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邪馬台国の謎(27)

 以下の記事は数ヶ月前に突如として出て来た説です。
この説に従うと、邪馬台国大和説になるようですね。

#文春オンライン

「邪馬」を「ヤマ」と読むのはよい。
問題は「台」だ(正確には旧字体の「臺」だが、以下「台」と同じとして話を進める)。
 古代中国の南北朝時代・隋・唐(5〜10世紀頃)では、確かに「台」は「ダイ」に近い発音だった。
しかし、3世紀に書かれた『魏志』倭人伝やその原資料が、ある日本語の地名を「邪馬台」と音写した時に最も近い頃、中国の「台」の発音は、「ダ」と「ドゥ」の中間のような音だった。
 さらにいえば、「台」と発音が全く同じ「苔」の字が、上代(飛鳥・奈良時代)に「ト」と読まれた証拠が、8世紀に成立した『日本書紀』以下のわが国の正史に多数ある。
上代日本語の「ト」には甲類・乙類の2種類があるが、これは「ト(乙類)」である。
上代日本語で「ヤマト、(乙類)」となるその音を、中国人は「ヤマダ、(ヤマドゥ、、)」のような音として聞き取り、「邪馬台、」と書いたのである。
後に、日本の正史は、日本全体や奈良地方を表す「ヤマト(大和)」を「野馬台、」「夜摩苔、」とも書いた。これらも、「邪馬台」の「台」が「ト」だった証拠だ。

上記記事より引用

という風に問題提起しているのです。
いわゆる上代特殊仮名遣いのお話ですね。

で、記事にはありませんが筆者の論を記述した雑誌では、九州にある「山門(ヤマト)」は、上代特殊仮名遣いの甲類になるから、邪馬台国大和説で決まりだという論法で反論封じをしています。

この説を読んで真っ先に違和感を覚えたのが・・・
当時の日本人が甲類・乙類の発音の違いを明確に区別していたとしても、
中国人には日本人の発音の違いに気づけないのではないだろうか?
もし、気づいたとしても、わざわざ漢字の使い方を気にしないのではないか? というものです。

実際、引用文の中で「ヤマダ」もしくは「ヤマドゥ」と聞こえたので、邪馬台という記述をしたという説明になっています。
これって自説を破壊しているんですよね。
中国人には「ト」の音が「ダ」や「ドゥ」に聞こえたということなんですから正確には聞き取れていないというお話になります。
日本人が英語の【L】【R】の音を正確に聞き取るのに苦労するのと同じではないでしょうか?

そうなってくると、九州にある「山門(ヤマト)」が甲類の「ト」での発音だったとしても、中国人には聞き分けられない、あるいは、書き分ける必要性を感じない、となってもおかしくありません。

甲乙の「ト」の使い分けは古代日本人には出来ている。
重要なのは、当時の中国人が日本人の「ト」の発音に関して甲乙で分類して記録に留めようという意識を持っていたのかどうか? です。
正直なところ、辺境の地にある日本人の言葉について、彼ら中国人がそこまで詳細に研究分類をした上で歴史書を編纂していたとは思えないのです。

次に、日本の正史で「野馬台、」「夜摩苔、」と大和地方を表記した件ですが・・・
そもそも大和地方の地名は九州地方にあった地名とかぶっているのです。
この件については、安本美典氏の邪馬台国東遷説に詳しいです。

ですから、大和地方を「野馬台、」「夜摩苔、」と表記したところで証拠とするのには弱いのです。

それに、日本の正統を受け継ぐべき大和政権。
これよりも先に中国から倭国の王の称号を得ていたという女王・卑弥呼の存在。
もし仮に筆者のいうように邪馬台国=大和政権説であるならば、編集者は卑弥呼を正確に特定してみせたはずです。
でもそれが出来なかった。
大和政権には、女王・卑弥呼に比定可能な女性が存在しなかったからです。
苦肉の策として、神功皇后を卑弥呼に見立てていますが活躍した時代が異なるため、厳しいでしょう。
それに神功皇后が狗奴国の王と対立した(正当性の点で忍熊王と対立したことが挙げられますが、魏の応援を仰ぐほど追い込まれてはいません)とするべきものがなく、さらに応神天皇で国が乱れたという事実もないですし、そのあとに台与が共立される必要性もないわけです。

邪馬台国大和説を成立させるには、

  1.  卑弥呼が神武天皇以前に活躍した女王であり、その系譜を神武が受け継いでいることを立証すること

  2.  神武~欠史八代ぐらいの間に大和政権と邪馬台国(もしくはその後継国家)が相争い、邪馬台国が打ち滅ぼされたと立証すること

  3.  皇室の姫君で巫女として力を振るい、政治に影響を与えたのが卑弥呼や台与であるとする考え方

こういったことがないと成立が難しいのです。
※)他にも何らかの成立方法はあるかもしれません。

1ならば、正史で卑弥呼を特定しているはずです。
2の場合、それだけの武勲を後世に伝えないというのは摩訶不思議です。
大国主命の国譲り神話のような神話でも残っていれば別ですが・・・
3については、微妙かなと思います。
わざわざ女王と呼ぶに値しないからです。
斎王という表記で十分ですし、外交上、最高権力者のごとき扱いを受けるのは不自然ですから。

以上のことから、上述の文春での筆者が唱える「邪馬台国特定の切り札には程遠い」というのが私の結論になります。
※)もちろん、偶然にも乙類の「ト」で聴き取りが出来、偶然にも乙類の「ト」に該当する「台」の字をあてがった可能性は否定できませんが・・・

さて。邪馬台国の研究を詳しく行なっているサイトでも上代仮名遣いを用いての邪馬台国九州説を否定する論に対する反論記事がありました。
それが下記です。

『魏志倭人伝』の「卑奴母離」を、日本上代語の「夷守(ひなもり)」にあてて議論をすすめられる。そこには、なんのことわりもない。
しかし、「卑奴母離」の「母」は、「乙類のモ」であり、「夷守」の「モ」は、「甲類のモ」の「毛」である。音が違う。

女王の都とするところを、「山門」にあてる説は、「乙類の卜」と「甲類の卜」とて、音が違うから「全く成り立たない」というのであれば、「卑奴母離」と「夷守」にあてはめる説も、音が違うから、「全く成り立たない」。

逆に、「乙類のモ」と「甲類のモ」とで音が違っても、「卑奴母離」に「夷守」をあててよいのであれば、「乙類の卜」と「甲類の卜」と音が違っても、女王の都とする国名に「山門」をあててもよいことになってしまう。

反論記事より引用

上代特殊仮名遣いでの邪馬台国の比定は出来ない

ということが最終的な結論です。

なお、引用文の「夷守(ひなもり)」の件は、都から遠い地を守護する役職として九州地方に置かれたのは、大和から遠いからだとする大和説の補強に使われていたからです。
そこに矛盾があるのでは? というのが、反論の骨子ですね。

いずれにせよ、こういう学術的な問題に対し、変に煽るような記事は慎んでほしいものですね。

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