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【#11】介護食に四季を

辰巳芳子先生という方がおられる。「いのちのスープ」は映画にもなった。先生が神様のような存在だったなら、僕はゴミのような存在だ。崇高。息が出いないほどの。

先生のお父上が、ものが飲み込めなくなるという嚥下障害を患われたときから、いのちのスープは始まる。人間は、口にしたものからしか、形成されない。旬を噛んで含んで味わえないのなら、スープで四季を。折々の食材から生命の育みをいただく、いのちのスープが生まれたのだ。

蒸らし炒めという技法を先生は行う。野菜にはそれぞれ最適な切り方とサイズがあって、そのとおり刻まれたものを琺瑯の鍋で蒸らしながら炒める。野菜を入れてから、オリーブオイルを入れ、木べらで合わせたら火を入れる。蓋をする。野菜に汗をかかせる。焦げないうちに蓋を開ける。その時蓋から滴り落ちる水滴も余すこと無く鍋に戻す。さっと木べらで混ぜたらまた蓋をする。これを繰り返す。

ウチにはサンゴという老齢のジャックラッセルテリアがいた。まだ今ほどジャックが日本にいなかった時などは動物病院の先生が心臓肥大と思わず行ってしまうほどの「犬の中のF1」。エンジン=心臓がでかい。軽トラに3リッターV6のエンジンを積んだようなものだとよくうそぶいたものだ。どれだけ運動させても疲れないフィジカル。そんなサンゴにも死期は迫ってきた。固形物が食べられなくなった。

僕は日々、先生のやりかたでスープを作った。考え方を本で習ってから、いろんな野菜で作ってみた。これはブロッコリーとパンプキンのポタージュ。固いパンプキンから先に、柔らかいブロッコリーは後に蒸らし炒めをし、ミキサーにかけたら丁寧に裏漉しする。それを鍋に入れ、牛乳と合わせたら完成。3日に1度のスープ作りだった。

サンゴは死ぬ前日まで、これを飲んでくれた。寿命が長引いたのか縮まったのかわからないけれど、栄養と水分と、僕の目いっぱいの詫びの気持ちだった。僕に飼われてごめんなという、詫びだ。

生き物は、ごはんでしか作られない。いや、ジャンクフード大好きなお前が言うな!と自分で突っ込んで見るけれど、やっぱりごはんはファッションじゃないし飾りじゃないのだ。一方通行でも、ごはんは、愛だ。

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