機動戦士Vガンダムの最後のウッソとクロノクルの会話について大人になってやっと理解できた(気がする)

2019/3/4:最後の段落を追記

私がガンダムを見始めたのは何歳か覚えていません。親が言うにはアンパンマンの次にはガンダムのおもちゃを持って遊んでいたそうですが。

私は1980年半ば生まれのため、第1次ブームが完全に沈静化した後の子供でした。そんな私にとって初めてリアルタイムでみたのが1993年に放映された「機動戦士Vガンダム」。今も覚えていますが、当時小学生だった私のクラスメートは誰一人見ておらず、ただひとり毎週見ているぐらい、同世代には人気がありませんでした(笑)。

機動戦士Vガンダムといえばよく悪女と言われるカテジナさんや、ギロチンだの処刑人だの、「母さんです」という超トラウマシーンだの色々語れるところがあるのですが、(個人的に特に一番好きな話は、と聞かれると39話~40話のマチス隊との闘いだったりします)今回は、Vガンダムの主人公、ウッソとそのライバル格として物語の最初から登場したクロノクル、二人の最後の会話の意味が大人になってやっと理解できた、というのを私なりの解釈で書いていきたいと思います。(注:もちろん個人の解釈なのでそうじゃないというのがあればぜひTwitterなどで教えて頂けると嬉しいです)

なぜこんな話をしたいかというと、台詞自体は子供の頃から覚えていました。ただ内容をよくよく考えてはいなくてラストバトルのやりとりなんだなー程度の理解でいたところ、大人になって見直して「ああ、こういうことだったのかな」と思えたからにほかなりません。

では、まず最後の会話を抜粋して書いていきます。最後の会話は最終話の前、第50話「憎しみが呼ぶ対決」のラストから始まります。

ウッソ「お前がカテジナさんを変えてしまった!」
クロノクル「彼女の望んだことだ、子供の出る幕じゃない」

そう言いながら戦う二人、それを上から見下ろすようにカテジナさんが

カテジナ「二人とも、私を争って戦いなさい。勝った方が全身全霊をかけて愛してあげるよ」

と言って、第50話は終わります。

そして最終回の「天使たちの昇天」カットがウッソ対クロノクル以外にも飛ぶのでここでは二人と、その周辺の台詞だけ抜き出します。

ウッソ「クロノクル、あなたの弱さがカテジナさんを迷わせたのが、まだわからないんですか!?」
クロノクル「お前のような少年に何が分かる。女王の弟にされてしまって、カガチなどとも戦わなくてはならなくなってしまった、この私の苦しみが」
ウッソ「しまった!」(V2ガンダムが地面に足を引っかける)
オデロ「ウッソ、憎しみだけで戦ってるんなら一緒に死ぬぞ」
(オデロの乗るガンブラスターが援護して攻撃を防いでやる)
クロノクル「やるな」
ウッソ「助かりました、オデロさん」
オデロ「この辺りにはあいつらしかいない。トマーシュ今の敵はどこだ」
トマーシュ「リングのブロックに隠れた」
ウッソ「あの二人の憎しみに対して、どう戦えばいいっていうの?」
ウッソ「どうしたらいいんだ、教えてくれ。父さん」

そう自分に問いながらもシャクティの元へ行こうとするウッソ。

クロノクル「すべてが分かった、ウッソ・エヴィン。キールームのシャクティと共に我らを排除しようという魂胆」
クロノクル「だから私にも見える」

そういって攻撃するもかわされ、むしろ自身の乗るリグ・コンティオを大破させられるクロノクル

クロノクル「やったな、白い奴」
ウッソ「すさんだ心に武器は危険なんです、クロノクルさん」
(ビームサーベルでトドメをさし、遂に操作不能に陥るリグ・コンティオは地球の重力によって落下していく)
カテジナ「クロノクル!」
クロノクル「ば、バカな、私はこんなところで止まるわけには行かないのだ」
(リグ・コンティオの壊れたコクピットハッチから宙に投げ出され、生身のまま落下するクロノクル)
クロノクル「ねえさん、マリアねえさん助けてよ。マリアねえさん」
(クロノクルの前に姉のマリアの幻を見ながら頭から落下し、おそらく絶命)

以上、ウッソとクロノクルの会話です。

以下、順を追って大人になってやっと理解できたところを述べていきたいと思います。
そもそも大前提としてこの二人の会話、終始まったくかみ合っていない状態だというのが、大人になって気が付いた最大のポイントでした。
最初の

ウッソ「お前がカテジナさんを変えてしまった!」
クロノクル「彼女の望んだことだ、子供の出る幕じゃない」

という、ウッソの言う「カテジナさんの変わったところ」とクロノクルの言う「カテジナさんの変わったところ」の認識はまったく異なっているんですね。
おそらくウッソはカテジナさんは本来はこういう戦場で戦うような人間ではないし、そんな資質もない(とウッソは思ってる)人をその気にさせて世界の変革の重大な任務を持てるように錯覚させてしまった、ということを言いたいんだと思います。

それに対してクロノクルの言う「変わったところ」これはもう「マリア主義へ賛同したこと」という極めて表面的なことを指して言っています。(あと強いてあげればクロノクルに好意を持ったことでしょうか?)

そして重要なのはこの二人の認識が異なっていることにウッソは気が付いていることなんです。気が付いているからこそ次に

ウッソ「クロノクル、あなたの弱さがカテジナさんを迷わせたのが、まだわからないんですか!?」

と言うことができるんです。ここで言葉遣いが先ほどは「お前が変えてしまった」と言った相手に対して今度は「分からないんですか!?」と敬語で述べてるんですね、つまり下手に出てあげてる状態です。ウッソの方が「あのね、わかって?」って思いが現れているんだと思います。年下にやられるとイラっとする行為ですが(笑)ウッソの方がちゃんと本質を理解している、という制作側の意味なんじゃないかな、と思っています。

ここでいう「あなたの弱さがカテジナさんを迷わせた」というのはもう色々含みがありすぎてどれというのが私も分かりませんが、ざっくりまとめてしまうとやはり上で書いたように「クロノクルさえしっかりしていればカテジナの出る幕はなかった、そしたらカテジナに『もしかして歴史の表舞台に立って世界を変革する何かを起こせるのでは?』と考えさせることもなかった、ただのクロノクルのプライベートなパートナーで終われていたのに」って意味だったんだと思います。

これに対するクロノクルの回答、これはまさにクロノクルの弱さというか、それでもまだ理解できていないことを証明する何よりの決定打となります。

クロノクル「お前のような少年に何が分かる。女王の弟にされてしまって、カガチなどとも戦わなくてはならなくなってしまった、この私の苦しみが」

どうでしょう?カテジナさんの話じゃなくなってます(笑)。つまりクロノクルはこの時点でウッソの言ってることが分からなくなってるんです。理解できない時に人間がやることは「とりあえず身を守ること」この場合、自己弁護なんですね。クロノクルは見本のような自己弁護を始めてしまいます。

ちなみにオデロとトマーシュのくだりを上記で書いたのは、オデロはクロノクルよりも理解していたように思えたから。というよりオデロって全編通して見ると、Vガンダムに出てくるキャラの中で他人の気持ちとかそういうのを理解する力がすごいあるキャラなんですよね。

オデロ「ウッソ、憎しみだけで戦ってるんなら一緒に死ぬぞ」

や引用しませんでしたが最後にカテジナに言う言葉

オデロ「ウーイッグの嬢ちゃんはお嬢様をしてればいいんだ」

ちょっと正確な引用じゃないかもしれませんが、どちらも本質を捉えているように思いますし、序盤でも親を亡くしたスージィの前で生きてる親の話を聞こうと周りが見えなくなってるウッソを殴って諫めたりしてますしね。

オデロはここで自己弁護に陥って身を守る=とりあえず危機を脱するために相手を殺す、というクロノクルの憎しみというか、もう訳わからんけど敵だから殺すに乗っかっちゃダメだぞって言いたかったんだと、これはちょっと飛躍しているかもしれませんが、そう思ってます。

ただクロノクルの憎しみというのは合ってると思っていてこの後のウッソの行動を見てクロノクルは

クロノクル「すべてが分かった、ウッソ・エヴィン。キールームのシャクティと共に我らを排除しようという魂胆」

とクロノクルが「お前がやっとわかったぜ!」発言しています。もちろん不正解です。本当にこのウッソとクロノクルの最後の会話はまったく通じ合ってません。アムロとシャアは敵となった最後でもそれなりに会話できていたのに、です。
そうして最後には乗機を大破させられ行動不能に陥るクロノクルに対して

ウッソ「すさんだ心に武器は危険なんです、クロノクルさん」

もう引導を渡す最後には「さん付け」になっているので『ウッソは理解してもらえないと思って距離を置ききってしまった』ように思えます。(まあトドメを刺すわけですしね)

クロノクル「ば、バカな、私はこんなところで止まるわけには行かないのだ」
クロノクル「ねえさん、マリアねえさん助けてよ。マリアねえさん」

というウッソから指摘された「すさんだ&心の弱さ」をまざまざと見せつけて退場していくクロノクル。

こうしてみると本当にウッソとクロノクルはなんというか、「お話にならない」を地でいくような会話だったんだな、と大人になって気が付いたというお話でした。

以下、追記。なぜこのようなことを今話すか?
私にとってなぜ大人になってこの二人の会話の意味が理解出来て、こんなことを書かせる程の印象を与えたかというと、

なぜ最も盛り上がる物語の最後の最後に、主人公と最初から登場し続けたライバル格のキャラクターが交わす会話が、『認識のズレによる「会話になっていない会話」になった』のか?

ということに尽きると思います。普通だったらもっとちゃんとした、かっこいい話をさせたがるじゃないですか。別のガンダム作品である「逆襲のシャア」のラストよろしく人類とは?革命とは?のような。

ここまで話して来たとおり、ウッソとクロノクルは同じ言葉を発しているのに語り合えていません。もっと言うとクロノクルがまったくウッソの発言の意図を理解できていません。
(余談ですが物語を作る側にまわるとこの「一見会話しているように見えて、お互いのキャラがまったく意図や意味を理解出来てない認識のズレがある」状態を描くのって結構、難しいんですね。一人の頭の中で作られたキャラはどうしても共有の認識を各キャラに持たせがちになるので)

実はこのクロノクルの最後の会話こそがVガンダムという作品が投げかけているテーマのひとつ「人はわかり合うことはない」なんじゃないかな、と思います。

初代の機動戦士ガンダムで有名なララァとアムロの会話で、二人は「いつかわかり合える」という会話をしていましたが、実際のところは同じ言語、同じ知能を持ちながらも相手の発言の意図を汲むことが出来なかったり、むしろ意図を汲んでやらない、ということ、結構実生活ではありますよね。

機動戦士Vガンダムは振り返ってみると自分勝手な、他人を自分の言いように利用する人がたくさん出てくる話です。マリア女王を仕立て上げて権力を握るカガチをはじめ、ザンスカール帝国は私利私欲に溺れた人がたくさん出て来ます。

対するリガ・ミリティアだってウッソがVガンダムに乗れるから子どもだけど戦力にするをはじめ、自分勝手な大人がたくさんいます。

そういった自分勝手で分かり合う気ももたない人達の世界の末路、それを一気に背負って最後に視聴者に見せつける役目を負わされたのがクロノクルというキャラクターであったのではないかな、と今は思っています。

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