみである。死に親しみを感じるのは、それが明らかなる対象物であるからだ。生の静寂を、彼は知らない。しかしそれを甘受している、だからこそ死を前にして、彼には生きんとする意思が働いたのだ。しかし、死を身近に知り、死の静寂へ自覚的になった。傷がフェータルな物かは重要ではなかった。生にも死にも、静寂はある。仮にフェータルであろうとも生きようと努力するのは、彼は死を渇望しておらず、生へ絶望してらず、死を恐怖していなかったからである。云うなら、生への渇望などもなかった。しかし、意思とは本来生的なものである以上、生きんとする本来的な意思が働く。生と死の狭間において、彼は生の静寂を求めた。

 彼が、生と死が両極ではなく、両者に差を見いだせなかったのはその故である。偶然の結果、彼は生きた。その事に感謝せねばならない気がした。しかし、喜びはない。死にも静寂がある。彼は生きていた、それ故に本能的に生きていることへ感謝の念はある。だが、彼が求めているものが生でも死でもなく、静寂であるのなら、生に喜びを感じる必要もないのだ。更に淋しさという意思は、付随的であれ彼において生を味わうものとなった。もし仮に、彼が死の静寂を甘受する死人であったのなら、生を求めず、死を選んだであろう。

 意思とは、生を味わわせる。それは、生きているという実感を与えるものだ。生への自覚だ。それに意味はない。ただ、生きているという実感を与えるのみ。それに如何なる意味を見出し、どうとらえるかは人次第だ。彼はそれ自体に、大きな意味を見出さない。
 静寂に温度はない、では意思にはどうであろうか。淋しさには温度があったであろうか。死への渇望、生への渇望、これは熱さを持つ。死への恐怖、生への恐怖、これは冷たさを持つ。生きんとする意思、死なんとする意思で、その温度は決まらない。温度とは、渇望と絶望である。では、淋しさは。淋しさは本来的な意思ではない。ある種、付随的に生に触れる。彼は最後に、生き物への淋しさを感じた。生き物自体が、静けさを、生と死を内在しているものであるからだ。彼の淋しさに温度が宿ることは、死を前にするまではないであろうと思う。


                *


 今回は、志賀直哉の『城の崎にて』について取り上げたのだが、この作品は、一見論じ易いようで、いざ書いてみようかと思えば中々に論じ難い。この作品は、小説というよりは寧ろ随筆と云った類の代物で、心境小説という物はそういったものなのだろうが、その類の読み物は割合読みやすい。読み易いは読み易いが、それを論じてみようかと思えば、思いの外に論じにくい。
 その点では芥川や梶井の作品なんかもそうだろう。短編にはそんな類のものが多い。短かろうが長かろうが、良い作品というものは全体としてその濃さも質も変わらないのだがから、そのギャップに余計に辛くなってしまう。それに気づけば、結局頭は疲れるのだ。
 小説と云う型を取ろうが、随筆として書こうが、詩として書こうが、そもそもが文芸なのだから大した差はなく、今回のような正に思想を考えようとすれば、いよいよその形式などはどうでも良い。小説論とか、その技法などを論じるのではないのだ。志賀直哉の小説の力量については、ここで論じるまでもなく広く論じられている。谷崎潤一郎やら、芥川龍之介やら、他にも多々。真似しようとして真似できるものでは無いと、夏目漱石が述べていた、と芥川か誰かが何かに書いていた記憶があるが、どこに書いていたかは覚えていない。ここではさして重要なことではない。


#志賀直哉 #城の崎にて #文学 #エッセイ #評論

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