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The musician to the musician vol.16_Hirohito Furui (GARNET CROW)

解散から10年以上が経ってもなお根強いファンを持ち続け、永遠のスタンダードとして今も高い支持を得ているGARNET CROW。
彼らは、ヴォーカルでありGARNET CROWの全作品の作曲を担当する中村由利さん、キーボード&作詞を担当するAZUKI 七さん、キーボード&アレンジを担当する古井弘人さん、ギターの岡本仁志さん(シンガーソングライターとしてソロ作品もリリース)のクリエイティブ能力に長けた4人が集まり、1999年に結成した4ピースバンドです。

今回紹介する古井弘人さんは、GARNET CROW結成前からアレンジャーとしてZARD、DEEN、小松未歩、rumania montevideo他、数多くの楽曲をメジャーフィールドに送り込むなどキャリアを積んでいました。そうした経験によって養われた知識が、後にGARNET CROWのセンス溢れるサウンドメイキングに生かされていったことは間違いないでしょう。
では、そもそも古井さんはどんな音楽ルーツを辿ってきたのか? 2011年にご自身に語っていただいたインタビューを改めて振り返ってみたいと思います。
こちらはGARNET CROWが10周年を迎えた際に行ったものですが、メンバー間の関係性についても言及した貴重な内容になっています。ぜひご覧ください。

こちらの記事は、『The musician to the musician』(music freak Es vol.16 / 2011年4月号)に掲載された内容になります。


アーティストの皆さんの音楽ルーツや影響を受けた作品を探る[the musician to the musician]。通常このコーナーはいくつかアーティスト名や作品名を上げてもらい、それを軸にお話を伺っていくことが多いのですが、今回は少し違った形式で、古井さんに幼い頃から今に至る音楽との関わりについて語っていただきました。
古井さんと言えば、GARNET CROWのキーボーディストであり、またGARNET CROW以外にも様々なアーティストのアレンジャーとしてご活躍中です。これまでに手掛けたアレンジ作品はジャンルを越え非常に多種にわたっています。今回は、その幅広い音楽知識や引き出しの多さの理由を知ることが出来る、興味深いインタビューとなりました。


●最初に音楽に触れたきっかけは?

古井:幼稚園の頃にエレクトーンを少し習っていました。自分では覚えていないんですけど、自分からやってみたいと言い出したらしいんですよ。でもいざ始めてみると、女の先生が苦手で……(笑)。小さい頃ってそういうのあったりするじゃないですか。それで男の先生がいる教室を探してみたんですが、なかなか見つからなくて。結局やめてしまいました。それからは気が向いた時に遊ぶ程度だったんですけど、中学生の頃にはシンセサイザーに憧れを持つ様になりまして、一生懸命お小遣いを貯めて自分で買おうとしていたのを思い出しますね(笑)。で、高校に入ればきっともっと自由に音楽をやれるっていう期待を持っていたんですけど、なんと入学した高校に軽音部みたいなクラブがなかったんですよ。それなら自分達で作っちゃおうと! たまたま後ろの席の奴も音楽をやりたいってことで話が盛り上がりまして、まずは立ち上げるための規定の人数を集めなきゃって、必死に楽器が出来ない友達なんかも誘ったりして、最終的に同好会みたいなものを作りました。

●高校でも鍵盤担当だったんですか?
古井:
高校生くらいになるとはやっぱり竿もの(ギターやベース)に憧れるようになるんですよね~。で、中学の時に知り合いの方にいただいたアコギがあったので、自分なりに練習してみたんですけど、なかなか指が思うように動かなくて。それにその頃になるとギターって上手い奴がいるんですよね。自分がちょっとやっただけじゃかなわないなって(笑)。で、その次にベースにいって、しばらくやっていたんですけど、たまたま鍵盤をやる連中がいなくなっちゃって、それなら、“俺やるよ”って、結局鍵盤に戻りました。

●学生時代はスポーツなどには目覚めず、音楽ひと筋だったのですか?
古井:
背が高かったので昔から誘いは多かったのですが、結局音楽ひと筋で。高校時代なんてもう音楽ばっかりでしたね。

●どの位からプロを意識されるようになったんですか?
古井:
高校の時にすごく悩みましたね。1人だけ、1つ上の先輩が同好会に参加してくれていて、その先輩は今でもアニメの歌を歌っていらっしゃる方なんですけど、高校卒業の頃には既にちょっとしたプロへの話もあったりして、自分達よりもずっと先を行っていたわけですよ。そこに対するプレッシャーだったり、いい意味での刺激だったりをもらっていて、“自分はこのままじゃいけないな~”って。でもどうすればプロのミュージシャンになれるのか分からない訳ですよ。今はインディーズも自然ですし、気楽にパソコンなんかで曲を作ったり、公開したり出来ますけど、あの頃はMTRって自宅で録音出来る機材も高かったので、カセットテープレコーダーの消去ヘッドを消えないように工夫しながら録音を重ねていったり、すごいことをやっていましたね(笑)。なんか色々な意味であの頃は模索していました。

●高校で組んでいたバンドではどんなコピーをしていましたか?
古井:
メンバーがそれぞれに好きな曲を持ち寄って、邦楽も洋楽もなく本当に色々な曲をやっていました。中でもサザンオールスターズとか佐野元春さんはピアノがしっかり入っていたりするので、個人的に楽しかった記憶がありますね。あと忌野清志郎さんが好きで、高校に入ってすぐ日本武道館にライヴを観に行った想い出があります。なんか洋楽にハマってる人って、基本的に邦楽は聴かない人が多かったんですけど、僕はそういうのは一切なくて、洋楽ファンの奴らとは洋楽の話で盛り上がって、邦楽が好きな奴らの輪に入れば邦楽話で盛り上がってというタイプでした。ジャンルとか、アーティスト名でという聴き方じゃなくて、“この曲良いよね!”という聴き方だったので、浅く広くって言いますか、その辺は昔から柔軟でした。あと高校生になると自分で作曲したオリジナルもやっていましたね。

●古井さんというと、キーボーディスト、そしてアレンジャーというイメージが強いですが、作曲もされるんですよね?
古井:
GARNET CROWは役割分担がはっきり決まっているので、GARNET CROWの曲を作るということはないですけど、今でも趣味的な感覚で、気が向いた時に作ったりしていますね。

●作曲はいつ頃からされるようになったんですか?
古井:
高校生くらいですかね。バンドで“そろそろ自分達のオリジナルをやりたくない?”って頃が来るんですよね~。それで作った曲をやるようになりました。でも鍵盤弾きながら自由に浮かんできたメロディを録音するというのは中学生くらいからやっていましたね。なんか自然発生的に。まぁいわゆるインストになると思うんですけど、1人で楽しんで作っていましたね(笑)

●高校でバンドを組んでいる頃からアレンジもされていたんですか?
古井:
アレンジって大層なものではなく、学生時代はいわゆるライヴ・アレンジですからね~。それに例えば“こんなドラムのリズムが欲しいんだよね~”ってドラマーに相談すると、“それならこんなのどう?”って提案してくれたり、すごく依存型のアレンジでした。

●古井さんはアレンジャーというイメージが強いのですが、どのような経緯で本格的にアレンジをされるようになったんですか?
古井:
色んなルーツがあって、例えばTOTOと出会ってスタジオ・ミュージシャンがバンドをやるカッコ良さを知ったり、その流れの中でジェフ・ポーカロやデヴィッド・ボウイと出会ったり。また、デイヴィット・フォスターがダリル・ホール&ジョン・オーツだとか他にも色んなアーティストのプロデュースをしていたりするのを知っていくうちに、プロデューサーに対する憧れみたいなものも持つようになったんですね。ジャネット・ジャクソンで色んなプロデューサーがいる中からジャム・アンド・ルイスに興味を持って、彼らがやっている作品を片っ端から聴きまくったりだとか、ベイビー・フェイスがかっこいいと思ったりだとか……、誰々の曲っていうよりも、誰がかかわっている曲っていう方に走るようになったんです。それって、僕が所属している会社(ビーイング/ギザ)にも通ずる所があると思ったんですよね。バンドでやっていきたいと主張していた時期もあって、アマチュア・バンドでオーディションに出たりもしていたんですけど、出れば出る程壁にぶつかるわけですよ。要するにこの世界仲良しこよしだけじゃやっていけないんですよね。当時は出来れば同じメンバーと一緒にやっていきたいっていう想いがあったんですけど、なかなかバンドを丸々受け入れてもらえるって難しかったんです。そのうち個人としてもいつまでも足踏みしている訳にもいかない状況になってきてしまって。そんな時に、僕は機械で打ち込みもやっているみたいだから、真剣にアレンジってものを考えてみないかって、今所属している会社のあるディレクターの方に声を掛けてもらったんです。その時に“もっと真剣に音ってものを自分で構築していくことを考えていかなきゃいけないよな”って考えて、そこから本格的にアレンジをやるようになりました。なのでスタートは結構遅かったかもしれないですね。またやりだしたらとても深くて、そう簡単に出来なかったんですよ。でも幸いなことにこつこつためてきた機材がいっぱいあったので、試行錯誤を繰り返しながら挑戦していました。Pro Toolsなどもない時代でしたし、マッキントッシュも高かったので、シーケンサーという機材を使っていたんですけど、やっていくうちに“やっぱりプロはマッキントッシュを使ってるよな~”って所で、無理してマッキントッシュを買ったんですよ。すごい高いのにとても小さい画面だな~とか思いながら(笑)、ああだこうだ色んな方に助けて頂きつつスキルを磨いていきましたね。で、しばらくやっていくうちに、“アーティストたるもの、個性がなきゃダメだな”と思い始めまして……。先程もお話したように、僕は1つの音楽やアーティストを突出して好きになるタイプではなく、浅く広く色んな音楽を好むタイプだったので、言い方を変えると個性がなかったんですね。例えばダンスもののアレンジをしても、ダンス1本でやっている方にはかなわないと思った訳です。特色がないというか。だからアイツに何を頼むっていうのがイマイチ見えてこなかったと思うんです。それで敢えてAOR系の世界に徹していた時期がありました。そのうち“AORっぽいのやらせたら、アイツなかなか良いよね”って言われるようになって。その時は1つ自分の中の課題をクリア出来たような気持ちになりましたね。

●そこで何故AORにいったんですか?
古井:
色んな要素が入っているっていうか、色んな意味での幅広いジャンル性があると思ったんです。すごいロック寄りのものもあれば、ちょっとブラック寄りのものもあったりして、これまでの自分の音楽との向き合い方が1番活かせるかなと思ったんです。

●それから本当に色々なアレンジをしてこられましたよね。また現在はGARNET CROW のメンバーとしてもご活躍されていますね。
古井:
不思議な感じですね。アレンジの仕事もそうですけど、周りに恵まれたというか、皆さんに本当に良くして頂いてここまで来たという想いがすごく強いです。GARNET CROWに関しては、例えばそれまでもサポートでテレビ出演やライヴでサポート・メンバーに呼んで頂いたこともありましたけど、やっぱりそれとはまた違った責任で、バンドの一員っていう責任の重さを徐々に感じていくようになりました。

●GARNET CROWは昨年、10周年を迎えられましたが、ここまで続けてこられた秘訣はなんだと思われますか?
古井:
みんな自分のポジションに誇りを持ちつつ、メンバー間でも張り合っている所もあって、だけどある意味大人っていうか、クールな部分もあってという……、この4人じゃなきゃ続けてこられなかっただろうなっていうのはすごく感じますね。例えば岡本仁志も自分で曲を書けますけど、GARNET CROWの作品ではあくまでギタリストっていう自分の役割でかかわっている、そういう領域というかポリシーを守っているんですね。自分の各パートにそれぞれが責任を持ってやっている感じなんです。普通バンドで何かやる場合、始めに打ち合わせって必要じゃないですか。でもそういうの全然ないんですよ(笑)。だけど誰かが絶対的な権限を持っているっていうわけでもなくて、暗黙の了解で、気を使うんじゃなくて、気遣う感じはあるっていう、そんな感じでずっとやってこれたのが良かったと思います。

●今後はどんな活動をしていきたいですか?
古井:
アレンジなどでご指名いただいた時には、皆さんのお役に立てればということは勿論なんですけど、自分を表現する作品を作ってみたいという気持ちがありますね。具体的に予定がある訳では全然ないんですけど、機会があれば、例えば色んなトラックを作ってみるとか、クリエイティブな部分で自分を刺激していくような、自分の中で何か新しいことが出来ないかなと常に思っています。

●最後に音楽を作る上で、ここだけは譲れないものは何ですか?
古井:
仕事としてみたらダメなのかもしれないんですけど、自分が後になっても聴きたくないって思うもの、納得いかないものは出したくないんですよね。勿論歴史を経て振り返ってみると、“あれこうだったよな~”って思ってしまうものもあるんですけど、作っているその瞬間には、誰の作品であろうと、時間とかで区切りたくないんです。仕事ですから当然締め切りとか制約もあります。でも気持ちとしては自分に妥協せず、常に納得のいくものを出していきたいと思っています。



★今回の記事が掲載されている本のご紹介。

music freak magazine & Es 総集本 第二弾
SOLD OUT

『music freak magazine & Es Flash Back GARNET CROW Final Memories』

デビュー10周年を記念して2009年に出版したmusic freak magazine総集本『music freak magazine Flash Back GARNET CROW 10th Memories』の続編。
第一弾は、GARNET CROWがmusic freak magazineに初登場した1999年12月号(vol.61)〜 2009年8月号(vol.176)までの掲載ページを収録。
第二弾は、2009年9月号(vol.177)〜 解散までの掲載ページや表紙デザインなどを収録している。残念ながら第二弾は完売となっている。

★第一弾総集本はこちら!

music freak magazine総集本

『music freak magazine Flash Back GARNET CROW 10th Memories』

 デビュー10周年を迎えたGARNET CROWが、music freak magazineに初登場した1999年12月号(Vol.61)〜 2009年8月10日号(Vol.176)までの掲載ページを全て集めて1冊にした総集本第一弾。
インタビューやライブレポートのほか、メンバーがリレー方式で執筆を担当した人気の連載コーナー『GARNET CROWの「word scope in M.F.M」、オリジナル広告 etc…読みごたえ、見ごたえ十分の一冊です。

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