発信者の解像度と受け手の解像度

先日公開されたマクロスシリーズの最新映画を見てきた。マクロスデルタの続編とマクロスフロンティアのショートストーリーだ。

僕はマクロスシリーズという作品も好きなのだが作っている河森正治監督の発想がとても好きだ。アニメのイベント等で登壇してインタビューされているところへ見に行ったこともある。マクロスシリーズにおいても各シリーズで新しいことに挑んでいるというところも各所で答えているのだが、マクロスを作りながらマクロス以外のことを通じて得たものがマクロスに還ってきてるという話が好きである。

例えば、本当に音速で飛行するような戦闘機に搭乗した経験が作中でバルキリーのパイロットの描写に繋がっていたりするという話はめちゃくちゃ好きである。戦闘機のリアリティを体感したことの無い一般人にリアリティを感じさせるのは映像を作ってる当人の解像度の高さによるものなのかと思った。

また、マクロスフロンティアのTV版を放映した後各所で歌姫のシェリル(May'n)とランカ(中島愛)のライブイベントを行った結果、ライブイベントを見に行った監督がもっとライブシーンでできることがある!とイメージを膨らませた結果、劇場版のライブシーンに繋がったという話も聞いたことがある。

マクロスシリーズのイメージにより歌モノやるなら河森正治だろ!って指名され監督として「AKB0048」というAKB48を題材にしたアニメを作ったあとその経験からマクロスシリーズではまだグループものやってないからマクロスデルタの歌姫をアイドルグループとした(とかしなかったとか)。

アニメなんかだと、リアリティというのは作り手側が受け手にイメージを共有させる為にある程度必要なものであると思う。イメージを共有できるから文脈も読めたりして楽しめる部分はあると思う。

発信側から提供されるものの解像度が低い場合でも複数人の力で補いあえることもある。ニコニコ動画なんかでいわゆるクソアニメが人気になるのは、ネタにする人とネタを面白がる人がある程度のリアルタイム性を持って共有できるからだと思うし、1人では理解が辿りつかない部分を補えることにあると思う。ライブ見に行ったアイドルオタク同士でライブ後に飲みに行って「今日のアレが良かった」と共有したり、「今日のそこに繋がる過去」を共有できるからだったりすると思う。だから歴史を語れる人やバックグラウンドが広い人は話していて面白い。

マクロスデルタのテレビは5年ほど前に放映されていた。当時はアニメのイベントにはよく行っていたがアイドルのライブについては解像度が高くなかった僕が見ており、ライブは光り物を持って振っているイメージだったが、今回の劇場版が公開される5年の間にライブ見ながら一緒に振りコピすることを覚えた。アイドルのライブに対して解像度が上がったのである。

映画でライブシーンを見ていた時、客席で気付いたら上半身振りコピしていた…。いつものライブ感覚で。
周りの席が空いてて良かった。解像度が上がりすぎるのも考えものかもしれないとも思った。

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