見出し画像

田辺聖子『新源氏物語』

田辺聖子『新源氏物語(上)(中)(下)』(新潮文庫)

更新が空いてしまいました。
更新の空いた期間=読書にかかった期間なのですが、皆様ご承知の作品名とわざわざ書いた(上)(中)(下)の表記だけでどれほどの文量かおおよそ察していただけると思います(それでも全編ではないのですが…)。

学問・教養として源氏物語に触れることはあっても大人になって今更もののあはれを感じる暇もないわ…という方が多いのではないかと(勝手に)思っているのですが、田辺聖子『新源氏物語』は読み物として源氏物語を楽しめるように現代語訳・意訳がなされていて、注釈無くスムーズに読み進められます。
あらすじはウィキペディア等にお任せしますが、わたしは今更ながら本書で源氏物語のあらすじを把握し、今更ながら魅了されました。

最近のわたしは、平日はガツガツと働き、休日はぐーすか寝て、遊んで、買い物して…という感じで「もののあはれ」の要素がまるで無く、わたしは社会人としての生活はしているが女性としての生活はしているのだろうか?としきりに感じています。
(「女性としての生活」ってなんやねん!とお思いの方、「ときめき」「かわいい」等の女性的な感情や感覚の起伏に富んだ生活というイメージで捉えてください)

田辺聖子『新源氏物語』を読むと、美男子に翻弄される女性たちを羨ましく感じながら、嫉妬や恨みなどドロドロとした感情描写はあっても気高く振る舞う女性たちにハッとさせられます。「ときめき」「かわいい」をただ享受するのではなく、気品ある振る舞いについて研究するのが女性として大事なのではないか?と読みながら考えさせられました。
今回は女活(?)の一環として、田辺聖子『新源氏物語』を読んで感じた"いい女"の在り方についてまとめたいと思います。

(序)容貌とファッションセンス

源氏はたいへん色好みな美男子ですが、誰でも良いという訳でなく女(ひと)を選んで駆け引きを愉しんでいます。前提にあるのが容貌の美しさ。貴い身分の女性達は異性との接触を極力避けるため御簾(みす)で姿を隠し、御簾ごしの会話や女房を介したやり取りをしますが、ある時強い風が吹き御簾がめくれてしまい、女性の素顔の美しさに男性が魅了されてしまう…というような場面が多々あります。
また、源氏物語には男女問わず平安貴族たちの服装についての記述が多く、ダサい衣装を送ってきた女性(末摘花)を源氏が苦々しく感じる場面があります。
要するにお洒落でかわいいことがいい女の最低条件なのです。

(一)教養、芸術的センス

源氏物語には、平安貴族たるもの古歌や小説(長恨歌や宇津保物語など)の一節を会話や文に織りまぜることができ(それもあからさまであってはいけない)、和歌を詠めて、美しい筆跡で文を書き、上手に楽器(琴が中心)が弾けなければならぬという常識のもとに、源氏や世話役の女房が姫君に細かく教え躾ける場面が散見されます。恋愛においても女性が教養のあるさまを仄めかす会話や文を送ってくることに源氏は魅力を感じ、より一層のめり込んでいく様子が描かれています。後述しますが「あからさまであってはいけない」ということが大前提で、教養ある振舞いをすることが"いい女"の重大な要素のひとつと言えます。

(二)情に流されない振舞い

娘は、自分の気持ちも熱していないのに、からだだけ運んでゆかれるような、ことのなりゆきを、くやしく恥ずかしく思っているのだった。男の言葉にほだされ、無教養な田舎娘が、都の男というだけでやすやすと身を任せるような、あさはかな事はするまい、とかたく思いこんでいた。(中略)
「わたくし、気位高いつもりはございません。ーー女は、自分で自分を高めないと、所詮は弱いものなんですもの。自分を大切にしているだけでございます。思い上がっているのではございません。」
(上巻 392頁 「明石」)

愛憎の渦に巻きこまれたとき、女の同情や共感は、たやすく皮肉や好奇心に裏返るのである。聡明な紫の上には、そのへんを見抜く力があった。
こちらの心理を推量したつもりの慰め顏がわずらわしい。先のことはわからぬ男と女の仲に、いちいち捉われてくよくよするのはおろかなこと、と紫の上は思い定めるのだった。
(下巻 98頁「若菜」)

源氏が特に愛した女性が「紫の上」であり、その次に特別な想いをかけていたのが「明石の上」です。二人とも教養の備わった美人であり(紫の上は源氏の英才教育によるが)、気高い心の持ち主です。源氏の移ろう心に自分が傷つかないために、冷静に考えようと努めています。欲と理性のはざまに揺れる女性は色っぽく見えるようで、源氏はさらにのめり込んで口説きまくるのですが…。

最後まで情に流されなかったのは玉鬘(たまかずら)という女性で、源氏は玉鬘の親代わりとして世話をしていくうちに玉鬘の美しさに惹かれ、つい抱きしめたり口説きまくったりしてしまうのですが、玉鬘は気づかぬふりをして源氏をかわし続けます。その様子が源氏をよけいに燃えさせてしまう…という先程と同じ展開になりますが、最終的に違う男性と結婚します(奪われたように結婚させられますが源氏と関係をもつ事はありません)。

紫の上も明石の上も玉鬘もとても魅力的な女性として描かれており、彼女たちに共通するのが容姿の美しさと「情に流されない振舞い」なのです。

(三)異性に恥をかかせない気遣い

「男から言えば、あるがままの女がいいですね。才女、賢女というのや、風流ぶった文学趣味の女はいやみなものですよ。知っていることでも、知らぬふりをする、言いたいことでも、一つ二つは言わずにすます、という程度のがいいですね」
(上巻 41頁「夕顔」)

朝顔の姫君は、いつも源氏にはさりげない返事ばかりを返していた。何かの折に、美貌の源氏をかいまみる時は、乙女らしい心さわぎをおぼえぬではなかったけれど、源氏の数ある情人の一人と指折られるようなことは決してするまいと、乙女らしい潔癖さで、わが身をいましめていた。(中略)
といって、きっぱり憎々しげな、痛烈な返事を源氏に書いて、男に恥をかかせる、というような人柄では、姫君はなかった。
(上巻 193頁「葵」)

社会人として、どうしても言わなきゃいけない立場になることは多々ありますが、プライベートで意識しておきたいなぁと思わされたのが上記の引用です。
あからさまであってはいけないということに、女性の品が滲み出てくる(イメージ)と思います。
さらに、気遣いというものは細やかに物事を見ているからこそできることなので、気遣える細やかさを持つことが"いい女"の重大要素だと言えます。

(おまけ)早口はいただけない

この人、顔立ちは見苦しくないばかりか、愛嬌のある美貌といってもよい。すこし蓮っぱではあるが、いきいきした表情、無邪気なしぐさは、見る人によっては、かわいいと思うであろう。しかし、片田舎に育ったので教養もなく、上流階級の行儀作法をわきまえていないのである。
第一、その早口がいだたけない。
女というものは、なんでもない言葉でも、おちついてのどやかに話せば、おくゆかしくきこえるものである。こんな早口では、ぶちこわしである。
(中巻 379頁「撫子」)

源氏の親友・頭の中将が愛人との子を引き取ることになり、その子は近江の君と呼ばれます。上記の引用は上品な振舞いも言葉遣いもままならない近江の君を批判する場面ですが、「早口〜」のあたりは現代にも当てはまります。
読んでハッとさせられました(苦笑)

✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎

ものすごく長くなりましたが、(序)〜(おまけ)に至るまで"いい女"の在り方について考察しました。まとめの通り、源氏物語には現代女性が参考にすべき"いい女"の要素が多分に含まれています。
自分自身、本書とこのnote(長すぎてわたし以外読む人居ないのではないか…)を再読して、おくゆかしい女性になれるよう努めていきたいと思います。女子力向上系ハウツー本を読むよりも、源氏物語を手にとっている方が"いい女"っぽく見えると思いますし(笑)

読了後の今、源氏物語研究に力を入れている大学に進学しておきながら「桐壷の更衣」の序盤の現代語訳で挫折したおバカなわたしを叱咤したい気持ちでいっぱいです(しかも入学時(2008年)には「源氏物語千年!」とお祭り騒ぎだったにも関わらず…)。

受験期をとうに過ぎて「源氏物語」に触れることもなくなった社会人の女性に、ハウツー本は苦手だけど女子力を向上させたいと思う女性に、ぜひお勧めしたい一冊です。
とにかく長いので、たまには他の本も読みつつ、ゆっくりじっくりもののあはれ(言いたいだけ)を感じながら読むのがお勧めです。

#読書感想文
#読書
#感想
#本

この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?