祖父のこと

今日は仕事休みで、でっかいネコ科の肉食獣の動画を布団で延々と見ながら昼まで寝てて、さっきスカーレット見た。

朝からTwitterのトレンドでなんとなく何が起こったか察してたけど、さっきはじめてスカーレット見た。まだ見てない人おったらごめんやけど書いてしまうと、ジョージの頭ぽんぽんから、きみちゃんが思い出話を始めるところでも思いっきり泣いてしまった(今日仕事じゃなくて本当に良かった)。そんで母方の祖父のことを思い出した。

祖父は教員だった。校長先生まで勤めた人だった。祖父母の家には教育のみならず歴史や文化、時代小説等たくさんの蔵書が置いてあった。色白で細身、肌が弱い、せっかちで几帳面、何事も自分できっちり計画を立てて進めていく。お見合い結婚だったそうだが、どっしりしてしっかり日焼けしてて、おおらかでマイペースな祖母とうまくバランスが取れた夫婦だったと思う。手先が器用で、祖父母の家には焼き物、水彩画、油絵、水墨画、書、石膏像、ブロンズ像など、祖父の手によって作られたあらゆる美術品があった。信仰心が篤く、年の瀬にはお寺に除夜の鐘を毎年つきに行っていた。古い和式の祖父母の家には洋風な応接間があり、ピアノがあり、広い硝子窓から中庭が見え、鯉が泳ぐ池や松、砂利の道が見えた。祖父母とも旅行が好きで、国内外問わずあちこちに旅行に行って、たくさん写真を撮っていた。それも祖父が毎回一人で綿密な計画を立てたそうだ。先日、古いカメラが出てきたので再生してみると、小学校の生徒たちや家族(祖母や母たち)の姿を収めたフィルムが再生できた。

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私は初孫で、たくさん可愛がってもらった。外孫だったので、初めて内孫の男の子が生まれて可愛がられてるのを見て子供心に嫉妬したりもした。手作りでブランコを作ってもらって遊んだ。盆正月に楽しそうにお酒を飲みながら、私にいろんなことを聞いていた祖父の姿が忘れられない。

いつだったか夏休みの宿題として私の苦手な絵を描くことになった。風景の写真を撮り、それを見ながら水彩で紙に描くことになり、祖父の指導のもと描いていたが、なかなかうまく描けない。祖父はじれ、私は萎縮した挙句もう無理だと投げ出し、結局祖父か同じく絵が得意な母か誰かが最後まで描きあげて提出した。

それ以来、なんとなく祖父に対して気まずい気持ちを抱えていたまま受験を迎え、無事合格したあと、祖父が倒れたことを聞かされた。

くも膜下出血だったそうだ。寝ている間に起こり、翌朝祖母が異変に気づいて救急搬送となったらしい。一命はとりとめたものの、半身不随となり、言葉もうまく喋れないまま、車椅子に乗って帰ってきた。初めて会ったときに、あまりの変わりように驚愕した。

そこから祖父はどんどん老いていった。元々しっかりしていた人だったから尚更だろう。自宅での介護には限界があり、施設に移った。何度か訪ねたことがあるが、いつも静かにテレビを見ていた。同じ施設には「水!」というように常に大声で職員さんを呼びつける人が何人もいた。それも同じように老いによるもので仕方がないし、介護の現場では仕方がないことだが、おとなしくて手のかからない祖父はどうしても後回しに、あまり目をかけられない存在になっていたそうだ。

どうしてもこぼしたりするようで、食事をきちんと取れておらず、極度の栄養失調で入院となり、何度か入退院を繰り返したあとそのまま病院で亡くなった。桜が満開の頃だった。

祖父は病院で、祖母と二人きりだった。祖母は寝たまま反応のない祖父の手を握り、昔二人で行った旅行の話をぽつりぽつりとしていたそうだ。あそこに行ったね、あそこは良かったね。そういえばあの国にも行ったね。また行きたいね。そんなことを話しているうちに、いつのまにか眠るように息を引き取っていたそうだ。

葬儀の前、祖母は私と母に封筒を見せてくれた。中に十句ほどの俳句を書いた紙が収まっていた。俳句を嗜む祖母が、祖父を介護しているときに作った句だそうだ。同じものをふたつ持っていて、片方を棺桶に入れ、もう片方を持っておく。その話が忘れられない。

今日のスカーレットで思い出したのは祖父が亡くなったくだりだった。

私はどちらかというと祖母に似ていて、祖父には似てないと思っていた。でも年をとるにつれて、祖父から遺伝で貰ったとしか思えないような趣味がどんどん自分の中で見つかっていく。作るのはダメだけど、美術品を見るのは好き。日本酒が好き。野球でも野球関係なくても、どこかに旅行するのが好き。数十年後の自分が自分で宿を取り、スケジュールを立て、電車や新幹線やバス、船やら飛行機まで乗って一人であちこち行ってると、内気で無計画だった学生の頃の自分に話したら絶対に信じてくれないと思う。思い出を映像で残しておきたくてカメラでいろんなものを撮ってる。本の趣味は昔から似てたね。最初は赤川次郎、そこから御宿かわせみにハマり、今は池波正太郎を読みあさっている。お前はうちに来るたびに本ばかり読んでるなと笑われてそうだ。祖父は阪神ファンで、弱いものについ味方したくなるからと話していたそうだ。父は若い頃は熱烈な巨人ファンだったそうなので大丈夫だったのかとそれを知ったときに思わず心配してしまった。孫がカープファンになったと知ったらどんな顔しただろう。一緒に応援してくれたかな。連れて行ってあげたかった。

大切なことは「どう残っていくか」だと思う。私はいだてんを見ていなかったけど(いつもあの時間は野球を見ていたので…(言い訳))、人の心をたくさん動かし、人の心に深く残った、それがあの作品の価値や評価のひとつなんじゃないかなと、Twitterを見ながら思った。私にとってのまんぷくやスカーレットは、気持ちを明るくさせてくれたり考えさせられたり悲しんだり笑わせたり、感情をたくさん動かしてくれた、心に残る大切な作品だ。先週「この世界のさらにいくつもの片隅に」を見て、「どう残るか」を考えた。誰の心にも残さず、自分だけの秘密として抱えたままいなくなるのも、誰かの心に何かを残していなくなるのも、同じように尊く、それぞれにとって無二の価値があるのかなと思った。

頭の中のペニ…風船持った関西弁のピエロと一緒に「ジョージィ…」って怒ったり笑ったりした三ヶ月間。ジョージ、いや常治、本当にありがとう。そして私に祖父のことを思い出させてくれて本当にありがとう。序盤に借金取りが言った「本当に悪い人はいない」ということを噛みしめながら常治のことを考えた。ありがとう常治。幽霊になってまた出てきてくれよな。頭の中のペ…風船持ったピエロと「ジョージィ!!」って笑いながら見るから。