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OLDIES GOODIES #6_バディ・ホリー特集

ミュージックフリークマガジンいち押しラジオ番組♪♪♪
フォークシンガー・ばんばひろふみ氏と、音楽プロデューサー・長戸大幸氏が圧倒的な音楽知識と豊富な経験で、1950~70年代の洋楽を中心に多くのアーティストがカバーする大ヒット曲やここでしか聴けない激レア音源等を紹介してくれる「OLDIES GOODIES」をご紹介!

ばんばん&大幸の「オールディーズ・グッディーズ」第六回目。いよいよ二人の息も合ってきたのか、この回からはオープニング・トークに時事ネタや語り手のパーソナル会話が登場。ばんばさんならではの大幸さんの個性の引き出しっぷりが絶妙かつ面白い。
特集は、60年代が生んだ不世出のR&Rヒーロー、バディ・ホリー。ビートルズにも影響を与えた彼らの代表曲と共に、同時代のアーティストのカバー作品紹介、バディが飛行機事故で亡くなった「R&R(=音楽)が死んだ日」のエピソード。 そこから80年代マドンナのカヴァー作品を紹介してリンダ・ロンシュタットにまで行き着くという、より時代を超越したオールディーズの魅力拡散中。ますますトークが冴えてきた。

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Opening Music:10番街の殺人 / The Ventures

ばんばん)こんにちは、ばんばひろふみです。
 
大幸)長戸大幸です。
 
ばんばん)今週も無事始まっております「オールディーズ・グッディーズ」ですけども、早いものでもう一ヶ月経ちまして。
 
大幸)そうですね〜。
 
ばんばん)どうですか、一ヶ月放送して?
 
大幸)まだ喋り慣れてないですけどね。
 
ばんばん)いえもう十分ですよ。こんなん言うのもなんですけど、オンエアをまたラジコで聴いた時、大幸さん、ええ声してますよ。
 
大幸)そうですか。
 
ばんばん)なかなかこう芯のある!
 
大幸)いやいや。
 
ばんばん)で、まあこれ11月最初の放送になってるんですけど、大幸さん寒さは強いんですか? 弱い?
 
大幸)いや普通です。
 
ばんばん)普通(笑)。例えば夏と冬やったらどっちが好きですか?
 
大幸)どっちも好きですね。
 
ばんばん)僕は秋が好きなんですよね。今、滋賀県に住んでるじゃないですか。京都に住んでる時は盆地やから山しか見えなくて、季節を感じるのは山が色付いてきたら、「あ、秋やな」とか視覚的に感じ取ってたんですけど、滋賀県に移ると琵琶湖があって瀬田があって。こう〜なんか静かで綺麗でしょ。夜なんか窓開けたら虫の声がたくさん聞こえてきて、聴覚的にも秋を感じられるんですよね。
 
大幸)なるほどね。
 
ばんばん)なんかちょっとオシャレでしょ?
 
大幸)はい(笑)
 
ばんばん)なんかそんなこと大幸さんも言うてくださいよ(笑)
 
大幸)いやいや〜(笑)
 
ばんばん)では、そろそろ今週もいきましょう!
 
大幸)今日はね、バディ・ホリー(※注釈1)で。まず「WORDS OF LOVE」(※注釈2)という。
 
ばんばん)これはビートルズの?
 
大幸)ビートルズが、バディ・ホリーの曲をカバーしてるんです。
 
ばんばん)なるほど。では、まずはビートルズ、そしてバディ・ホリーの「WORDS OF LOVE」(※注釈2)をどうぞ。

TR-1 WORDS OF LOVE / The Beatles
TR-2 WORDS OF LOVE / Buddy Holly

(※注釈1)バディ・ホリー(Buddy Holly、1936−1959)は、アメリカのロック・ミュージシャン。1956~59年にかけ、ザ・クリケッツを率い音楽活動を行う。代表曲「That'll be the day」(ザトル・ビー・ザ・デイ)、「PEGGY SUE」(ペギー・スー)。1959年、搭乗した小型機の墜落事故により死去。テックスメックスと呼ばれる独特のサウンドと黒縁メガネのルックスは後世のロック・グループに強い影響を与えた。

(※注釈2)「Words Of Love」(ワーズ・オブ・ラヴ)は、バディ・ホリーの楽曲。 作詞・作曲もホリーによる。彼自身の手で1957年に録音。ホリーは各々のパートをテープに録音し、合わせることでハーモニーを作り出している。ビートルズによるカバーは、1964年12月4日に発売された4thアルバム『ビートルズ・フォー・セール』に収録。ホリーのファンであったジョン・レノンとポール・マッカートニーの2人がリード・ヴォーカル、ジョージ・ハリソンがコーラスを担当。ホリーのオリジナルを忠実にカヴァーしている。

ばんばん)ビートルズ、結構そっくりですね。
 
大幸)ええまあ、カバーなんでね。
 
ばんばん)そやけどビートルズって、ちょっと変えたりしますけど、これは結構まともに。
 
大幸)歌も声もどちらかといえば似た状態ですね。
 
ばんばん)そうですよね。
 
大幸)ジョン・レノンって、元々プライベートでは近視でメガネかけてたんですよね。
 
ばんばん)うん。でもビートルズ初期は、メガネかけてるとかっこ悪いってことで外してたんですよね。
 
大幸)そうそう。で、このバディー・ホリーが堂々とメガネかけてたんで、ジョン・レノンもまたかけ始めたらしいんですけどね。
 
ばんばん)なるほど、じゃあ俺も出来るみたいな。
 
大幸)それで彼がかけたら、今度はあのシャドウズ(※注釈3)のハンク・マーヴィン(※注釈4)という人が出てきて。
 
ばんばん)ギタリストですね。

大幸)ある意味そっくりになるということで、また取ったらしい(笑)
 
ばんばん)ハンク・マーヴィンに、ジョン・レノンがそっくりになっちゃう。ほんで、また外した?
 
大幸)はい(笑)
 
ばんばん)どないやねん、それ(笑)
 
大幸)まあそのバディー・ホリーの日本で一番ヒットした曲「ペギー・スー」(※注釈5)を聴いてください。

TR-3 PEGGY SUE / Buddy Holly

(※注釈3)ザ・シャドウズ(The Shadows)は、英国のインストゥルメンタル・ロックバンド。1950年代から活動を開始し、歌手のクリフ・リチャードと組んだクリフ・リチャード & ザ・シャドウズとして、ザ・ビートルズが登場する以前の1950年代後半から1960年代代前半にかけて、イギリスのポピュラー音楽シーンをリードした。その活動を通じて数十曲に及ぶ楽曲をイギリスのヒットチャートに送り込んだ。

(※注釈4)ハンク・マーヴィン(Hank Marvin、1941-)は、エレキギター・バンド、シャドウズのリード・ギタリスト。マーヴィンによるクリーンなギター・サウンドをトレードマークにシャドウズ単体でもインストゥルメンタル・バンドとしてヒット曲を量産した。

(※注釈5)「Peggy Sue」(ペギー・スー)は、バディー・ホリー&ザ・クリケッツのシングルとして1957年7月にリリース。
この曲は元々、バディの姪(彼の妹パット・ホリー・カイターの娘)に因んで「Cindy Lou」(シンディ・ルウ )と呼ばれていた。後に、クリケッツのドラマーであったジェリー・アリソンのガールフレンド、ペギー・スー・ゲロンに因んで「ペギー・スー」と改題された。

ばんばん)いつもその当時のシングル・ジャケットの話になるんですけど、今聴いてもらった「ペギー・スー」は、バディ・ホリーの写真がちゃんと載ったジャケットと、イラストみたいな字だけ書いてあるジャケットがありますね。
 
大幸)まあ、あまりにも売れてなかったんでしょうね、字だけ書いてあるやつは。コレもそうだし、この次の「That’ll be the day」ていう「いつの日か」(※注釈6)っていうタイトルになってますけど、しかもこれ、クリケッツっていうことになっている。
 
ばんばん)彼のバックバンドですよね。
 
大幸)はい。しかもこれは、バディ・ホリー ヴォーカル with オーケストラと書いてますよ。
 
ばんばん)そうですね。その味気ないジャケットの方が。
 
大幸)はい(笑)。その「ペギー・スー」の次の話でいうと、「That'll be the day」。
 
ばんばん)「That'll be the day」。これ、バディ・ホリーと三人ぐらいが若くして飛行機事故で亡くなられましたよね。
 
大幸)はい。
 
ばんばん)それのなんか象徴が「That'll be the day」っていう風に言われてるって聞きましたけど。
 
大幸)はいはい。
 
ばんばん)邦題が「いつの日か」というタイトルになってますね。これは、一応アメリカでは1位になったということですか?
 
大幸)1位にはなってますね。
 
ばんばん)最高1位になってますね。これが与えた影響というのはやっぱりイギリスとかには?
 
大幸)そうです。結局少人数のバンドというところが。
 
ばんばん)クリケッツというのは4人メンバー。だからビートルズも同じ編成という。
 
大幸)そうですね。まあまず「That’ll be the day」バディ・ホリー&クリケッツを聴いてください。

TR-4 That’ll Be The Day / Buddy Holly & The Crickets

(※注釈6)「That’ll Be The Day 」(ザットル・ビー・ザ・デイ)邦題「いつの日か」は、バディー・ホリー&ザ・クリケッツによるロックンロール・クラシック。タイトルは西部劇「捜索者(The Searchers)」のジョン・ウェインの台詞から採られている。リンダ・ロンシュタットのカバーにより広く認知されるようになった。

大幸)これがバディ・ホリーのデビュー盤です。
 
ばんばん)これビートルズもカバーしてません?
 
大幸)そう。ビートルズがやってるバージョンがあるんです。それをちょっと聴いてください。
 
ばんばん)いいですね、お願いします。

TR-5 That’ll Be The Day / The Quarry Men

大幸)これはビートルズではなく、クオリーメンっていってました。
 
ばんばん)あ〜、まだビートルズになる前の。ということは、これポールは入ってるんですかね?
 
大幸)入ってるでしょう。
 
ばんばん)でもメインの声はジョンですね。貴重な音源ですね。
 
大幸)はい。で、これをリンダ・ロンシュタット(※注釈7)もカバーしているので、そのバージョンも聴いてください。

TR-6 That’ll Be The Day / Linda Ronstadt

(※注釈7)リンダ・ロンシュタット(Linda Ronstadt、1946-)は、アメリカの歌手、ミュージシャン。1970年代のウエストコースト・サウンド・ムーブメントを代表する女性アーティストの一人として、1980年代までトップの地位を確立した。カーラ・ボノフやJ.D.サウザーなど、当時あまり売れていなかったミュージシャンの曲を取り上げ世に出したことでも知られる。また、イーグルスはデビュー前にリンダのバックバンドだった。また、ロイ・オービソンやバディ・ホリーはリンダのカバーがきっかけで再評価された。

大幸)続いては「True Love Ways」(※注釈8)という曲。これは大変声が良くて、これもバディ・ホリーです。
 
ばんばん)はい、どうぞ。

TR-7 True Love Ways / Buggy Holly

(※注釈8)「True Love Ways」(トゥルー・ラヴ・ウエイズ)は、バディ・ホリーの楽曲。1958年、彼の最後のレコーディング作品。邦題「二人の恋は」(True Love Ways)は、バディが妻に捧げた作品。ストリングスのオーケストレーションをバックにして歌った意欲作。

ばんばん)僕この歌すっごい好きだったんですけど、バディ・ホリーだと知らずにピーター&ゴードン(※注釈9)という二人組のグループのカバー曲を聴いてたんですよ。
 
大幸)「愛なき世界」(※注釈10)の次ぐらいですよね。
 
ばんばん)「これ、ええ曲やなあ〜」と思って、大好きやったんですよね。
 
大幸)ゴードンも良かったですよね。
 
ばんばん)良かった。
 
大幸)この時、ゴードンは19歳くらいだったんですよ。ピーターも20歳くらいで。
 
ばんばん)なんか低音でね、ゴードンの方はね。
 
大幸)で、このピーター・アッシャーの妹にジェーン・アッシャー(※注釈11)というのがいて、これがポールマッカートニーの彼女だったんですよ、公然の。
 
ばんばん)うん。
 
大幸)とりあえず、ピーターとゴードン聴きましょう。

TR-8 TRUE LOVE WAYS / Peter & Gordon

(※注釈9)ピーター&ゴードン(Peter & Gordon)は、イギリスのピーター・アッシャーとゴードン・ウェラーによるデュオ・グループ。ロンドンのハイスクールで出会った二人。1964年に発表したデビュー曲「愛なき世界」(A World Without Love)が全米1位のヒットとなり、一躍有名に。本国イギリスだけでなくアメリカでも絶大な人気を博した。

(※注釈10)「A World Without Love」(邦題:愛なき世界)は、1964年発売、ピーター&ゴードンのデビュー・シングル。作詞・作曲はポール・マッカートニー。当時、ポールはピーターの妹であるジェーン・アッシャーと交際しており、その関係から楽曲提供を依頼されたため、リヴァプールで6年前に書いていた「愛なき世界」を提供。この曲は、いきなり全英チャートでビートルズの「キャント・バイ・ミー・ラブ」を蹴落とし2週連続1位を獲得、全米チャートでも1位。ビートルズ以外のブリティッシュ・インヴェイジョン勢によるシングルが全米1位を獲得したのは、これが初めて。

(※注釈11)ジェーン・アッシャー(Jane Asher、1946- )は、イギリスの女優、実業家。ジェーン・アッシャーが初めてビートルズと対談したのは1963年。BBCラジオタイムズでの出来事だった。その後、ジェーンとポールは公然の関係で付き合いを開始。関係は1968年まで続いたが、その間ビートルズの代表曲として知られる「オール・マイ・ラヴィング」、「アンド・アイ・ラブ・ハー」、「君はいずこへ」、「恋を抱きしめよう」他、一連のポールが作曲した作品はビートルズ音楽に多大な影響を与えた。この期間に作曲されたポールのラブソングは、ほぼ全てジェーンとの関係が題材になっているとも言える。同時期「レノン=マッカートニー」コンビは、ジェーンの実兄ピーターのために、彼が活動するバンド「ピーター&ゴードン」の全米No.1ソング「愛なき世界」を書いている。またポールは、1964〜66年までの2年間ロンドンのアッシャー邸に間借りしており、この期間にこの音楽練習部屋で数多くのビートルズ・ソングが作曲された。労働者階級出身のポールは、ここで上流階級のゆったりとした稀な雰囲気を味わう事が出来た。ポールは自分のガールフレンドとしてジェーンを非常に誇らしく感じ、また彼女に対して非常に価値を置いていた。

ばんばん)いい曲ですよね。

大幸)はい。で、さっきの話で出たバディ・ホリーとリッチー・ヴァレンスとビッグ・ボッパー(※注釈12)が飛行機事故に遭うんです。
 
ばんばん)当時はもう本当に大人気の三人ですよね。同じ飛行機に乗ってたんですよね。
 
大幸)そうですね。1959年、ツアーに行く時に飛行機事故で亡くなった。
 
ばんばん)ね〜。
 
大幸)この時の映画があるんですよ。
 
ばんばん)あっ、そうなんですね。
 
大幸)その時の映画主題歌を、ドン・マクリーン(※注釈13)が「アメリカン・パイ」(※注釈14)という曲で歌っています。
 
ばんばん)これはもう大ヒットしましたよね。7分くらいの長い曲だけど、ねえ。
 
大幸)確か、1972年の年間1位だった気がします。
 
ばんばん)なんか新聞配達してて、ふっと新聞見たらその事故の記事が出ててショックを受けたというような内容じゃなかったですか?
 
大幸)そうそう。ドン・マクリーンはその時、13歳だったんですよ。
 
ばんばん)あー。
 
大幸)1959年。『音楽が死んだ日』(※注釈15)っていう有名な言葉を叫んで。
 
ばんばん)それほどこのアメリカの音楽界に与える、まあ若者に与える影響が大きかったと。
 
大幸)はい。ではその時の「アメリカン・パイ」を聴いていただきましょう。
 
ばんばん)はい、ドン・マクリーンです。

TR-9 AMERICAN PIE -PART 1 / Don McLean

(※注釈12)ザ・ビッグ・ボッパー(The BigBopper、1930〜1959)は、アメリカのミュージシャン、シンガー、ソングライター、ディスクジョッキー。陽気なキャラと巧みなパフォーマンスで人気に。元々はラジオDJとして活躍。1958年リリースしたシングル曲「シャンティリー・レース」が全米チャート第6位という大ヒット曲に。聴き易いコミカルでポップなロックンロール曲は、この年の全米トップ10の中に22週間チャート・イン。1959年2月3日、飛行機事故によりバディ・ホリー、リッチー・ヴァレンスと共に亡くなった。

(※注釈13)ドン・マクリーン(Don McLean、1945-)は、アメリカのシンガーソングライター。十代の頃にフォーク・ミュージックに魅かれ、ウィーバーズなどのファンになった後、プロとしてデビュー。1971年にリリースした「アメリカン・パイ」が全米No.1を獲得。この曲は、バディ・ホリー、リッチー・ヴァレンス、ザ・ビッグ・ポッパーが犠牲になった飛行機事故を題材にした曲(曲中で繰り返される「The Day the Music Died(音楽が死んだ日)」)は、飛行機事故の当日をさしており、この言葉がR&Rの時代の終わりを告げたとして象徴的に語られた。

(※注釈14)「American Pie」(アメリカン・パイ)は、ドン・マクリーンが1971年にリリースしたシングル曲。作詞・作曲は、ドン・マクリーン本人。1972年1月15日より4週間全米第1位を獲得。演奏時間が8分36秒だったため、シングルはA面とB面に分けられて発売された。多くのラジオ局は、両面をオンエアーした。

(※注釈15)音楽が死んだ日(The Day the Music Died)は、1959年2月3日小型飛行機が墜落し、搭乗していたバディ・ホリー、リッチー・ヴァレンス、ザ・ビッグポッパーが亡くなった日のこと。この飛行機事故は、ロックンロールの時代の終わりを告げる象徴的な出来事となった。この通称は、ドン・マクリーンがこの悲劇を題材にした楽曲「アメリカン・パイ」の中で、「音楽が死んだ日」として歌ったことにより定着した。

大幸)これ、マドンナ(※注釈16)もカバーしてるんで。
 
ばんばん)その前に、ドン・マクリーンのシングル見ると、曲が長いからA面とB面に分けて、Part1、Part2になってたんですね。
 
大幸)はい。
 
ばんばん)でも売れた。
 
大幸)うん、しかも年間チャート1位だった。
 
ばんばん)すごいね、それをマドンナがカバーしている。じゃあそれを聴いてみましょう。

TR-10 AMERICAN PIE / Madonna

(※注釈16)マドンナ(Madonna Louise Ciccone、1958-)は、アメリカのシンガーソングライター、女優。マイケル・ジャクソン、プリンスと共に1980年代を代表するアーティストであり、世界で最も成功を収めた女性音楽家であり、史上最も売れたアーティストの一人。一般的に「クイーン・オブ・ポップ」と称される。

ばんばん)マドンナで「アメリカン・パイ」(※注釈17) 聴いていただきました。
 
大幸)続いて、1984年にマドンナがデビューした一番有名な曲。
 
ばんばん)「Like a Virgin」。
 
大幸)そうそう「Like a Virgin」(※注釈18)、それも聴きましょう。

TR-11 Like a Virgin / Madonna

(※注釈17)マドンナの「アメリカン・パイ」は、2000年3月にマドンナがカバーし、彼女主演の映画『2番目に幸せなこと』のサウンドトラックに収録された。マドンナのバージョンはオリジナルよりも短縮され、ポップ・ダンスソングとしてアレンジされている。マドンナ自身とウィリアム・オービットがプロデュースしたこのカバー・バージョンは、世界的ヒットとなり、各国のチャートで1位を記録。しかし、アメリカではシングルとしてはリリースされなかった。

(※注釈18)「Like a Virgin」(ライク・ア・ヴァージン)は、1984年に発売されたマドンナのシングル。アルバム『LIKE A VIRGIN』の先行シングルとして発売され世界的に大ヒット。自身初の全米チャート1位、及び6週連続1位を記録。

ばんばん)マドンナで「Like a Virgin」でした。このマドンナってすげえ売れましたよね。長戸さんの目から見て、何が良かったんやと思います? この人の魅力って?
 
大幸)僕らは思わないですけど、一般の人はなんかマリリン・モンロー(※注釈19)に似てるとかって言ってましたけど。

ばんばん)あーそっちに被っていくわけですか、なるほど。あと例えばシンディー・ローパー(※注釈20)とかは、結構マドンナっぽいじゃないですか。あーいう流れっていうのはあるんですかね。
 
大幸)シンディー・ローパーは出てきたとき、もう40歳近かったでしょう。
 
ばんばん)あ、そうですか。
 
大幸)マドンナはまず若かったからっていうのもあるし、やっぱりセクシーな上にダンスも上手かったから。
 
ばんばん)なるほど。でも今あれですよね、ダンスが踊れなかったらあきませんね。
 
大幸)だから安室奈美恵なんかは、憧れてたと思いますよ。
 
ばんばん)ですよね。僕なんかフォークシンガー全滅ですわ(笑)
 
大幸)(笑)。あのね、フォークシンガーと、ダンスの人の違いはね。
 
ばんばん)なに?
 
大幸)ギターを持てば、猫背でもステージにも立てるっていうのがフォークシンガー。
 
ばんばん)(笑)
 
大幸)だからギターさえ持てばステージに立てるんですよ。
 
ばんばん)確かに。
 
大幸)ところが楽器も何も持たずにステージに立てって言われたら、ダンスが上手くなかったら立てませんよ。
 
ばんばん)それは僕らがステージにギターなしで立て言われたら、陸上がった河童みたいな(笑)
 
大幸)だからやっぱりダンスが流行るのはそういうことでしょうね。
 
ばんばん)なるほどね。
 
大幸)何もなくてもかっこいいですもん。僕らはギター持って、猫背じゃないと、もう〜(笑)
 
ばんばん)猫背じゃないとね(笑)。もうピッタリですわ。あの時やっぱり楽器さえなかったら、僕らも今頃ダンスで踊ってるかも。
 
大幸)そうそう(笑)
 
ばんばん)マドンナ、もっと聴きますか?
 
大幸)はい。次は「ラ・イスラ・ボニータ」(※注釈21)を聴いてください。

TR-12 LA ISLA BONITA / Madonna

(※注釈19)マリリン・モンローは、アメリカ合衆国の女優、モデル。典型的なブロンド・ボムシェル役を演じたことで有名な彼女は、1950年代で最も人気のあるセックスシンボルの一人であり、セクシャリティに対する時代の態度を象徴していた。彼女は特にアメリカにおいて現在でも大衆文化のアイコンとみなされている。

(※注釈20)シンディー・ローパー(Cynthia Ann Stephanie Lauper、1953-)は、アメリカのシンガーソングライター、女優。1983年にソロレコード・デビューし、翌1984年ファースト・シングル「ガールズ・ジャスト・ワナ・ハブ・ファン」が全米チャート第2位、セカンドシングル「タイム・アフター・タイム」が全米第1位になり、サードシングルの「シー・バップ」は第3位、「オール・スルー・ザ・ナイト」が第5位と、デビューアルバムから4曲連続トップ5入りした初の女性ソロ・アーティストとなった。

(※注釈21)「La Isla Bonita」(ラ・イスラ・ボニータ)は、マドンナの楽曲。1986年リリースの3rdアルバム『トゥルー•・ブルー』からの5枚目かつ最後のシングル・カット曲。

大幸)続いてバディ・ホリーの「It’s so easy」(※注釈22)っていう。
 
ばんばん)もう一度バディ・ホリーに戻りますね(笑)。これはバディ・ホリーではなくて、リンダ・ロンシュタットで流行りましたね。
 
大幸)そうなんです。リンダ・ロンシュタットで流行ったんですよ。
 
ばんばん)でも、オリジナルはバディ・ホリー。
 
大幸)はい。
 
ばんばん)じゃあ「It’s so easy」を、バディ・ホリー&ザ・クリケッツ、そしてリンダ・ロンシュタットで2曲続けて聴いてもらいましょう。

TR-13 IT’S SO EASY/ Buddy Holly and The Crickets
TR-14 IT’S SO EASY/ Linda Ronstat

(※注釈22)「It's So Easy!」(イッツ・ソー・イージー)は、バディ・ホリーとノーマン・ペティが作詞・作曲した楽曲。この曲は、1958年にザ・クリケッツのシングルとして最初に発売されたがチャートには入らなかった。ホリーがクリケッツに在籍している間の最後のシングルとなった。リンダ・ロンシュタットが1977年にこの曲をカバーし、全米トップ5に入る大ヒット曲となった。

ばんばん)ということで、そろそろ時間がきてしまいました。なんかあっという間に過ぎてしまいますが、いかがですか? こうやって改めてずっと聴いていくと。
 
大幸)まあ、やっぱりなんか懐かしいですよね。
 
ばんばん)懐かしいし、色んなことがまた見えてきますね。
 
大幸)僕らの若い時なんでね。思い出しますよね、色々と。
 
ばんばん)はい。ということで次回は?
 
大幸)次回は、ロイ・オービソン(※注釈23)にいこうとしています。
 
ばんばん)ロイ・オービソンいいですね。渋いとこいきますね! またロイ・オービソンを中心に、どこへ道が外れていくか分からないということでございます(笑)
 
大幸)はい(笑)
 
ばんばん)来週もお楽しみに。それでは「オールディーズ・グッディーズ」お相手は、ばんばひろふみと
 
大幸)長戸大幸でした。
 
ばんばん)それじゃ、また来週。


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