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『藪入り』

<藪入り>とは、江戸時代の頃からの伝統行事で、正月や盆の16日前後に、奉公人から休暇を貰い、親元に帰る事である。鳥が藪入りをして巣作りをする事からの言葉だろうか。
 最近は、<藪入り>と言う言葉もあまり聞かなくなってしまった。私の妻は、5人兄弟の末っ子で、一番上のお姉さんとは、13歳も違ったそうだ。妻が小学3年生頃に、結婚して親元を離れた事になる。嫁ぎ先は、田舎で小料理屋をしていて、小売店も営んでいた。当初は、舅や姑もいて、小姑も何人もいた。大所帯の家に嫁いだお姉さんは、大変な苦労をしたことだろう。
 妻から聞いた話であるが、そのお姉さんは、盆や正月には、いつも、<藪入り>をしていたそうだ。しかも、1週間や10日が経っても、お姉さんは、嫁ぎ先に返らず、必ず体調が悪いとか頭が痛いとかを理由に、お母さんに電話をして貰って、休みを引き延ばしていたと言う。
 夫婦仲は、悪くなかったようだが、大所帯の中の新嫁は、仕事も手伝い、気苦労も大変なものだったろうから、<藪入り>をすると直ぐには、帰りたくなかったのは、容易に想像がつく。お姉さんは、体が丈夫な人ではなかったので、帰るとずっと、寝たり起きたりの生活をしていたそうだ。
 最近は、核家族化が進み、大所帯の家に嫁ぐ人は、少なくなった。お陰で、長期の<藪入り>をする必要もなくなったのだろうか。
 私達夫婦の長女が結婚して、もう20年近くになり、比較的近所に住んでいる。子供を二人産んだ時には、しばらく、こちらに滞在していたが、その他は、大きな病気でもしなければ、<藪入り>のたぐいは、なかったと思う。
 ところが、この夏に、こんな事があった。二人の孫が、大学生となり、親元を離れてしまった。お陰で、夫婦二人だけの生活に、戻ってしまったのだ。二人が居なくなると寂しくなるし、何をやれば良いのか、手持ち無沙汰な様子だった。
 ところが、7月初旬から、新型コロナウイルスの変異株の<オミクロン株>の流行が蔓延し始めた。愛媛県でも、松山市は、勿論だが、新居浜市でも、数百人の感染者が出始めた。保育園、学校、介護施設等に次々と流行し始め、家族内感染も増えた。自分の知り合いや職場にも、感染者や濃厚接触者になったと言う声が聞こえて来るようになった。
 8月末になった頃、松山から夏休みで帰省した次男の大学生が、今治の自動車教習所で、運転免許取得のため、2週間の合宿をし始めた。4~5人が、同じ部屋で寝泊まりすると言う。数日後に、発熱があり、抗原検査をすると陽性と出たと連絡があった。夫婦で相談の結果、合宿は、中断して、実家に帰宅させるようになった。しかし、調度九州の福岡から、長男の大学生が帰省する事になっていた。私の娘は、アナフィラキシーショックの既往があり、コロナワクチンは、一度も受けてないのだ。
 家族で相談した結果、娘婿と次男は、家に残り、娘と長男が、私の家に避難する事となった。次男は、二階に隔離、娘婿は、一階で生活。一番気の毒なのは、娘婿で、いつ感染しないか、ひやひや物だったようだ。
 私の自宅に避難した、娘と長男は、客間に布団を敷いて、毎日ゴロゴロしていた。娘は、仕事は、自宅から通い、上げ膳据え膳の生活。長男の大学生は、大学生活から、解放されて、これも、上げ膳据え膳のゴロゴロの日々。私の妻は、娘と一緒に、晩御飯を作り、コロナ待機組に、食事を運ぶ。次男のコロナ感染から、10日目に、やっと普段の生活に戻った。お陰で、娘婿も、コロナ感染を受ける事もなくて、やれやれだった。
 飛んだ10日間だったが、これも、考えてみると<藪入り>のようなものだ。娘が大きな息子を引き連れての<藪入り>だった。今や家が近くては、娘が<藪入り>してくれたりは、しない。おまけに、大学生の息子まで。コロナのお陰で、私達夫婦は、娘達の<藪入り>を受け入れる事ができたのだ。おかげで、ゆっくりと、一緒に食事しながら、普段できないような、話もできた。娘も泊まってみると、実家の夜は、8時を過ぎると窓を開けると涼しい風が入り、クーラーが要らないのに驚いていた。孫とも、大学生活の細かい話も聞けた。妻も娘と久しぶりに、親子の話も出来たと喜んでいた。
 二人が、<藪入り>を終えて、実家に帰る時には、何度もお礼を言っていた。私達も、「来年の夏も、<藪入り>してもいいよ。」と言いながら、二人を送り出したのだった。それにしても、妻が元気で料理も出来るから、<藪入り>も受け入れられるのだと、妻に感謝の日々だった。
 ただ、迷惑そうだったのは、内のマリちゃん(メス猫)だ。普段は、一階や二階の部屋を気儘に回って過ごせたのに、二人が座敷を占領していると勝手が違ったようだ。そんなに、知らないお客さんでもないのに、どうもいつもより元気がない。夜は、大抵一階の部屋で過ごすのに、二階の夫婦部屋に来て、縮こまっていた。<藪入り>のお客さんが居なくなった翌日は、居間の座布団で一日中眠っていた。余程お疲れモードの様子だった。
 

 

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