AKIRA鑑賞①-金田は死を恐れない
東京オリンピックが迫る2019年、AKIRAを読み返してみて改めて感じた物語や描写について記していこうと思います。
AKIRAについての説明は省きます。まずは1988年に公開されたアニメ映画版「AKIRA」を観られると、その世界観を感じられると思いますのでおすすめします。
私たちは2019年の少年になった
夜の暴走シーン、旧市街地の巨大なクレーター、大破する鉄雄のバイク、謎の少年(老人?)、アーミー、と冒頭から高揚感のあるシーンが続いたあと、シーンは学校に移る。
昨晩危険な暴走行為を行なっていたのは、中学か高校に通うような少年達だった。
典型的な大人達(校長先生、教頭先生、体育の先生)が登場するシーンのすぐ後に登場するのが彼である。
何とこの少年は、教室のドアの向こうから、こちらに向かって「ハァイ」と声をかけてくるのだ。
この瞬間、私たちは2019年の少年になった。もう物語の中に入り込んでいたことに気づくのである。素晴らしい演出だ。
説明の広角レンズ、神妙な標準レンズ
シーンは、金田たちの溜まり場:春木屋に移る。
地下へと続く階段の下にある、春木屋の扉を開けて、金田が店内に入るまでが1ページに描かれている。
このページでは広角レンズで、春木屋の入り口の物々しい雰囲気や、店内の賑やかな様子が描かれている。
金田が店に入ってくるカットでは、アオリを使い、右側の金田と左側の仲間との遠近感が強調され、画面全体を見渡せるような説明的なワイドショットだ。
次のページでは一転、レンズは標準〜中望遠になり、金田と仲間たちの会話に焦点が当たる。
話題は、昨晩の事件のあとの鉄雄の行方。仲間内の神妙な面持ちの会話の雰囲気が表現されている。
急にお客さん視点に
春木屋でケイと再会した金田たち。街へ飛び出したところで昨晩の事故の原因になった少年(老人?)タカシに遭遇する。
タカシを見つけたケイは、なぜかカメラに向かって「見つけたわっ」と叫ぶ。(視線の先に仲間の竜がいるとも考えられるが、相当距離があるか、視界に入っていないように思う)
このカットは、舞台演劇やコメディで、観客に向かって語りかける演出のように見える。
物語と同時性がありながらも、どこかで舞台と観覧席の境界を感じさせる。急に映画館に座っているような気分に引き戻されるカットだ。
唯一ぐにゃぐにゃのカット
大友克洋の作画と言えば、緻密に描き込まれた背景の中に、定規で引いた線と、フリーハンドで引いた線が混在していることが特徴的だが、タカシの超能力(?)で広告塔が落下するシーンは、ほとんどフリーハンドで描かれ、ぐにゃぐにゃで、地面に刺さった鉄骨が大きく曲がっている。
このカットでは、金田と仲間たちが、落下してきた巨大な広告塔が地面にぶつかった衝撃で吹き飛ばされているのだが、こうゆうカットを引きの絵で撮るのは実写ではできないだろうから、とてもマンガ的なカットだと言える。
しかしながら、引きの絵では臨場感が出にくいし、書き込めば書き込むほどクールになってしまう恐れもあり、このぐにゃぐにゃのタッチが現場の混乱した様子や緊迫感を上手く演出しているように思う。
マンガ的ライティング
ライティングとはLighting、照明のことである。
マンガの描写が実施やアニメーションと決定的に違うのは、自由なライティングができることだと思う。
武装したアーミーに暗い路地裏に追い詰められた金田。
追いかけてきたアーミーは、左手にライトを持っていて、金田を照らして追い詰めるが、その後ろからケイがアーミーに銃を向ける。
咄嗟にに振り向いたアーミーが照明をケイの方に向けると、ケイはアーミーに向かって発砲する。
このカットでは、ケイの背後に街の灯りがあり、アーミーが左手に持った照明は地面を向いている。
ところが、ケイにもアーミーにも、正面からストロボを炊いたようなフラットな光が当たっていて、暗闇の中で浮き上がっている。
これは前後のカットの照明の位置関係からすれば不自然で、映像で見たとしたら非常に違和感があるだろう。
ところがマンガだと違和感なくこうゆうライティングの切り替えができる。
目の前でアーミーが撃たれた金田の目には、これぐらい印象的に映っていたのだろうと想像される。
ハードボイルド映画のお約束のようなカット
一方、竜はタカシを連れてアーミーから逃げ惑っていた。
手持ちのハンドガンの弾を使い切った竜は、ズボンをめくり、スネにテープで巻きつけていた交換用のマガジンに取り替える。
この時、竜のスネ毛が持っていかれて、竜は「つっ」と叫ぶ。お約束的なシーンである。
長いマガジンを装填し、ハンドガンのスイッチをフルオートに切り替えて、弾をばら撒く。
ゲリラ活動にフルオートのマシンピストルを携行する、というのもお約束感がある。
広角レンズによる印象的なカメラワーク
追い詰められていく竜とタカシ。
走り疲れたタカシが壁にもたれかかり、大粒の汗を垂らしているシーンのカメラワークは印象的だ。
最初のカットでは、少し遠くから、壁にもたれかかるタカシを広角レンズで捉えている。遠近感が強調され、タカシは画面右端に小さく映っている。
次のカットでは、壁沿いにカメラが一気にタカシに近づき、画面左側へ。
そして右側から竜が現れる。
竜は右側の遠くで何か叫んでいるが、手前左側のタカシには聞こえていない様子だ。
遠近感の強調される広角レンズでの印象的なカメラワークだ。
迫り来る望遠レンズ、逃げ惑う広角レンズ
ついに装甲車まで現れて、竜とタカシは追い詰められていく。
地面スレスレの位置から迫り来る装甲車とアーミーの連中を見上げている。
望遠レンズで遠近感が圧縮され、アーミー達に追い詰めらる緊迫感を見事に表現している。
一点、カメラは高い位置からの広角レンズのカットに切り替わる。
画面の橋に向かって引き伸ばされ、スキをみて逃げ出す竜とタカシの影が長く伸びている。
レンズの効果をダイナミックに使った、非常に映画的な表現である。
宮崎駿的スラップスティック
次のシーンでは一点、アニメ的な表現が現れる。
アーミーに追い詰められ、もはや一貫の終わりかと思われたところに、金田とケイが運転する車が突っ込んでくる。
突っ込んでくる車を避けるアーミーたち。動きが完全にコメディになっている。
竜とタカシを奪還した金田の運転する車に向かって、「撃てェ」と叫ぶアーミー。
ある者は車に轢かれそうになり、ある者は運転席に飛びついて金田と格闘している。
暴走する車に発砲するアーミーたち、突っ込んでくる車に翻弄されるアーミーたちがコミカルにリフレインする。
撃てェ! うわぁ! 撃てェ! うわぁ!
宮崎駿のアニメに見られるような、スラップスティック(ドタバタ劇)的な演習ある。
金田は死を恐れない
最初に「AKIRA」を読んだ時には、アキラとは何なのか、この物語が何を表現しようとしているのかに惹かれた。
次に読んだ時には、超能力を手に入れた鉄雄の暴君的な強さと、反面精神的な脆さ、そのコントラストに惹かれた。
そして今は、金田の心に惹かれる。
金田は死を恐れない。
自ら死地に身を投じ、活路を見出す。
いつも人騒がせで、独善的で、やりたい放題で、決定的なドジをやっては窮地に追い詰められ、ここぞと言うところで抜群の強運を発揮する。
金田の心はどうなっているのだろうか?
彼はこの物語の中で、ヒーローでは無く、かと言って3枚目でも無く、まさにトリックスターで、道化であると言えると考える。
動的エネルギーを表現する吹き出し
いよいよ追い詰めらた金田一行は、金田の機転によって窮地を脱する。
用水路の分厚いコンクリートの底板が跳ね上がり、金田は空中に放り出される。
金田の体が持ち上げられる様子を、コマの外へはみ出すように下方向へ伸びる吹き出しで表現しているのは、見事なマンガ的演出だと思う。
金田が、まず上方向に持ち上げられ、空中で(画面に向かって)左方向に放り出される様子を、ページ上のコマの位置関係で表現している。こうゆう表現はマンガでしかできないだろう。
今にも茹で上がりそうな大佐
不良少年に翻弄され、機密事項を持ち出されてしまった大佐は、怒りに身を震わせ、顔面を紅潮させる。
これもカラー画像で赤く描いてしまうとコメディになってしまうところ、モノクロのマンガなのでシリアスに決まるのだと思う。
スクリーントーンが貼られた大佐の顔は、画面の中では暗く、フィルターがかかったようであるが、感情をむき出しにするその表情は非常に活き活きとしたパワーがある。
◆
今回はここまで。
だいたい、1巻の1/3弱である。
先にも述べたとおり、久しぶりに読み返すと色々な発見がある。
マンガ的な表現、映画的な表現、アニメ的な表現をシーンに応じて効果的に使い分けられていて、カメラワークなどは非常に勉強になる。
そして金田の心。これに着目して読み進めて行きたいと思う。
参考
AKIRA Japanese Teasers and Theatrical Trailer - 大友 克洋 アキラ
https://www.youtube.com/watch?v=CtRWWkmetY4
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https://amzn.to/2ZORgka
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