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The musician to the musician vol.10_栗林誠一郎(SEIICHIROH KURIBAYASHI)

「栗林誠一郎」という名前をご存知だろうか。シンガーソングライター、ベーシストとして、ソロ、またバンドで作品を発表する傍ら、TUBE、ZARD、WANDS、DEEN、ほか数多くのアーティストに楽曲提供を行っている名コンポーザーでもある。特にZARDに多数のヒット曲や名曲を提供、90年代の音楽シーンに大きな足跡を残した。
最近は、ZARDのトリビュートバンド・SARD UNDERGROUNDがリリースした3枚のZARD トリビュートアルバムやシングルのカップリングでも、栗林が作曲を手がけた「君がいない」「もう少し あと少し・・・」「Don’t you see!」「運命のルーレット廻して」など多くの曲がラインナップされており、改めて彼の非凡なるメロディセンスに触れる機会が増えている。
(9/14リリースのSARD UNDERGROUNDニューアルバム『日の名残り』には、ZARD 4th AL『揺れる想い』収録の人気バラード曲「You and me(and…)」、栗林のスペシャルユニット・Barbier(バルビエ)の1stシングル「クリスマス タイム」のカバーが収録される!)

昨今、海外で70年代や80年代シティーポップがブームになっていると話題だが、ノスタルジックやセンチメンタリズムを感じられる都会的な音楽は、栗林が生み出す楽曲にも通ずるものを感じる。また、日本人特有の心の機微に触れる良質なメロディは、普遍的な音楽として時代や世代を越え、多くの人に響くのではないだろうか。
そんなわけで、music freak magazine編集部では、今再び「栗林誠一郎」に注目! 彼の音楽ルーツに迫る! 
さらに、『栗林誠一郎 ALBUM DISCOGRAPHY』(レビュー付き)をご紹介!!

16歳の時から4年間L.A.に留学していた経歴をもつ栗林誠一郎は、帰国後、L.A.の地で培ったサウンド・センスを生かしたインターナショナルな感性を伴った新鮮なメロディ・ラインを持つ数々の楽曲で注目を集めていた。
彼のキャリアのスタートは、1987年、TUBEに楽曲提供することから始まり、「DANCE WITH YOU」「Remember Me」などを提供。その頃から彼の作品にはいつまでも輝きを失わない美しいメロディ・ラインが存在していた。その後、渚のオールスターズの一員として、3枚のアルバムに作曲家、ヴォーカリストとして参加。1989年にはツアー・サポートのつわもの達を集めたセッション・アルバム『プレイヤーズ・ポール・ポジション』で小田原豊、松本孝弘、斉藤ノブ、難波弘之らと共演。作曲家、ヴォーカリストとしてだけでなく、ベーシストとしても参加した。また同年、『LA JOLLA(ラ・ホーヤ)』でソロ・デビューを果たし、1990年には「おどるポンポコリン」が大ヒットとなったB.B.クィーンズにベーシストとして参加。その後1993年に高山征輝(Vo.)と共に、ZYYGを結成(1994年 脱退)。自身のソロ作品をリリースする傍ら、1995年にはBarbierとしても活動するなどシンガーソングライターとして意欲的に作品を発表し続けた。と同時に、ZARD、大黒摩季、WANDS、MANISH、DEENほか、数々のアーティストに楽曲を提供。作曲家として多くの名曲を世に送り出した。
そんな彼は、一体どんな楽曲やアーティストに影響を受けてきたのか? よくコピーしていたバンドは? ミュージシャン、プレイヤーを目指すきっかけとなったアルバムは?
クリエイターも必読!!  稀代のメロディーメーカー・栗林誠一郎の音楽ルーツを知ることができる貴重なインタビュー[music freak magazine vol.45(1998年8月10日発行号)掲載]を掘り起こす!!



■『RUBBER SOUL』/ THE BEATLES(ザ・ビートルズ)

「やっぱりビートルズは外せないですね。ビートルズがなかったらミュージシャンになってなかったっていう人も多いし。彼らの曲は、リアルタイムでは聴いてなかったんだけど、1966年にビートルズが日本に来た時に姉がファンになって、姉が一番初めに買ったアルバムがこの『ラバー・ソウル』だったんです。自分が幼稚園くらいの時かな。幼稚園から帰ってきたら、プレイヤーにレコードかけて聴いていましたよ。これには結構思い出があって、1枚目はもう擦り切れて聴けないくらいになってます。」

「小さい頃は、ビートルズの良さとか偉大さとか分からなかったんだけど、聴くうちにどんどん分かってきて。少しずつ姉からレコードをもらって、どんどんのめりこんでいったんです。もう小学校に行ってる時から、“今日家に帰ったらビートルズのどのアルバムの何を聴こう”と思い浮かべて……。そう思うと友達に“今日遊ぼうよ”と言われても、“今日はダメ”って断っちゃうくらい聴きたかったんです。小さい頃は、4人の中ではリンゴとジョージが好きでしたね。ジョージは見た目がカッコイイし、とぼけた感じの声が好きだったから。」

「アルバムの中の曲では「DRIVE MY CAR」と、5曲目に入っているジョージ・ハリスンの曲(邦題「一人ぼっちのあいつ」)が結構好きでした。この頃はジョージ・ハリスンが才能を発揮し始める頃で、ちょっと不思議で変わったコーラスが入っていて。1965年のアルバムとは思えないようなアレンジと曲のメロディー・ラインがいいんですよ。」

『RUBBER SOUL』/ THE BEATLES(1965年)
ビートルズは、ジョン・レノン、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスン、リンゴ・スターの4人組。ポップス・ロック史上最も偉大な業績を残した、1960年代を代表する英国バンド。今作は、彼らの6枚目のアルバム。ライブよりもレコーディングに重点を置いて最初に発表した作品であり、シタールの導入など意欲的なサウンド・アプローチが繰り広げられている。ポールの傑作と言われている名曲「ミッシェル」はこのアルバムに収録。

■『ABBEY ROAD』/ THE BEATLES(ザ・ビートルズ)

「これは小学5年生の時にやっと姉がくれたアルバムで、このアルバムを聴いた時に、“ベースをやろう!”という気持ちになったんです。ビートルズのアルバム中で一番ベースの音がモロに聴こえる曲、1曲目の「COME TOGETHER」を聴いてベースのカッコ良さに魅力を感じて。「LET IT BE」の映画を観た時、ジョージ・ハリスンが低い音のギターを弾いてたから、あれがベースだと勘違いしてしばらくジョージがベースだと思ってたんだけど、人に聞いたらベースはポール・マッカートニーだって。それでポールのファンになって、中学に入った時、黒のバイオリン・ベースを買いました。それでベースを始めて、ビートルズのコピー・バンドを組んだりしてました。
これを聴くまではギターが一番カッコイイと思ってたんですけど、このアルバムを聴いてベースが一番いいなと思いました。僕がベースを買った時、周りには“何でベース買うの?”みたいなことを言われたんですけど、“いや、カッコイイじゃん”って言ったら、“そうかな、ギターが一番カッコイイと思うんだけど”って言われたのを覚えています。これは、ミュージシャン、プレイヤーになろうと思ったきっかけのアルバムです。」

「お気に入りの曲はもちろん「COME TOGETHER」。あと「OH DARING」。小学生の時はリンゴの「OCTOPUS GARDEN」が好きでしたね。今はビートルズはたまに聴くぐらいだけど、時々歌の発声練習みたいな時にビートルズの歌を歌ったりします。バラードとかも結構真似したりして……。ビートルズは僕の音楽ルーツ、原点ですね。」

『ABBEY ROAD』/ THE BEATLES(1969年)
ビートルズのディスコグラフィーを見ると、この後に発売された『レット・イット・ビー』がビートルズのラスト・アルバムとされているが、実質的にはこの『アビイ・ロード』のレコーディングの方が後に行われている。シングル「カム・トゥギャザー」「サムシング」を収めながらも、彼らの活動の集大成に相応しい大作になっている。全英18週 / 全米11週連続NO.1を獲得。1,000万枚のセールスを記録した。

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