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地味に豊かに暮らす方法

ここしばらく車を運転しながらよく考える。
「いつから社交的な人になったんだろう。
 いつから活発な人になったんだろう。
 いつからわたしは、働きたいひとになったんだろう』と。

わたしは小学生の頃、
外遊びばかりする幼馴染と遊ぶのがいやだった。
家でお絵描きをしたり、
本を読んだりするほうがよっぽど心地好かった。

でもなんだか、
ある程度育つと、
友達と遊んだほうがいいのかもと思うようになり、
友達と遊びにも出かけるし、
きゃぴきゃぴとんでみたりするし(笑)
自他ともに認める「社交的なひと」になった。

でもねぇ、
いまでもわたしはひとりの時間が大好きだ。

わたしはいま、
フィットネスクラブで働いている。
ヨガも長くしてきたし、
ピラティスも、筋トレも、
ランニングも、長く取り組んだ。

でも、
最近ふと思う。


わたし、
疲れるの好きじゃない。笑

それに、
暑いのも、重いものもつのも苦手だ。

できるなら、
筋肉とかなくていいから、
ごろごろよく眠り、
お風呂でゆったりと発汗してむくみをとり、
ピラティスだけ優雅にして
姿勢を保つくらいできたら、
それでいい。


いつから、
社交的で活発「風」になったんだろう。

仮面のうえに仮面をかぶって、
それにようやく気付いてきた40歳。


小学校のときのわたしの夢は、
書道の先生か、保健室の先生だ。
どちらも、
冬はあたたかく、夏は涼しく、
かつ、座って穏やかにできる、ように見えていた。

そう。
わたしは、
活動的なのは、たぶん向いてない。笑


なのになぜ、
「わたしは、営業向きなんです!」て人に
なってるんだろう。
実際、
口がたつし相手の気持ちは手に取るようにわかるから
営業成績は抜群によかった。
表彰もされた。
でも、
すごく疲れていた。
たぶんものすごく神経をつかうから。

それに、
活動的ではないのに負けず嫌いなので(笑)、
他のひとに営業の順位を抜かされるのが、
ものすごくいやだった。
だから、がんばってしまう。
常に、後ろから追われるプレッシャーに、
なんだか頭痛がとまらなかった記憶がある。
表面では、ゆとりある笑顔をはりつけていたのに。


だから、
たぶんわたしは、
勝ち負けの土俵にあげられるのも、
好きではない。
つまり、営業とか、長くはできないんだ。


静かに、勝ち負けなく、生きていたい。
それも、快適な空間で。笑


それにしても、
人生どこでどうなるのか、
上書きされてばかりなのだ、きっと。


わたしは、
こどもを産んでからやたら、
働きたい働きたいと言っていた。
夫に、
「カーリーも働いてほしい」と
地味に洗脳され続けたからかもしれないが。


わたしはきっともっとできる。
もっとすごい人間になれる。
と、思ったりもしていた。

でも、
最近ふと思う。


わたしは本当に、働きたいのか?
本当に、すごいひとになりたいのか?

わたしはずっと、
『疲れる。休みたい。寝たい』
とぼやいてばかりではないか。
「成功したい」とぼやいたことなぞない。
わたしはもっと、
ストレスを減らしたいのだ。
もっと、
のんびりしたいのだ。
もっと、穏やかにいたいのだ。

それがきっと、
わたしの求めているもので。

穏やかな土地で生まれ育ったのに、
イケイケどんどんな関西に出てきて20年。。
土地の影響というのは大きいのだ。
だって博多に転勤だったときは、
おだやかに生きていたんだもん。
関西は、、、イケイケどんどんすぎて
去勢をはってないと負けちゃう感じがある。
わかるひと、いないかなぁ?

『己をしる』
とはこのことなんだろうなぁ。


重いものをもつのが嫌いなのに、
体力勝負の仕事につくとか、
静かで穏やかな環境が好きなのに
勝ち負けだらけの土俵にあがるとか、
それって絶対、幸せじゃない。

きっとこれまで、
わたしが退職もしくは転職したのは、
『ちがった』をわかったからだ。

だから、
そこへまた戻ってはいけないんだよね。


なんだか関西って、
すごく華やかで、目立ちたがり屋なひと(ごめんなさい。笑)が多くて、
なんだか気づけば自分自身も派手な感じになっていた。
でも、
なんだか、ごてごてしちゃってんなぁ、と我ながら思う。
わたしは、目立つことが、嫌いなのだ。


もっとシンプルに、
しあわせを求めて生きたらいいんじゃないだろうか。

成功にむかって、、て、
それって幸せなんか?

日々のなかで
「つかれるな」「いやだな」「むなしいな」
みたいなのを極力減らして、
「優雅だ」「幸せだ」「快適だ」「穏やかだ」
みたいなのでいっぱいにして、
すごす人生が最高な気がしている。


最近までわたしは、
何者かになりたかったし、
見えてもないどこか成功へたどり着きたかった。

でも、
春休みに帰省したりして、
世代がうえのひとたちを見て思ったりした。

なにかに向かって眉間に皺よせて
疲れて、苦しんで進める時間もあれば、
日々の中に美味しいおやつを紛れ込ませては、
『やーおいしいわぁ♡』と
にこにこしあったり、
新鮮な魚や肉を並べて、
うまいお酒を味わう時間をもっては、
日々ゆるやかに穏やかに進める時間も、
まったく同じなんだと。


同じ時間をどう過ごすのか。

やっぱり、刻々と人生は進み、
いつかわたしも死ぬけどさ、
それは誰にとってもそんな影響ないことで。
納得いかせるのは、
自分自身と、まわりの家族、もっというなら
子供たちだけ。
わたしと、こどもたち。
どちらも
「幸せだったよねぇ♡」と思える、
時を刻みたいなと思う。


わたしは、
どう生きたら幸せか。

勝ち負けの土俵ではない場所で、
冷暖房で快適な環境で、
こころ穏やかにいられたらいい。

重いものはあまり持たず、
出来るなら坂道は登らず(笑)、
ごてごてせずにシンプルで。


世間の素敵な像に惑わされることなく、
自分自身が、心地好く在れる日々を生きる。

そんなひとがなぁ、、
周りにあんまりいなくて。笑
やはり、
環境はひとをつくるんだわ。


わたしは、住む場所を、間違えたんかもしれん。
それについては、
今後もあきらめずに対策を打とうと思う。

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